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コーヒーブレイク11回目:社会人の勉強(Businessperson's Study) 冨山和彦

前回は、英語の勉強でしたが、今回は社会人の勉強です。

社会人になってから、冨山和彦氏の書籍を何冊か読んできました。

ビジネスの業界では、会社再建で有名な方です。



「コーポレート・トランフォーメーション」

読んだ本のなかでも、コロナ禍中に読み、私の人生に多大な影響を及ぼした本が「コーポレート・トランフォーメーション」です。

冨山氏の略歴は、以下のとおりです。

1960年生まれ。ボストンコンサルティンググループ、コーポレイトディレクション代表取締役を経て、2003年 産業再生機構設立時に参画しCOOに就任。解散後、2007年 経営共創基盤(IGPI)を設立し代表取締役CEO就任。2020年10月よりIGPIグループ会長。
2020年日本共創プラットフォーム(JPiX)を設立し代表取締役社長就任。
パナソニック社外取締役。

日本の会社に対する分析は、さておき、日本人全般の社会人になってからの学習に関し、興味深い記述があったので、私の胸にズブズブ刺さりました♪

最近、「リカレント教育」が話題になっています。

しかし、鋭い方は、
「リカレント教育」を受けて、新たな知識(Knowledge)を獲得しても、第一線で働けるというわけではない!

ことに気づいています。

日本のダメなインテリ

さて、冨山氏は、東京大学法学部在学中に旧司法試験に合格しています。

もちろん同氏の頭の良さはありますが、実は、ひたむきな努力に裏打ちされていることが、以下の記述でわかりました!

確かに、社会人になって周りを見ると、たとえば東大出身の人でも、自己研鑽の努力が一切見られない人もいます。

日本の一流大学卒業生あるあるです (;´Д`)

戦前、カナダ、バンクーバーに生まれた日系移民の2世である私の父Arthur H. Toyamaは、トッパン・ムーア(現トッパン・フォームズ)の創業期メンバーで、経営者としても活躍した人物であるが、

彼はよく「和彦なあ、日本の会社の強さは現場の高卒の人たちの強さやで。東大出ているようなインテリ連中は全然大した仕事しとらん上の方の人間は欧米の連中のほうがよう働くし優秀や」と語っていた。

やや客観的に日本企業をみていた父の見方は的を射ていたのかもしれない。

カイシャとサラリーマンの現状

日本のカイシャの現状を厳しく指摘しています。

さて、日本のカイシャでは、世の中の競技が、野球→サッカーに変化した際に、どのぐらいの40代・50代のサラリーマンが、新しい競技についていけるでしょうか?

日本のカイシャとサラリーマンの現実を描写しています。

10年前、20年前と比べると、ここ数年、危機に追い込まれる前に、おそらくはかなりの 好条件でのリストラ、あるいは転進促進を行うようになったのは進歩だが、企業が恒常的に過剰感のある中高年層を抱え込む構造は30年間変わっていない

2000年代のはじめに企業再生に取り組んでいると、その会社につとめる20代、30代の連中が「冨山さん、団塊の世代のおっさんたちさえいなくなれば、うちは見違えるようによくなりますよ。頑張ってください」と応援してくれたものだったが、今や彼らがリストラ対象の中高年になっている。

残念なことだが両利き経営の時代、多くの会社で新たに求められているのは、新しい種目で機能する人材である。

例えば伝統的に野球一本で食ってきた会社だけれども、これからはサッカーやバスケットボールを一流の水準でプレーできる人材も必要なのだ。野球を一生懸命、20年、30年やってきた人にとっては、極めて厳しい現実かもしれない。まだ20代であれば、サッカーという新しいプレーに立ち向かえるが、さすがに40代、50代では厳しい

