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この本に出会えてよかった2022

今年も決して楽な一年ではありませんでしたが、傍らにはいつも本がいてくれました。世界全体が激変する一年でもありました。その激動に困惑する頭と心を整理してくれたのもまた、本でした。中でも「この本に出会えてよかった」と思える10冊を選び、紹介したいと思います。

思い起こしてみて、素晴らしい本は、また別の素敵な本を連れてきてくれるとしみじみ感じました。それぞれが結び付く関連本もなるべく触れていきたいと思います。読了後に書いた感想記事と、2021年以前の「この本に出会えてよかった」は、末尾にまとめて記載しております。


①「地図と拳」

小川哲さんの超長編。本書を読んだ時、「2022年は地図と拳を読んだ年として記憶することになる」と震え、上半期のベストバイをまとめた際にも真っ先に挙げました。下半期を終える今でも、その衝撃の大きさをまざまざと思い出します。本書を通勤電車で読んだ、まだ暑い夏の空気がくっきり浮かぶ。

夏に読んだというのが非常に大きかったのかもしれません。本書のテーマは戦争。終戦からあまりに長い時間が過ぎたいま、本書は戦争の悲惨さに接続する回路としての物語として立ち現れました。

物語である以上、それは当然フィクションなのですが、本書は満洲の架空都市を舞台にしているという意味で二重の虚構と言えます。フェイクニュース、ポストトゥルース、そして何より今年はロシアのウクライナ侵攻が世界に衝撃を与えた。この2022年にあって、虚構の回路を通じて戦争を直視する経験は、得難いもの、忘れ難いものでした。

小川哲さんの作品は今年、「嘘と聖典」のハヤカワ文庫版、「君のクイズ」(朝日新聞出版)と相次いで刊行されました。小川イヤーとも言えるかもしれません。


②「ライオンのおやつ」

小川糸さんの2019年の作品。ポプラ文庫に収録されたのを機に購入しました。本書は死というものを明るく、でも無理にポジティブに誤魔化すことなく、まるで赤ちゃんを大切に抱くように扱っている作品でした。穏やかな読後感が今も残っています。

とあるホスピスが舞台で、タイトル通りおやつがキーワード。人生で一番思い出深いおやつをリクエストできるのですが、それを食べることなく旅立っていった男性と、男性のリクエストを味わう主人公の対比が鮮烈に印象に残りました。

自分の願いが叶うことはなくても、それが誰かにとっての喜びになりうる。死というものをしっかりと捉えた時、そんな有り様があるのだと教えてくれました。

本書を手に取ったのは、その前に窪美澄さんの直木賞受賞作品「夜に星を放つ」(文藝春秋)に感動したことが大きかったと思います。この本もまた、死別や叶わない恋、離婚など、避けようのない別れと、そこからの歩みを扱っています。

ままならない人生を、どう生きていくか。私たちが悩むのに歩みを合わせ、作家さんたちも必死に言葉を紡いでくれているように思います。


③「われら闇より天を見る」

別れからの歩み、という「ライオンのおやつ」「夜に星を放つ」とつながる線上に本書があります。原題は「WE BEGIN AT THE END」。まさに、終わりから始める物語が本書です。クリス・ウィタカーさん作。こちらは英国で著名賞を取り、話題を呼んだ作品です。

ハードボイルドで、詩的で、展開はスリリング、しかも骨太。全てを兼ね揃えたスタープレイヤーのような物語で、今年読んだ中でずば抜けて端正。だからこそ強い印象が残ります。

本書は、今年新訳が創元推理文庫から登場したレイモンド・チャンドラー氏の名著「長い別れ」に通じる力強さがあります。読みあぐねていた長い別れを、新訳出版を機に手に取ったことが、今年随一の本を楽しむきっかけになりました。


④「翻訳を産む文学、文学を産む翻訳」

ここらでノンフィクションの中から今年のベストを挙げるとすれば、まず推したいのが本書です。中国の研究者・邵丹さんが、敬愛する村上春樹氏の文学的ルーツになった翻訳作品を掘り下げる。村上春樹作品が俄然楽しめるようになります。

いわば、村上作品のDNAを解明していくような展開はスリリング。ある種、科学的とすら言える文学ノンフィクションです。

本書が中国の研究者によって書かれたのまた、ユニークなことです。村上春樹氏は日本文学への「疎外感」から、米国文学に傾倒した側面は間違いなくある。その動きを、中国から越境的に探究、分析する構図になっています。

「向こう側」に手を伸ばし、未知のものに出会う。思えばそれは、本を愛する我々が絶えず試みている挑戦でもあります。これからもたくさんの本を読み、邵丹さんのような書き手に出会っていけるようにしようと鼓舞されます。

本書を読んだ後は村上春樹作品の考察をもっと読みたくなる。自分は加藤典洋さんの「村上春樹は、むずかしい」(岩波新書)や、ナカムラクニオさんの「村上春樹にならう『おいしい文章』のための47のルール」(ちくま文庫)を手に取りました。


