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㉖ミャンマーでのインターンシップ(ミャンマーで感じたこと、考えたことまとめ)

2017年7月の記事です。

さて、これまでミャンマーに関する記事を書いてきました。7月2日~27日の合計26日間の滞在で集中的にミャンマーのことを学ぶ機会を得ました。インターンシップ先のみなさまとステイ先で御世話になった尊敬する元名誉教授の先生・その奥様とミャンマー人の友人に感謝しなければなりません。

おかげさまで、仕事でもプライベートでも研究でもまた近いうちにミャンマーに戻ってこようと心に誓いました。

大学生の時にAccentureという戦略コンサル会社に2週間インターンシップで御世話になった際に、「目の前の問題を解決する際に、仮説を立てる『仮説思考』をすることが大事。仮説思考をすれば、学びのスピードが一気に加速する」と教わりました。

今回ミャンマーでは初めの3日間で以下の●のような仮説を立てました。これに対する⇒が私が残りの期間で見聞きして学んだことになります。

2017年ミャンマーで感じたことのまとめ(ざっくり)

マクロ経済概観

●現在のミャンマーの1人当たり名目GDPは1300ドルで、日本で言えば1967年水準。当時の日本は人口1億人、GDP1243億ドルで輸出額104億ドルのうちアメリカへの輸出が30%を占めた。この頃の日本は全共闘運動前の野蛮な状態(殺人者数は1955年の2119人をピークに67年に1395人へ減っていたが、暴力は日常茶飯事)。特に現在のミャンマーでは薬物使用とギャングは大問題。
⇒現在‟Original Gangster2“が人気を博していますが、この種のヤクザ映画が白熱する理由は経済水準と因果関係があると予想できます。‟Original Gangster3”も間違いなく上映するだろう。

●GDP実質成長率は67年11.1%、68年11.9%(米国2.5%、4.8%、ユーロ圏3.6%、5.4%)であり、世界経済も好調。
●現在のミャンマーは成長率7.6%だが、世界経済成長率は2.7%(韓国2.8%、米国1.6%、EU1.6%、日本1%、中国6.7%)という状況で、海外投資を呼び込むにしても限定的
●ラストフロンティアとしてのミャンマーは、まだまだ経済発展の最初のステージ(1人当たりGDP1000→3000ドル)。サービスの質が悪くて当然だが、ミャンマー人気質のおかげかアメリカよりは相当まし。
●日本人含む外国人は現在の自国経済と比べがちだが、自国の半世紀前の水準と比較すべきである。

今後のミャンマー経済の動向

●2011年の開放政策による経済成長はひと段落、FDIの額は小さくなり案件は小粒化(2010年度200億ドル24件→15年度95億ドル213件、16年度67億ドル139件)
●2016年11月に日本が表明した官民合計8000億円規模の支援への日本企業の期待大(ODAを当てにする建設会社は多いが、ODAはあしかけ5年が標準(フィージビリティ・スタディ2年、建設3年))。
●個社にとってミャンマーに工場・事業所新設の必要があるか、タイからの輸出や派遣でいいか不明。
●ASEAN・中国との更なる一体化を受けて、短期的にミャンマー人がますます中国・タイへ流失(人身売買含む)、中国・タイ製品がミャンマーに流入して中国・タイ経済に浸食される恐れ(マーケットの商品を見れば今でも同様)。
⇒在タイ・ミャンマー大使館によると、タイには約400万人のミャンマー人労働者がおり、うち就労許可を得た正規の労働者は170万人(日経新聞2017/7/13タイの外国人労働者、規制法強化で国境に殺到)。また、タイ製品のミャンマーへの流入はタイに近い都市、地域では現在も進行中(ベイやダウェイのスーパーはタイ製品が圧倒的に多い)。

●長期的にミャンマーが地政学上有利との議論があるが、日本にとっての長期の見通しは?
日本がダウェイ港の開発に本格的に乗り出すのはティラワ港の整備が終わってからであるため東西回廊はまだまだ先か?(中国はパイプラインによってひとまず地政学的重要性をクリア)
当分先。少なくとも初期プロジェクトの完了に少なくとも10年はかかる。長期化の理由は、イタルタイ社が資金不足で建設スピードが緩慢。また、険しい山間での雨季の道路敷設は困難である

