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シェイクスピアに妹がいたらーミニ読書感想「自分ひとりの部屋」(ヴァージニア・ウルフ氏)

ヴァージニア・ウルフ氏著「自分ひとりの部屋」(片山亜紀さん著、平凡社ライブラリー、2015年8月25日初版発行)が胸に残りました。「女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない」(p10)という一つの命題を提示する掌編です。

特に印象に残るメタファーが「シェイクスピアの妹」。もしもシェイクスピアに妹がいたとして、彼女は物語を紡ぎ出せたのだろうか?


「お金と自分ひとりの部屋」は、いずれも自立的で不可侵の環境の象徴です。特に重要なのは「部屋」の方。女性はウルフ氏が本書を発表した1929年当時も、今も、その人一人でいられる環境がありません。家族、父親、配偶者、パートナー、子ども、さまざまな他者と「同じ空間」にいることを強いられているというのが、ウルフ氏の問題提起です。

この象徴として、ウルフ氏は「シェイクスピアの妹」の人生を想像します。その妹は、シェイクスピア顔負けの創造性があると仮定します。

 彼女は技術を磨こうにも、その訓練が受けられませんでした。もちろん酒場で夕食を注文することも、真夜中に街路を歩き回ることもかないませんでした。それでも彼女の才能は文学に向いており、たくさんの男女の暮らしを見たい、人びとの生き方を観察したいと切に願っていました。しまいにーー彼女はまだうら若く、シェイクスピアそのひととふしぎなくらいそっくりで、同じように瞳は灰色で、同じように秀でた額をしていましたーー役者兼経営者のニック・グリーン(架空の人物)が彼女に情をかけました。気がつくと、彼女はこの男性の子を身ごもっていました。
「自分ひとりの部屋」p85-86


ウルフ氏は「妹」がこの後、創作者としての自分を追求できない苦しさに耐えかねて自ら命を断つと想像する。それは誇張ではなく、ウルフ自身が味わった体験を基にした切実な想像だと思うのです。

もしも「妹」にお金があれば。誰にも邪魔をされず、「情にかける」ことを必要としないような「自分ひとりの部屋」があれば。この世界にはシェイクスピアと共に、彼女の戯曲を人類の最大遺産として記憶していたかもしれません。

女性が望むように創作する「部屋」は、現代にも足りていない。本書を読んで顔を上げた時、そのとこを痛感すべきなのだと思います。

本書を読もうと思ったきっかけは、オルナ・ドーナトさんによる「母親になって後悔してる」とつながるであろうと考えたためです。タイトル通り、母親になることの後悔を聞き取り、一つに束ねたノンフィクションでした。

母親になる後悔を抱えた女性は、そのことを言語化することを社会に禁じられていました。これを踏まえると、ウルフ氏の言う「自分ひとりの部屋」は、物理的なものに限らず精神的なものでもあると感じられます。

もしも部屋に一人だけなら、社会的に許されない思いも独り言として吐露できます。他者に絡め取られ、逃げ場がない女性だからこそ、そんな思いが自分自身のためだけにも言葉にできないのです。

こう考えると、「自分ひとりの部屋」は未だ確立できない理想という程度ではなく、どんどん失われている、と言う方が正確なのかもしれません。

(「母親になって後悔してる」の感想はこちらに書きました)

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