見出し画像

禁じられた感情を言葉にするーミニ読書感想「母親になって後悔してる」(オルナ・ドーナトさん)

イスラエルの社会学者オルナ・ドーナトさん著、「母親になって後悔してる」(鹿田昌美さん訳、新潮社、2022年3月25日初版発行)に心を揺さぶられました。タイトル通り、母親になって後悔しているという、現代社会において言葉にすることを禁じられた感情に正面から向き合う。この後悔を言語道断だと封殺していた社会、ひいては自分自身を省みる一冊となりました。


本書は、妻から「面白そうなので読んでみて、感想を教えて欲しい」と要望があったことをきっかけに手に取りました。他ならぬ母である妻(女性)から寄せられた、母親になることへの後悔への関心。この後悔は、さまざまな女性の胸に眠っているのではないか、と思わされました。私自身(男性)も本書への関心が募りました。

正直、本書を黙って買って読み、家の本棚に挿していれば、妻から怒られるのではないかといぶかしんでいました。「母親になって後悔してる」という本を夫が読んでいれば、それは「父親になって後悔してる」と読み替えられるのではないか、と。

本書が炙り出そうとしているものはまさに、「母親になって後悔してる」という一言に付随するこうした不安、懸念、社会的通念への恐怖です。つまり、親になることと後悔の感情を結び付けることが、「異常」「冷酷」「子への虐待」などさまざまなネガティヴな現象に直結することです。

つまり女性たちは、母親になることを「喜ぶ」ことだけが社会的に求められる。「後悔している」と訴えることを禁じられている。仮に「後悔している」と表明しても、「それは産後うつだよ」「いずれ満足に変わるよ」と、回復のストーリーに回収される。本書はその構造を白日の元にさらします。

本書は、イスラエルで実際に、母親になったことを後悔している女性23人へのインタビューをまとめたもの。彼女らの言葉を丁寧に、定性的に紐解くことで、なぜ後悔が社会的に共有されていかないのか、その背景要因をクリアにしていく。

もっとも興味深いと感じたのは、多くの女性が、「母親になった後悔と、子どもたちへの気持ちは別である」と語っている点でした。ある母親はこのように語っています。

子どもができて母になったことを後悔していますが、得られた子どもたちは愛しています。ですから、きちんと説明できることではないのです。もしも私が後悔するなら、あの子たちがいなければいい、という話になります。でも、あの子たちがいないことは望みません。私はただ、母でいたくないだけです。
「母親になって後悔してる」p114-115

一見すれば矛盾です。倒錯とも取れるかもしれない。でも、立ち止まって考えてみれば、それはそれで成り立つのです。生まれ、共に生きる子どものことは愛している。しかし、母としての自分が、役割の固定化が、自分の人生としてしっくりこない。

この峻別、微妙なニュアンスは、「母親になって後悔してる」という訴えにじっくり耳を傾けなければ汲み取れません。性急に「おかしい」と否定せず、彼女たちの言葉をゆっくり考えることでしか、納得には至れません。

本書は、このゆっくりした思考を求めるものです。母親になった後悔は、簡単に癒せるものではない。そもそも癒せるものかも定かではない。それでも、私たちは耳を傾けるべきである、と。

なぜならば、性急な思考こそが、彼女たちの後悔を黙らせてきたからです。それによって私たちは、母親になった後悔という「不都合な真実」から目を逸らしてきた。

本書のエピローグの言葉が胸に残ります。

「なぜ母になった後悔について話すのか」という質問は、裏返して考える必要がある。「母になった後悔について黙らせたその結果は?」と。存在しないふりをしようとするとき、誰が代償を払うのか?
「母親になって後悔してる」p292

私たちは、「母親になる後悔を言葉にして何になるの?」「何の解決にもならないのでは?」と発言しているその瞬間、女性の尊厳の一つを踏みにじっている。だから、問いを裏返さなくてはならない。そのための一歩がきっと、本書を読むことなのだと思います。タブーを知り、タブーを抱えさせられた人の言葉に耳を傾けることなのだと思います。

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,462件

#読書感想文

188,091件

万が一いただけたサポートは、本や本屋さんの収益に回るように活用したいと思います。