●2020年の次期総選挙までのスーチー政権が政策実現・人口ボーナスの観点から勝負だが、過去1年間で何ら進展がなくても、国民は気にしていない(国民の期待値の低さが強みか?)。
スーチー氏に近い人ほど失望大。一般国民は国民統合の象徴でしかないスーチー(政策立案能力0だが、海外へのPRに長ける)に変革を期待しているわけでは必ずしもない。スーチーがミャンマー国民や少数民族を軽んじる発言をするなかで、民族統合の道のりは遠ざかっている(2020年までにテインセイン元大統領の実績を超えることは不可能)。例えるならば、日本のメディアに接しているとスーチ氏は民主党政権後の自民党の安倍総理に見えるが、実際は政権奪取時の民主党の菅直人総理といったところ。
●欧米のNGOがやっかい。ミャンマーの民主化運動は、軍事政権の汚職や抑圧に対する不満で、政治の民主化を求めているわけではなかった。欧米のNGOグループは「ミャンマーの民主化の手助けの旗手を謳い、人権問題にやたら介入」してくる(当方が米国でも感じていること)。
●豊かな食生活を享受し仏教的な価値観を重視しているため、あまりに高すぎる目標はミャンマー国民が望まない(残業代2倍でも働かない例)。
⇒ミャンマーの人々の食の生活水準は以下の通り。
①ミャンマーの1人当たり所得は市場為替レートのドル換算で見ると、ラオス、カンボジアより低いが、食生活を見るとカンボジア、ラオス、ベトナムの人と同じくらい、またバングラより質の高い、油脂、魚介類、果物、卵、飲料等を飲食している。

②ミャンマーでは1人当たり家計支出額で見た最上位の20%と最下位の20%で約4倍の格差があるが、家計所得に占める食費の割合(エンゲル係数)にはほとんど違いがない。所得格差は、より豊かな食生活を享受するという格差になっている。これは電気、水道、家屋等の生活インフラが未整備なためである。特に農村部において電化率が20%以下と極めて低く、テレビ、冷蔵庫、その他の家電製品が普及していない。その結果、階級格差、所得格差は、誰の目にも明らかな形ではなかなか表現されず、貧しい人たちも貧しいなりに食べ、タイのように「人並み」の豊かな生活を期待したりしない。その意味で、「期待の革命」はおこなっていない。こういうところで民主化運動はなかなかおこらない(藤田幸一「ミャンマーの『貧困』問題」 より)

国内安全保障

●ミャンマー政治にとっては、内政の安定(少数民族との和平)が最優先。経済発展は彼らの生活水準の向上に結び付くことが理想であるが、徴税機能・官僚機構が脆弱であるため中央から地方への所得再分配が困難。少数民族への国境貿易を許認することで安定化を図っているものの、中国・タイ依存が依然高いままであるため、引き続き全方位外交でバランス重視。軍用機は中国に支配されないために、ロシアからも受注(2001、09年の戦闘機(MiG-29/UB以外に最近も))、インドとも軍事協力(2006年に共同海軍演習「ミラン2006」に国産コルベット艦「アノーヤター」を派遣)。
⇒以下の記述が、ミャンマー政治にとっての内政の安定のヒントになる。

1962年から26年間続いたビルマ式社会主義を呼ばれるネーウィンの軍政、1988年から今日まで14年間続く現在の軍政、この2つの時期を合算すると、40年間の歳月となる。ビルマはこの間、武力を背景とする軍の支配下に置かれ続けてきた。軍政と国民との関係も、形を変えた絶対的支配者と「チュン(奴隷)」との関係に他ならない。西洋社会で芽生えた個人の権利や民主主義という概念は、現在の段階ではビルマに根付いてはいない。国家を構成する主体は国民なのだという考えは、「国家」という言葉の前では無力である。
パガン時代から今日まで続くもう1つの概念、それは「民族」である。パガン王国はビルマ族によって建国された。ビンヤ、ザカイン両王朝は系譜的にはシャン族の王朝ではあったものの、文化的にはビルマ族のそれであった。続くタウングー、ニャウンヤン、コンバウン3王朝もすべてビルマ族の国家であった。パガン時代以来陰に陽にビルマ族と拮抗してきたモン族は18世紀の中葉、アラウンパヤーによってその民族的エネルギーを完全に断たれた。「ビルマ」という国は、「ビルマ民族」の国家だという図式が出来上がった。

