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シンパシーではなくエンパシーのための物語ーミニ読書感想『ジャクソンひとり』(安堂ホセさん)

文藝賞受賞作で、芥川賞候補作にもなった安堂ホセさん『ジャクソンひとり』(河出書房新社、2022年11月30日初版発行)が面白かったです。ブラックミックス、つまり日本においては「黒人とのハーフやクォーター」として括られる男性の物語。正直、読了しても主人公の気持ちはわからない部分が多い。これはシンパシー(共感)の物語ではなく、エンパシー(感情移入)の物語 です。


たとえば、主人公と、ブラックミックスの仲間たちとのこんな会話。金曜ロードショーとおぼしきテレビコーナーで、『君の名は。』とみられるアニメ映画を観て、彼らは「マンガは嫌いだ」と口を揃える。

   「俺も。白紙に黒い線引いて、はい、輪郭です。はい、白紙部分は肌です。自分たちと同じ人間です、って素直に思い込める人間なんて、どんだけお気楽なんだよって感じ。いっつも見るたびに、マジで視界に入るたびに不快なんだよね。メシと夕焼けを緻密に書き込むより先に、もっとやることあんだろうがよ。鬱アニメとかって言うけどさ、そもそもアニメとかマンガの存在自体が俺にとって鬱なんだが」
『ジャクソンひとり』p59-60

マンガが黒線で輪郭を描き、その中の白色が肌だと自明にしている。たしかにこのコンセンサスは、「肌の色は白っぽいもの」「黒は肌の色ではない」という、ブラックミックス排除の上に成り立っている。

でも、私は黄色系の肌色ですが、正直、この違和感、絶望の深さを想像できない。本書に出会うまでは想像すらしなかった「鬱」です。

そして、読んだからといって共感するわけでもない。必ずしも。仕方なくないか?とも思ってしまう。でもきっとそれが、マジョリティの傲慢なんだろうなとは思う。その現実を突きつけられる。

本書はあくまでブラックミックスの側に立つ。だから日本におけるマジョリティの黄色系肌色の読者は肩身が狭いし、モヤモヤする。本田勝一にならっていえば、本書は間違いなく「殺される側」から書いている小説です。

共感できないとしたら、この物語の何が楽しいのかと問われるかもしれません。でも実は、マジョリティにとっては共感できないことが、本書の楽しみなのだと思うのです。

鴻巣友季子さん『文学は予言する』(新潮選書)によると、いま欧米では共感しやすい「リレータブル(relatable)」な本が読まれやすい現象があるといいます。共感し、自己同一化できる本が支持される。それを鴻巣さんは「自撮り読書」とも指摘します。

でも本当に重要なのはシンパシーではなく、エンパシーではないかと訴えます(『文学は予言する』p278)。シンパシーは「相手と思いが一つになる」のに対し、エンパシーは「思いは一つにならないが、その異なる思いを想像する」ものです。

本書はシンパシーを呼ばない(マジョリティにとっては)。むしろ、マジョリティのシンパシーを拒絶しているともとれる「棘」があります。だからマジョリティ読者は、安易に分かったとは言えない。それが、マジョリティにとってはエンパシーのチャンスを提供してくれているのです。

きっと私は本書のことを分からない。分からないでいいんだ。分からないなりに想像することにこそ、本書の価値はある。



『文学は予言する』の感想はこちらです。

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