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「あなた」への言葉が万人の胸を打つーミニ読書感想「百年の手紙」(梯久美子さん)

ノンフィクション作家、梯久美子さんの「百年の手紙」(岩波新書、2013年1月22日初版発行)が胸にしんみり沁みました。田中正造氏が足尾銅山の公害被害を明治天皇に直訴した1901年の書状にはじまり、20世紀の100年間にさまざまな日本人が綴った手紙と、その時代背景がテンポよくまとめられています。

手紙とは、たった一人の「あなた」に向けた言葉。それが時の試練を超えて、万人の胸を打つ。当たり前かもしれませんが、あらためて雨のように名高い手紙の言葉を浴びると、実感は大きなものです。


たとえば胸に残ったのは、歌人、宮柊二氏が日中戦争の戦地から妻英子氏へ送った手紙。召集直前にお腹に宿った子どもが生まれことを知った喜びが表現されています。

もう暗くなってゐたが、戸外にぬけ出し綺麗な大気を吸へるだけ吸つて、じっと空を仰いでゐた。体の中を何かが駆けめぐつてやまない。嬉しいよ。どんな顔をした女の子だらう。お前は嬰児の側に臥てゐるだらう。きっとよく似てゐるね。
「百年の手紙」p59


あるいは、同じく日中戦争に従軍看護士として出征した諏訪とし氏から夫への手紙。

いっしょにおりました頃は、いろいろと不足は言っておりましたが、それでも日本一好きな人でした。それが、こうして離れてみれば、もうもう世界一好きな夫になりました
「百年の手紙」p75

田中正造氏の言葉は、悲しみと苦しみをなんとか伝えようとした切実なもので、本書にはそうした真に迫る手紙もたくさんある。それでも私はどちらかといえば、愛や喜びを綴ったこれらの手紙から目が離せなくなったのでした。

それは、この愛や喜びが、悲しみと表裏一体だからでしょう。宮柊二氏は、本当はこの手で抱きしめたい我が子に会えない。ただ想像するしか叶わない我が子へ、そして我が子を産んでくれた最愛の妻へ、なんとかその万感の思いを伝えます。

諏訪とし氏は、夫への溢れる愛をストレートに表現したこの手紙を最後に、戦地で命を落としたと言います。この愛は、死と隣り合わせに語られた愛でした。

田中正造氏の直訴状は反対に、故郷への愛に裏打ちされた悲痛な思いと言えるのかもしれません。

またこれらの手紙を読む時、「あなた」への私信は今日においては極めて困難であることも思わざるを得ません。LINEのやり取りが、ここまで切実なものを帯びるのだろうかと考えさせられます。

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