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「おすすめ文庫王国1位」は伊達じゃないーミニ読書感想「捜索者」(タナ・フレンチさん)

米国人作家タナ・フレンチさんの長編「捜索者」(北野寿美枝さん訳、2022年4月25日初版発行)にぐいぐい引き込まれました。噛めば噛むほど面白いスルメ小説。「本の雑誌社」が毎年末に刊行する「おすすめ文庫王国」の2022年度版で堂々の1位に輝いたことを知り、手に取った本書。納得の内容でした。


本書は本編600ページ超。後半に進むほど味が出てくるため、魅力に気付くには辛抱が必要です。それだけに、「おすすめ文庫王国1位だから」ということを頼りに色んな方におすすめしたい。その順位を信じて、本書の世界に飛び込んでほしい。

読了後の感想は「優しいノワール」。血、暴力、犯罪を主題にしたノワールは本来生々しいはずなのに、本書は優しく、静か。読後の余韻は、深煎りのコーヒーを飲み終えて一息ついたような、ほっとした気持ちに近いです。

元シカゴ警察の捜査員だった米国人男性が、アイルランドの田舎に引っ越してくる。のんびりとした暮らしを過ごす予定が、ある貧しい一家の子どもに「失踪した兄を探して欲しい」と依頼を受け、状況が一変。男性や周囲に不穏な事件が起こっていく、という筋書きです。

小説には「チェーホフの銃」という原則があると言われます。物語の中に銃が出てくれば、その銃は使われなくてはならない。どうように、不穏な空気が発生すれば、その不穏さは何らかの形で破裂することになる。だからこそノワールはブラックな読み心地になるのですが、本書は一味異なる。

本書にも銃が出てくる。事件は起こる。貧しい子どもが出てくる。そもそも主人公がアイルランドに越してきたことにも、のっぴきならぬ事情がある。にもかかわらず、読み心地は優しいのです。

たとえばこんな会話が、本書の魅力を伝えてくれるだろうかと思います。主人公が、村の住人のある女性の家に生まれた子犬を引き取るかどうか迷うシーンです。

 「ねえ、ひとつ聞かせて」レナが言った。彼女の瞳に暖炉の火明かりが映った。「どうしてあの子犬を飼わないの?」
 「おれにちゃんと世話ができて、あの子犬がひどい目に遭うことはないと、責任を持って言いたいからだ。でも、そう言い切れそうになくてね」
 レナが眉を吊り上げた。「ふうん。てっきり、なにか束縛されるのをいやがっているだけかと思ってた」
 「それはちがう」カルは火を見つめた。「つなぎ止めてくれる物をつねに探してる気がする。ただ、そううまくいかないだけで」
「捜索者」p518

主人公は、犬を引き取る自信がない。でもそれは、ノワール小説やハードボイルド小説の男にありがちな、無頼や孤高が理由ではない。自分をつなぎ止めてくれる何かがほしい。でもこれまでの人生で、それはうまく見つからなかった。

本書の主人公には、正義感や使命感ではなく「人生の傷」がある。でもその傷に絡め取られず、正しいもの、大切なものに手を伸ばそうとする強さもある。

そのバランスある物語の描き方が、優しいのだと思います。

本書の物語の登場人物たちにまた会いたいし、著者が描く不思議な優しさに、また触れてみたいと強く感じました。

「おすすめ文庫王国」は本当にハズレなしなので、ぜひこちらも手に取ってください。

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