ところが、パガン時代からこの国で見られるもう1つの特徴は、イラワジ河流域およびその周辺地域には、非ビルマ系住民もまた割拠していたという事実である。この多民族を「ビルマ」という民族国家の中に包摂しなければならないところに、今日のミャンマーの苦悩がある。カレン族、モン族、シャン族、カチン族といった非ビルマ系住民は、1948年のビルマ独立前後から今日まで半世紀の長きにわたって分離独立を求める武装闘争を展開してきた。彼らの要求は国家の分裂をもたらすとして、軍政権はこれを弾圧してきた。
もともと47年に起草された憲法では、ビルマは連邦制国家とされ、ビルマ族が移住するイラワジ河平原の本州以外に、周辺の山地には、シャン州、カレン州、カヤー州、カチン州といった民族別の自治州が設置されていた。各州には州議会と州政府とが置かれ、外交、国防、金融といった重要事項以外について自治権が認められていた。

この連邦制という国家形態は、「ビルマ」という民族国家が多民族を包摂するための手段として考案された形態で、その主導者は独立直前の47年に暗殺されたアウンサン将軍であった。その連邦制は議会制民主主義の下で空洞化し始める。62年にネーウィン将軍がクーデターを敢行して政権を掌握したのは、この議会制民主主義を廃止するためであった。

ネーウィンは、ビルマ式社会主義という独自の目標を掲げ、それまで華僑やインド人たちが握っていた経済の実権をビルマ人の手に取り戻すことには成功した。しかし、連邦制という枠組みの中で多民族と包括していくという、アウンサン将軍の路線を充実発展させることには失敗した。州政府は骨抜きにされ、分離独立を求める少数民族の運動は激化した。その結果もたらされたものは、国家予算に占める国防費の異常な高さ、生産活動の停滞、輸出入の不均衡、極端な外貨不足、対外債務の増大、そして「世界最貧国(LLDC)」という国際社会における屈辱的な立場であった。1988年の民主化要求が国民的盛り上がりを見せたのは、そうした事情が背景にある。

88年の民主化運動の時には、民主主義とは「金の雨、銀の雨」を降らせるものだという見当外れの言葉が盛んに飛び交った。民主主義とは決して薔薇色の夢なのではなく、その本質は国民一人ひとりの政治的自覚に基づく責任ある行動なのであり、権利と同時に義務も伴っているということを国民に自覚させた上で、国民1人1人の意志を集約し、多数意見を国政に反映し、政策を実現させていく。そうした根本的な発想の転換、それが現在の軍事政権に要求される最大の政治課題だと言えよう。

謎の仏教王国パガン-碑文の秘めるビルマ千年史-大野徹(P279-281終章 近代化に向けて)

●中国からすれば、国境地帯はバッファーの役目(ロシアにとってのウクライナ)。中国にとってはモンゴル、ラオス、北朝鮮と同様。政府が中央集権化を進めて、国軍が中国との国境に進出して、統一されたミャンマーと国境を接することは脅威(例:2013年中国はUWSAにヘリコプター・ガンシップ等の装備を供給、少数民族武装グループを活用して中緬国境での紛争を煽り、中央政府に圧力をかけた)。
⇒実体験としては確認できず。

ヤンゴン都市構造

●都市の規模やインフラ整備が交通増・人口増に追いついていないが、一時的な外国人の増加に終わる恐れもあり。将来的に、建設中の高層住宅が余る可能性大(中国人の莫大な流入に期待)。
⇒全人口の6割強のビルマ族の移動だけのみ考慮しても十分なボリュームが出る。(京大東南アジア研究所の先生)