⑤「給料はあなたの価値なのか」

「市場価値を高めよ」「解像度を上げよ」「価値観をアップデートせよ」のようなメッセージに遭遇した時、本書を思い出して救われました。少し「くそくらえ」と思えました。

著者のジェイク・ローゼンフェルドさんがタイトルに込めたのは反語的な思いで、「給料はあなたの価値を決めるものではなく、あなたにはどうしようもない様々な要素に左右される」という現実です。

たとえば、バーガーキングのスタッフ給与は米国では低いのに、デンマークでは一定の水準にある。仕事の価値によって賃金が異なるのであればこうした差異の説明がつきません。

だから、「個人の価値を高める」という昨今の労働市場の流動化は絶対普遍の真理ではなく、何かしらの意図を持った言説である。そう思えることで、踊らされなくなる効用が本書にはあります。

12月に入って読んだエドガー・カバナスさん、エヴァ・ルイーズさんの「ハッピークラシー」(みすず書房)も高い問題意識を持っています。こちらの場合は、同じく流行のポジティブ心理学の欺瞞を白日の元に晒します。

どちらもみすず書房。流されない出版社なんだな、と信頼感が高まりました。


⑥「食べることと出すこと」

頭木弘樹さんが大学生の頃、突然、難病の潰瘍性大腸炎になった時のことを振り返るエッセイ。2月あたりの冬ごろ読んだ本で、上半期のベストバイには含めなかったのだけれど、思い返すとこれはとても大切な本だなと感じ、今回はエントリーしました。

なぜ大切だと思い直したのか。それは本書のように、人生の困難な時を赤裸々に描いた本はそうそうないことに気付いたからでした。

他者と喜びを共有する「食べる」が、何も共有できない「食べれない」に変わる。誰にも見られずにできるはずの「排泄する」が、人前で「漏らしてしまう」に変わる。それがどれほどつらいことかを、著者は正面から記述します。

自分はいまは健康に過ごしている。しかしいつかは、著者が通った道を通るかもしれない。そんなとき、私は再び本書を手に取るだろう。そんな本が本棚にあることが、どこかお守りのように感じられることに思い至りました。

下半期に入って、里山社の「病と障害と、傍らにあった本。」というアンソロジーを手に取りました。この本にも頭木さんが登場し、他にも多くの困難を抱えた方々が、その時を支えた本を振り返ります。病や障害と、本。どんなに辛い時にも、本は近くにいてくれることの力強さが感じられました。


⑦「物語ウクライナの歴史」

2022年はロシアによるウクライナ侵攻抜きには語れません。自分が生きている間に、目の前で、戦争が起こってしまうのか。戸惑いは今も続いています。

そのわだかまりをなんとか消化したくて、たくさんの本を読みました。廣瀬陽子さん「ハイブリッド戦争」(講談社現代新書)や、小泉悠さん「現代ロシアの軍事戦略」(ちくま新書)といった新書類。上下巻の戦争論「戦争の文化」(岩波書店)。プーチン政権による暗殺疑惑をテーマにした「ロシアン・ルーレットは逃さない」(光文社)などなど。

そうした本を読み重ねる原点となったのが本書「物語ウクライナの歴史」でした。

本書は今回のロシアによる侵攻を直接的に理解できる一冊ではありません。しかし、元ウクライナ大使黒川祐次さんが、ウクライナの豊穣な文化や複雑な歴史的経緯を愛情いっぱいに著述する。その熱意が胸を打ち、深い印象を残します。

ウクライナは歴史上、何度も侵略され、「国がなくなること」を経験している。だからこそいま、領土奪還のために厳しい戦いを継続しているのだと推察ができます。船が錨を下ろすように、ウクライナの人々に思いを馳せる拠点となるのが本書です。

この本がなければ、なるべく細く長くでも、ウクライナや戦争に関する本読み続けようと思えばしなかったかもしれません。読むたびに無力感に苛まられるのも確かですが、大切な本になりました。


⑧「森へ行きましょう」

辛い時ほど、なぜ自分の人生はこんなふうになってしまったのかと思います。他の在り方はなかったのかな、と。そんなとき、思い出すのが本書です。

新刊ではありません。「本を読むというのは、自分の内面に森をつくることだと言えるのではないか」とある時浮かんだインスピレーションを手がかりに、「森」とタイトルにつく本書を手に取った。そんな経緯だったように思います。

これが大当たりでした。インスピレーションとは関係なく、印象深い物語でした。

全く同じ日に、少し違った世界線で生まれた二人の女性のパラレルワールドを描きます。それぞれの女性が、ほんの少しの選択で、だんだんと違った人生を歩いていく様を読者は見ていくことになる。

