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すこし不思議でシリアスで不思議―ミニ読書感想『冬に子供が生まれる』(佐藤正午さん)

佐藤正午さんの最新作『冬に子供が生まれる』(小学館、2024年2月4日初版発行)は、佐藤作品らしさ全開、佐藤作品ど真ん中の物語でした。SFをサイエンス・フィクションではなく「すこし・不思議」の略だと解釈したのは藤子・F・不二雄さんだったか。佐藤作品もまさにすこし・不思議で、かつ、シリアスで不思議(SF)なのが良さだなと思います。

「今年の冬、彼女はおまえの子供を産む」(p5)。

本編の1ページ目、物語はこんなメッセージから始まります。何か変。「今年の冬、彼女が私の子供を産む」なら分かります。父親なら当然、知っている。でも、彼女が出産するのは「おまえの子供」だという。おまえの子供を産むと、別の誰かから宣告される状況とは一体何か。しかもこのメッセージは、知らない番号から送りつけられている。

しかも、受け取った男性には「彼女」に心当たりがない。つまり、可能性として一番現実的な不倫、不貞行為ではないのです。送り主も分からないし、彼女も誰か分からない。あまりに不思議だけど、笑って見過ごすことも難しい。だって「子供」だから。すごくシリアスです。

直木賞を受賞した『月の満ち欠け』は、「生まれ変わり」をテーマにしていた。これも不思議で、シリアス。本作も、もやがかかって、だけど感じる湿度は現実的な、佐藤ワールドの予感がする。

不思議な事象を極めて現実的な筆致で描く物語は「マジック・リアリズム」と呼ばれると思いますが、佐藤正午さんの描き方はちょっと違う。主人公を含め、不思議な事象を受け止めきれない人が多い。でも、巻き込まれてしまう感じ。作中で登場する台詞が、その塩梅を言い表している。

先生、トイレで用を足して水を流すでしょう、その水がどっち向きに渦を巻いて流れるか知ってますか。そんなの人はどっち向きなんか気にしませんよ、ある日逆向きに流れ出したとしても誰も気づかない。俺だって、まさかそんなことが起きているとは気づかなかった。これは笑うところじゃないですよ先生

『冬に子供が生まれる』p219

ある日、トイレの水がつくる渦の方向が逆になっても、その謎を解明しようとは誰も思わない。そういう現実感を、本書は大切にする。物語だからといって、その小さな謎が世界の謎に連結するわけではない。でも、そこに違和感を持った登場人物は、その謎から逃げることはできない。だから真剣で、聞き手となっている「先生」に、「これは笑うところじゃないですよ」と付言するのです。

こんな微妙な塩梅を、不思議だけど人生につながるようなシリアスさを、描くことができるのは極めて文章が美しいからです。たとえばこんな場面が胸に残る。

ひとりのとき、たとえば、ひとり俯いて食事をしているときなどに、わたしはよくマルユウのことを考えています。おなじようにひとりで黙々と晩ご飯を食べているだろうきみのことを。肉野菜炒めだとか、マカロニサラダとか、豆腐のお味噌汁だとか、ふだんわたしが作るようなものを、東京のアパートできみも涙を流しながら玉葱を刻んだり、自炊して小さな座卓で白ご飯と一緒に、子供の頃の躾を忘れずきちんと三角食べしている様子を想像します。たんなる想像ではなく、心だけそっちへ飛ばして、きみのそばへテレポートして、心眼で映像を見ているような気持ちになることがあります。

『冬に子供が生まれる』p125

リズム、長さ、つながり。肉野菜炒め、マカロニサラダ、豆腐のお味噌汁という並びは、この並びでしかかもせない空気がある。研ぎ澄まされて、だけどとがっていない、柔らかい文章。だからこそ、「伏線」や「謎解き」とは違った形で、不思議を描くことができる。

見ず知らずの女性が自分の子を産み、そのことを見ず知らずの誰かから知らされる。読み終えたことは、「たしかにこの場合は、そういうこともある」と思える。そして、もしかしたら私たちの人生にも、同じような不思議が待っているかもしれない。真剣に生きよう。

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