おまけにサッカーだっていつまでメイン種目かも分からない。これからはテニスやゴルフのような個人種目がもっと重要になるかもしれない。

こんな時代に特に総合職的なキャリアパスであちこちローテーションしながら漠然と管理職っぽくなった中高年は本当に厳しい。

実際、日本企業には、いつの時代も、このタイプの中高年が滞留している間接部門、販管部門の人件費が重い固定費としてのしかかってきた。現場の最前線では、これまたいつの時代も人手不足に陥っているのに。

新たなスキルセットの必要性

そもそも、日本は、新卒一括採用、年功序列など、個人のスキルを軽視する雇用制度・労働慣習が蔓延ってきました。もちろん、いい面もありましたが、現時点では、使い物にならない無用の産物となっているカイシャも多いでしょう。

何よりも、日本のカイシャで過ごしてきた、サラリーマンの典型的なスキルアセットは、使い物にものにならない、と言っています。

あたかもダイエットのあとのリバウンドのように繰りかえす中高年リストラに、両利き経営に関わる大きな課題が浮かび上がる。

要するに組織構成員のスキルセットの大きな変化を前提としなくてはならない時代、会社の壁を越えた事業や機能のリシャッフルが不可避の時代、既存の組織文化とは異質な文化を持った新たな組織能力が次から次へと求められる時代において、職種・働き方とキャリアデザインの中に多元性、流動性、プロフェッショナル性をビルトインできなければ、両利き経営は難しいのだ。

食えないカイシャ人たち

私もつい最近、還暦を迎えたが、かつて新人類と呼ばれた世代である。新人類と呼た人たちが、そろそろ60代を迎えるのだ。そして新人類とは、最初の30年を高度成長期モデルで生き、残りの30年を平成の残存の中で生きてきた世代である。

おそらく個人としては、もう10年以上前から、「これから必要なのはサッカーだぞ」と気づいてきた人も、同世代には少なくないのではないかと思う。しかし、会社は「野球をやれ」と言う。そして、野球をやらないと出世もできない。だから、一生懸命野球をやってきた。

ところが今になって、野球では早晩食えなくなるということになり、いよいよ「サッカー型人材が必要になってきた」ということが起き始めたのだ。これは個々の社員、特に中高年にとっては本当に厳しい変化になる。

今さらサッカーは難しい一方で、野球選手としても、身につけているのはその会社固有のスキル、人間関係や色々な貸し借りなど社内的ノウハウがほとんどで、会社を出たときに説明できるエキスパティーズはほとんどない

管理だ経営だと言っても、長年一緒に働いてきた集団で、自分より年次の下の人間をマネージできるというだけの話。それがよその会社や組織で通用するかどうかは、まったく証明されていない。係長だろうと、課長だろうと、1つの会社の枠を超えた通用性を持つ管理や経営のプロフェッショナルでなければ、両利き経営の時代を生き抜くことはできないのである。

「切なさ」を、次の世代の犠牲を生まないために生かす

切なさはわかる。もっと前からサッカーをやるべきだと気づいていたのに、組織人としては野球をやらぎるを得なかった人は、とりわけ切ない。私は同世代かすぐ下の世代でそんな人をたくさん見てきた。他方で、高度成長企業モデルが忘れられずに、「バブルヘGO」のノスタルジーそのままの人もいる。このタイプはここに来て、パワハラやセクハラ事件を起こしがちだ。人は、そうそう変われるものではない。

しかし、今のままの構造では、これからも10年おきの中高年大リストラは続かぎるを得ない。私たちの世代、その次のバブル入社世代も。競技の種目がどんどん変わり続けるからである。どうせ変わらぎるを得ないなら、好業績のうちに少しでも早くトランスフォーメーションに手を付けて、その分、人々が自らのプロフェッショナルスキルを磨く、あるいは自分の得意種目を評価してくれる別の職場を探す金銭的余裕と時間的余裕を与えるべきなのだ。