ああ、そうだったんだ。自分もこれまでたくさんの分岐を選び、ここにいるんだ。そして、違う分岐を選んだ自分も、どこか違う世界にいるかもしれない。しかし「彼」には決して、私の手は届かない。

せつないけれど、どこか爽やかな気持ちになります。自分は数々の分岐の末にこの世界線に立っている。他の世界線には行けないのだから、歩き続けよう、と。

川上弘美さんの柔らかく幻想的な文章に触れて、もっとこうした質感の物語を味わいたい、と思うようになりました。多和田葉子さんの「地球にちりばめられて」(講談社文庫)や、サラ・ピンスカーさんの「いずれすべては海の中に」(竹書房文庫)は、その延長線で楽しめた本でした。


⑨ 「小説の惑星」

今年はいつにも増して、アンソロジーの短編集を多く読みました。そんな動きの皮切り、原動力になったのは本書だったように思います。

編者は伊坂幸太郎さん。ピックアップする作品は古いもの(井伏鱒二)から新興作家(一條次郎)までさまざまだけれど、どれもハズレなし。面白い作家さんは、面白い作品を読んでいる。「you are what you eat」ならぬ、「you are what you read」。そう実感しました。

また、井伏鱒二と一條次郎が並んだ時に、初めてリンクする何かがある。つながるシナプスがある。それもまた発見でした。

その発火現象を味わいたくて、アンソロジー短編集を読み漁ったなと思います。「中央線小説傑作選」(中公文庫)、「新しい世界を生きるための14のSF」(ハヤカワ文庫)、「こぽこぽ、珈琲」(河出文庫)などが大当たりでした。


⑩「脳は世界をどう見ているのか」

今年最も知的興奮を与えてくれた本。傑作小説を読み終えた時のような興奮が読後に湧き上がりました。科学ノンフィクションでありながら、「人間讃歌」。そう評したくなるような、人類の可能性に向けたエールを感じられました。

起業家で科学者のジェフ・ホーキンスさんの著作。「人間の脳がどのように働いているか」というグランドセオリーは未だ解明されていません。著者は「1000の脳理論」というオリジナルのグランドセオリーを考案し、読者に投げかけます。

グランドセオリーは、立証されれば、地動説が天動説にひっくり返るほど強大なインパクトがある。それだけに、現段階では研究機関の資金投入が確約される実学分野ではありません。著者は、納得いくまで研究するためにまずは起業し、そこでの獲得資金を思う存分投じることにする。その生き方にも感銘を受けます。

正直、「1000の脳理論」を理解したとは胸を張って言えません。しかし、肝心なことは、「分からなくても出会えてよかった」と思えることです。本書を読んだ後は、ハードルの高く難しい本にそれでも立ち向かっていこうという勇気が湧きました。

たとえば、同じく脳や心を扱ったアンディ・クラークさん「現れる存在」(ハヤカワ文庫)に挑みました。半分も頭には入らない。最近では加藤典洋さんの批評「敗戦後論」(ちくま学芸文庫)に取り組みました。つまずく部分はあったけれど、めげずに読破することができました。

自分の手に負えない本を、背伸びしてでも読んでいきたいと今も強く思います。

***

来年もまた、たくさんの素敵な本に出会えることを祈ります。このエントリーを読んでくださったみなさんにとっても、そうであるように。


個別の感想記事はこちら

・「地図と拳」


・「ライオンのおやつ」


・「われら闇より天を見る」


・「翻訳を産む文学、文学を産む翻訳」


・「給料はあなたの価値なのか」


・「食べることと出すこと」


・「物語ウクライナの歴史」


・「森へ行きましょう」


・「小説の惑星」


・「脳は世界をどう見ているのか」


2021年以前の「この本に出会えてよかった」はこちら


2021年はこの10冊を選びました。

①「悪魔の細菌」
②「シカゴ・ブルース」
③「ラスト・トライアル」
④「クララとお日さま」
⑤「実力も運のうち」
⑥「三体Ⅲ 死神永生」
⑦「10代のための読書地図」
⑧「トーキング・トゥ・ストレンジャーズ」
⑨「同志少女よ、敵を撃て」
⑩「何もしない」


2020年はこの10冊。

①「なぜ私だけが苦しむのか」
②「そして、バトンは渡された」
③「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」
④「日没」
⑤「日の名残り」
⑥「ブルシット・ジョブ」
⑦「読んでいない本について堂々と語る本」
⑧「自由の命運」
⑨「路」
⑩「三体Ⅱ 黒暗森林」


2019年はこちらの10冊。

①「なめらかな世界と、その敵」
②「暴力と不平等の人類史」
③「『ついやってしまう』体験のつくりかた」
④「平場の月」
⑤「アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した」
⑥「21 Leassons」
⑦「説教したがる男たち」
⑧「死にがいを求めて生きているの」
⑨「言い訳」
⑩「羊飼いの暮らし」

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