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この本に出会えてよかった2023

今年、強く感じたことは「読むことは光になる」ということでした。

冬が終わる前、幼い我が子に発達障害がある可能性が分かりました。人生で味わった過去の戸惑いとは、比べようもないほどの戸惑い、「この先どうなるのか」と、まさに光を失うような状態が続きました。そこから、一冊二冊。障害や、当事者家族の本を開くごとに、足元が照らされていきました。再び歩み出せました。

本を読む目が変わりました。病や困難に直面した人の語りが身に沁みる。あらゆる物語に、我が子の姿や、我が子の人生のヒントになる何かを見出すようになりました。障害とは異なる苦悩や、社会の無理解に思いを馳せるようになりました。

本に答えは書いていない。我が子がどんな人間に成長し、その人生は幸せなのか、教えてくれる予言書があるわけではありません。しかし本は、我が子と共に歩むための、小さなかがり火になってくれた。今年はそんな意味で、「この本に出会えてよかった」という10冊を紹介します。


①『跳びはねる思考』


我が子が当事者になるまで、発達障害、特にASD(自閉スペクトラム症)とは何か、全く知りませんでした。「普通とは異なる」と感じるだけ。障害名の通り、閉じている。定型発達者とは断絶した存在かのように思っていた自分の「常識」を突き崩してくれたのが本書でした。

著者の東田直樹さんはASD当事者。それも程度で言えばいわゆる「重度」に扱われます。しかし、文字盤を使う独特の方法を駆使して、自らの内面を豊かな言葉で表現している。こんなにも豊かな内面世界があるのかと驚かされました。

ASDの「自閉」というのは、その豊かな言語世界・感覚世界が、周囲と接続するにあたっての障害に過ぎない。自閉というのは、内面が暗黒だという意味ではないのです。きっと、東田さんのように色彩豊かな内面世界は、他の発達障害の当事者にも、身体障害者、精神障害者にも、同様に広がっている。もちろん、私の子どもにも広がっている。

本書は、定型発達者として生きてきた自分と、障害のある世界を架橋してくれました。(イースト・プレス、2014年9月9日初版発行)

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②『発達障害児を育てるということ』


本書は、まるで日記のような、平凡で淡々とした、発達障害のある子の子育てレポートです。その平凡さが、本書の白眉、唯一無二の輝きです。

なぜなら発達障害のある子の子育てというのは、ついつい、いわゆる「ギフテッド」的な方向に傾きがちです。それを「武器にできる」という発想。あるいは、障害をないようにする、もう少し露骨に言えば「普通になる」ための方向性。でも本書は、そのどれにも偏らない中庸を行く。

我が子の発達障害は、「ギフテッドであてほしい」「それでも、普通であってほしい」という期待を連れてきます。そしてそれは、「そうではない」我が子の否定につながりかねない罠でもある。本書の中庸さは、発達障害であることと、平凡であることは、別に矛盾しないと教えてくれました。(光文社新書、2023年11月13日初版発行。柴田哲さん、柴田コウさん夫妻著)


③『大地の五億年』

この本は障害とは全く関係ありません。地球の、広大な大地の話です。土と、そこに潜む生物。両者の歴史の深さ。土に思いを馳せるとき、我が子の障害に悶々とする心が解き放たれるのを感じたのです。高く青く、澄んだ空のもとに歩み出るように。

ブロメニアガニ、という生き物が登場します。水溜まりの中で子育てするこのカニは、酸性物質を放出する落ち葉を懸命に掃除し、酸性を中和する炭酸カルシウムの塊である、カタツムリの殻を投下するといいます。

ブロメニアガニは酸性化のメカニズムを知らないでしょうし、カタツムリの殻が効果を発揮する科学的理由を知りません。でも、それが有効であることを経験からか察知し、懸命に取り組んで入りのです。そこにはたくさんの試行錯誤があったでしょう。

与えられた環境・条件で、懸命に生きる。それは、小さなカニも、私も、そして障害がある我が子だって変わりはないのです。(ヤマケイ文庫、2022年7月5日初版発行。藤井一至さん著)


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④『シャギー・ベイン』

本書は、2022年末から読み始め、年明け、今年初じめて読了した本でした。キリッとした冬の空気と、殺伐としたイギリスの困窮世帯で生き抜く主人公の健気な姿。いまもありありとよみがえります。

『本の雑誌22年年間ランキング』の上位に挙がっていた本書は、600ページ超の鈍器本です。時に、ウトウトきてしまうほど、長い物語。だけど、一部の隙もなく、美しい。冬の星座のように、凍り付いた水たまりのように。

この世界にずっと浸っていたい。そう思える物語世界が広がっていることは、いつだって幸福です。(早川書房、2022年4月20日初版発行、ダグラス・スチュアートさん著)

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⑤『SF超入門』

書評家として尊敬する冬木糸一さん。初の著書である本書から学んだのは「地図を描く楽しさ」でした。

本書は、SFの名作を、生命科学や宇宙、AIなどのジャンル、ハード(硬派)かソフトかなどのテイストといった要素を縦軸・横軸に取り、作品を位置付けていく。そうすると、広大なSF世界(本書では「沼としている」)が、暗闇ではなく鮮やかな世界として浮かんできます。

