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こんなにも美しい物語世界はほとんどないーミニ読書感想「十二月の辞書」(早瀬耕さん)

早瀬耕さんの新作長編「十二月の辞書」(小学館)が美しかった。こんなにも美しい物語世界を、私は滅多に知りません。早瀬さんにしか描けない。早瀬作品にしかない静謐さと透明さ。存分に味わうことが出来て幸福でした。


早瀬作品が美しいのは、磨き抜かれた純情がそこにあるからです。

本書の筋書きは、高校生の時に「大人になったら結婚しよう」と誓い合ったものの別れ、15年も音信不通だった元恋人から突然、奇妙な依頼を受けるというもの。それは「私生児だった自分に亡くなった父が遺したという肖像画を、父のアトリエから探して欲しい」。主人公は承諾し、札幌の住まいから函館のアトリエに向かいます。

これはあまりにもピュアすぎる。私たちは、15年ぶりに元恋人に連絡することはほとんどない。奇妙な依頼を、その子のためにやってあげるほど愛情も持続しない。でも、早瀬作品の登場人物はそれをやってのけるし、それを受け入れる。しかもそこに表裏はなく、本当に心からの願いと応答なのです。

私たちはそこまでお人好しではない。真剣ではない。優しくはない。なのに、もしかしたら人間は「そうあれるのかもしれない」。そんな希望を抱かせる、ある種のきらめきが、本書にはある。

早瀬作品の美しさのもう一つの要因は、選び抜かれた言葉です。特に、登場人物の台詞に注目してほしい。たとえば、主人公と、主人公を手伝うことになる女子学生のこんな会話がある。

  「この雪を名残雪って呼ぶのは簡単だけれど、終雪かどうかは七月三十一日まで確定できないんだ」
  「七月に雪が降るはずがないのに、八月まで待っちゃうのって、なんだか恋みたいですね」
  佐伯は、その言葉の意味を説明する前に、ミルクパンをストーブから持ち上げて、一旦キッチンへと行ってしまう。
  「恋の始まりって、ちゃんと覚えていますよね。告白した日でも、初めて手をつないだ日でも、ひとつひとつ確認しながら、冬の始まりを感じるんです。それで、この雪が根雪になるんだろうなって確信してから、初めてキスをするんです」
「十二月の辞書」p152

恋は雪に似ている。佐伯(女子学生)の台詞からは、恋のときめきの始まりと、今年最初の雪を見上げた時の高揚感の重なりがくっきり浮かぶ。

台詞はこのあとも続き、最後の雪がいつだったのかは夏になってみないと確定できないように、恋の終わりもまた、終わってみてからしか分からないことが語られる。その言い回しも美しい。

本書は、こうした美しい言葉の重なりを楽しむ会話劇でもある。それは手のひらに乗った瞬間に溶けてしまう雪の粒のように、儚く、でも心震わせるものとして私たちの目の前を舞います。

純真で、痛々しいほどまっすぐな主人公たちは、果たしてどのような物語を歩むのか。主人公がたどり着いたアトリエには多数の本が並び、アトリエというより書庫としか言えない建物でした。その中に、果たして元恋人の肖像画はあるのか。隠されているのか。そして仮にあったとした、そこには元恋人のどんな表情が、どういった理由で描かれているのか。

美しい人たちが、美しい会話を重ね、謎を追う。それはあまりに出来すぎたようで、逆に「摩擦」を感じる面もあります。

しかしながら、やはり、私はこれ以上に透徹した美しさを持つ物語世界を知りません。

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2020年に出版された早瀬さんの短編集「彼女の知らない空」の感想はこちらに書きました。


早瀬さんを知るきっかけとなった「未必のマクベス」の感想は旧ブログに書きました。オールタイムベストの思い出深い一冊。

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