●人口の3分の1を占める少数民族への差別や文化(言葉)の違いが大きいため人口転換(田舎から都市部への人口移動)が起こりにくい構造?(中国は途中で農村戸籍を段階的に無くして、沿岸部への労働供給を推し進めたが2011年にルイス転換点を迎えた)。
⇒農村から都市への人口移動はタイやマレーシアとの労働条件の差の方が効いている。ミャンマーの場合、国内での出稼ぎよりもタイとマレーシアへの出稼ぎのネットワークが先に拡大してしまったこともあって、その流れを国内に引き戻すには時間がかかりそう。(同先生)

●ヤンゴンが国際都市になれるか不明(お隣のバンコクはミャンマー・カンボジア・ベトナム・ラオス人が労働する東南アジア大陸部の国際都市、2000万人以上が訪れる世界一の渡航先)。
⇒現在は、キャパシティー不足が悩み。しかし、ヤンゴン市の4倍を占めるダラ島がヤンゴンの南にあり、この島の開発を中国が狙っている。この島が開発されれば、市内の面積が一気に拡がり、国際都市の規模に相応しいサイズが確保できる。

中国にとってのミャンマーの重要性

●自国の生き残りのために地政学上重要(中国に対する)。中国にとっての国家戦略重点分野であるエネルギー、鉄道、ITに関連するのであれば、金に糸目はつけない。チャオピューのガスパイプラインや、ヤンゴン市内の携帯電波、バス等。
●ガスパイプラインは基本的に地下を通り直接は目に見えないので(川を横切る時を除く)まだ抵抗が少ない。鉄道敷設は貨物輸送で市民の生活向上に繋がらず、領土侵害のシンボルとして映るためしばらくは不可能。
鉄道敷設のための地上のインフラ整備は相当なコストと時間を有するために中国側もしばらく様子見。

●一番恐ろしいのは、マルウェアや制御システムが内製されている中国携帯やWiFi等のITシステム関連。OppoやVivoはiPhoneと性能は大差ないが、150ドルから購入可(システムエンジニアでもマルウェアの除去が不可能とのこと)、東南アジア諸国での広告・営業攻勢が強い(バンコク、カンチャナブリ、ビエンチャン、ルアンパバーン、クアラルンプール、香港、上海で大々的な広告・販売店を目撃)。
⇒中国は開発援助をビジネスの一環として考えていると思われるので、地元の懐柔もすれば、大使も営業マンよろしく各地を動き回ります。ミャンマーの人は「中国は金ばかり求めているから嫌いだ」といい、「日本は親切だし好きだ」といいますが、実際に空港を建てたりビルを次々に建てているのは中国。持っているのはOppoかVivoのスマートフォンです。こういったところに、日中の差を感じるのは事実です。(新聞記者)
⇒マンダレー・ベイ・ダウェイで見かけたのは、Huawei、Oppo、Vivo, サムソンのタッグ。販売代理店がこれらの機種をまとめて扱っている。

マクロ戦略よりミクロの個別戦略

●マクロ戦略は考えても無意味。マクロの指標に信憑性がなく、ミャンマーに未来の絵を描く余力がない。何にもまして最重要なのは国民統合
⇒テインセイン大統領時代の国民統合の方が、現在のNLDよりも進んでいた。スーチー氏は少数民族を見下す発言をしているため少数民族から信頼が得られず。

いままではビルマ族と少数民族という対立軸であったが、NLDと軍部という対立軸が増えたため、意思決定が一層困難に。安全保障や大きな経済発展に繋がるマクロ戦略以外は響かない。(電力不足解消→更なる製造業の誘致→持続的な発展というのは直近の理想の絵姿)
NLDの下で政策立案能力が限りなく0に近くなっている。直近1年の成果は0。電力不足解消という発電所の設置ですぐに解消できる問題でさえも、発電所設置の可否の判断に時間を要している。

奥の方に見える金色の円のパゴダがシュエダゴンパゴダ。その奥の白い建物が集中している場所がダウンタウン
奥に見える大きな湖がインヤ湖
2つの支流が合わさるヤンゴン川

Bye bye Myanmar♪

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