その流れのなかで起きているのが昨今の好業績下の中高年リストラの実相であり、私はこの動きは正しいと思っている。まさに現代的な意味での「人本主義経営」だ。

勝負は、これが単なる間接固定費削減に終わらず、本質的な構造転換、企業も個人もカイシャからの脱却を目指すトランスフォーメーションができるかどうかだ

分かっていながら野球をやり続けさせられた挙句、行き場を失った多くの我が同世代の悲劇を次の世代で繰り返さないためにも。

このように、手厳しくみえますが、現実を射抜いています。

「2025年日本経済再生戦略 国にも組織にも頼らない力が日本を救う」

学び直し

また、別の書籍には「2025年日本経済再生戦略 国にも組織にも頼らない力が日本を救う」には、学びなおしについて、以下の記述があります。

すでに会社員になっている人、特に中間管理職になっている人には、知的高度プロフェッショナルを目指す苦難の道以外に、生き残る方法が2つある。

1つ目は、誰になんと言われようと、たとえ役立たず扱いされようと、とにかく会社にしがみついて生き抜く。グローバル化とデジタル革命の時代は、企業だけでなく個人にもトランスフォーメーションを求める。自分にはその覚悟も能力もないと思うのなら、今いる場所で居直り、定年まで逃げ切ることを考えたほうがいい。業種的に破壊的イノベーションの影響を受けにくく、かつまた組織のなかで上手に居場所を見つける器用さに自信があるなら、これもありだ。

2つ目は、覚悟を決めて自己トランスフォーメーションに取りかかることだ。要は「学び直し」である。

私は、こちらをお勧めしたい。新たな能力を身につければ、今の会社で別の活躍の道が開けるかもしれない。新たな環境を求めることもできやすくなる。トランスフォーメーションを遂げた個人には、転職先はいくらでもあるのだ。

また、1つ目でがんばるにしても、業界がどうなるかは、しょせん運任せ、会社任せだし、社内政治で居場所を失うリスクもある。保険という意味でも、2つ目の作業に取りかかっておいたほうがいい

自己トランスフォーメーションを遂げるのに、年齢はあまり関係がない
20代、30代はもちろん、40代、50代だって遅くはないのだ。

「50代以降は定年までの消化試合」というのも昭和の価値観である。なんせ、若い世代は人生100年時代。先は思い切り長いのだ。長い人生を愉快に生きていこうと思ったら、古い固定観念からも抜け出す必要がある。

「45歳定年」での人生設計

人生設計は、一度45歳を区切りにして設計した方が良いというアドバイスがあります。

ちなみに、私、桐島は勝手ながら、人生の区切り(定年)を40歳に設定しています。

個人は、「45歳定年」のつもりで人生設計しよう
日本政府再生の第一歩として、まずは霞が関のキャリア官僚から45歳定年を導入したらどうだろう。

45歳で辞める、すなわちその後の人生が40年、50年とある前提になれば、当然、学生時代から定年までに、どこでも飯が食えるプロフェッショナルなスキルを身につける努力をするだろう。そうすれば、キャリア官僚としての戦闘力も上がる。

政治主導で幹部職員の人事を政治家に決められても困ることはない。自分の政策と違う政権のときは辞めてしまえばいい。そして将来、自分と同じ考えの政権ができることを民間人として応援し、政権ができたら政治任用で、局長でも次官でも補佐官でもなって力を振るえばいい。民主主義なのだから、これが当たり前だ。

(政府の変化は世の中の平均的変化より遅いため)、政府の自律的変化にはあまり期待せずに粛々と自衛策を整えつつ、個人としての幸せを追求したほうが身のためだろう。

45歳定年制についても、民間人の皆さんは自ら勝手にそういうつもりで人生設計し、準備をしておくことをお勧めする。

日本のカイシャは傾きつつあり、給与は伸び悩み、日本円の価値は下がり続けています。信じる者は、自分、そして自分の能力です。

いよいよ、政府に頼る、カイシャに頼る、サラリーマンとして生きていく、というのが恥ずべき、危険な発想という時代を押し寄せています。


「貧すれば鈍する」です。心まで貧しくならないように、自分、そして自分の能力を信じて、「学び直し」=”Self Transformation”を進めていこうと思います♪


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