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「切り捨てられるもの」を掬い上げた最高のゴースト・ストーリーーミニ読書感想「踏切の幽霊」(高野和明さん)

高野和明さんの久し振りの長編「踏切の幽霊」(文藝春秋、2022年12月10日初版発行)が、触れ込み通り最高の幽霊譚(ゴースト・ストーリー)でした。これは「心霊ネタ」を通じて、世の中から切り捨てられるもの、切り捨てられる人の苦悩を掬い上げた素晴らしい物語でした。


主人公は、元新聞記者の女性誌記者。「事件屋」として昼も夜もなく働き続けた主人公ですが、妻の死をきっかけに糸の切れた凧のようになる。振るわない日々を送っていたところ、編集長から一枚の心霊写真を取材して、オカルトものの記事を書くよう要請されます。

それは、下北沢の踏切で女性の幽霊が映り込んだというもの。飛び込みをした誰かの呪縛霊か?ところが主人公が鉄道会社などに取材を進めても、現場の踏切で人身事故は久しく起きていない。

では、この幽霊は誰なのか?ここから物語は動き出し、以後、濁流のように読者を翻弄します。

「心霊ネタ」「オカルトもの」と書いてみたように、幽霊譚は基本的に「半笑い」で語られるのが普通です。なぜなら、幽霊がいることが本当なら、現実の道理と辻褄が合わない。一方でそれを嘘だと決めつけるなら、心霊写真などの現象を説明できない。「おかしなこともあるもんだね」と、苦笑しながら語るしか道がないのです。

もしも本気で幽霊を信じ、その存在をありのまま報道しようとすれば、その記者は精神的な疾患が疑われることになるでしょう。だから幽霊譚はジャーナリズムにおいて、最初から「真剣に語らないこと」が確約された存在と言えます。

しかし主人公は、この原則に逆らっていく。幽霊として映り込んだこの女性は誰なのか、とことん突き詰めていく。もちろん、そうして得られた真相が、その通りには掲載が難しいことは承知の上で。

その生真面目さが道を開いていきます。

ここまで語った時、本書は幽霊譚ではなく、「刑事もの」あるいは「犯罪ミステリー」なのではないかと思う方もいるでしょう。しかし、本書は紛れもない幽霊譚です。硬派なのに幽霊譚であることが、最大の魅力なのです。

主人公が女性の幽霊に真剣に向き合うのは、妻を亡くしたという経験が大きい。

  玄関のドアを開けて明かりのない部屋に入ると、心霊ネタの発注を受けたのを思い出し、自嘲の笑いが浮かんできた。この世に幽霊などいないのは、松田には分かり切っていた。彼自身が、ずっと妻の魂を探してきたからだ。たとえ姿は見えなくても、気配だけでいい、妻がまだ近くにいるという徴を松田は求め続けた。
「踏切の幽霊」p32

幽霊がいてくれたら。そう願ってやまず、そしてその願いを裏切られてきた主人公。だからこそ、幽霊を信じない。だからこそ、踏切の幽霊らしきものが訴える「声なき声」に耳を傾ける。

ないものとして、笑いものとして、取るに足らないものとして、見て見ぬふりをしてきたもの。それに向き合うことの難しさを本書は教えてくれます。そして、私たちが人生に傷付くとき、その「切り捨てられたもの」と接続する回路が開かれるという、ほのかな希望を抱かせてくれます。

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