この地図を描く発想を持つと、読書は点と点が線になるようにつながっていく。たとえば、村上春樹の翻訳論を読むと、「翻訳家としての村上春樹」という座標が新たに見えます。すると、親交がある柴田元幸さんとのつながりが見出せる。

この本は、自分が持つ地図のどこに位置付けられるか。地図は、読書の度に広がっていきます。(ダイヤモンド社、2023年2月28日初版発行)

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⑥『ラウリ・クースクを探して』


その年を彩る小説、というものがあります。「◯◯年はこれを読んだ」という。2023年、それは本書『ラウリ・クースクを探して』かと思います。

舞台は、ソ連崩壊期のエストニア。大国に翻弄される小国。ソ連が隣国ウクライナを侵略し、戦争の終わりがなかなか見えない2023年、イスラエルではガザでの戦闘が激化しました。この物語が時代と共鳴して感じます。

さらに本書は、その小国の、これまた小さな存在にすぎない少年の、しかも、思い通りにいかない人生を描きます。革命に翻弄される無名の人。歴史にならない歴史です。

ある意味では、何もなしえなかった人生。それは、私も、私の子どもも、おそらく含まれるであろう、大多数の市民のありふれた人生です。でも、何もなしえなかった人生は、空っぽの人生ではない。この物語は、「私たち」へのエールに溢れていました。

胸に残ったメッセージを再引用します。

「(中略)この国で、光のある道を生きろとは言えない。だからせめて、おまえさんはまっすぐ、したたかに生きてくれよ」

『ラウリ・クースクを探して』p59

(朝日新聞出版、2023年8月30日初版発行。宮内悠介さん著)

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⑦『幽玄F』

壮麗で重厚な文章と、物語世界。それにひたすら耽溺できるだけでも価値ある小説が本作ですが、実は、「主人公がASD(自閉スペクトラム症)的である」という点も、本書の魅力でもあります。

主人公は、なぜか幼少期から飛行機に取り憑かれていた。空をいく旅客機の機影を見ると、右も左もなく、ひたすら走って追いかける。その姿は、やがて飛行機を追いかける少年の幽霊として、都市伝説になるレベルです。

さらに、主人公は念願の戦闘機パイロットになったあと、とある事情で操縦桿を握れなくなる。「普通」であれば、パイロット経験を活かした地上職を模索してもよいのに、あっという間に自衛隊を退官してしまう。

そんな、一風変わったユニークな主人公を「三島由紀夫をテーマにする」というハードルの高い物語的試みに起用するのが、著者佐藤究さんの面白いところです。おそらく『幽玄F』も2023年を代表する作品の一つになりますが、その主人公がASD的であったことは、ここに記録しておきたいと思います。(河出書房新社、23年10月19日初版発行)

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⑧『くもをさがす』


作家・西加奈子さんが、家族と過ごすカナダで乳がんだと発覚し、その治療に当たる過程を描いたルポルタージュ・ノンフィクション。人生の複雑さと、それでもユーモアを忘れない西作品同様、切実だけどどこか笑ってしまう文章でした。

何より印象的なのは、著者が病と向き合いながら、さまざまな本を読んでいくこと。冒頭に書いた「読むことは光になる」というのが、ここでもひとつ、証明されている。いや、読むことが光になることは、本書を通じて学んだのです。

なぜ自分が?と著者は自問自答します。おそらく、さまざまな困難に直面するさまざまな人が、胸の中で抱える思い。それに、作家である著者が並んでくれる。苦悩する仲間に加わってくれる。

西さんは『くもをさがす』の後、『わたしに会いたい』という作品集を発表します。この中には、乳がんや、その他の病・障害をテーマにした作品も含まれている。病に向き合った西さんが、これからも発表していく名作が楽しみで仕方ありません。(河出書房新社、2023年4月30日初版発行)

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⑨『重い障害を生きるということ』


『くもをさがす』までの8冊はバババっと思いつき、一呼吸置きました。本棚をよくよく見返したとき、「ああそうか、これは忘れ難い」と思い起こしたのが本書でした。華のある本では決してないですが、心の深くに根を下ろし、やさしく土を肥やしてくれるような本です。

タイトル通り、極めて重度の障害と向き合ってきた医師の目線で「重い障害を生きること」を語ります。「重い障害と」ではないのです。障害そのもの、ある意味いのちそのものを、どう生きるのかを問いかけています。

子どもに障害があるであろうと知ったとき、そのときは「障害とは何であるか」が極めてあやふやでした。「普通とは違う」という、漠然とした恐怖。そして、相模原事件のような、「生きる価値」を巡る心無い言葉も頭に浮かびました。

意思疎通や、表現が難しい、全面的な介護なしには生きられない。そうしたいのちを生きること。それを考える上で印象深いのは、さまざまな制約があっても、その人にとっての豊かさがあるということでした。次の文章は、脳がなく、医学的には表情すらない子どもの保護者の言葉です。

「かっちゃんは暖かいところ、明るいところが大好きで、その暖かく明るい感触を体全体で感じられるときに、よく笑ってれ、もっとも笑顔が多く見られたのが日光浴と風呂に入っているときだったと思う。外に出て、日差しのなかに入ると、太陽のほうに向くひまわりみたいに頭を上へ上へもちあげて、明るい空をじっと見つめているようだった。こんなときは顔がしだいにゆるんで、口を大きくあけ「アー」と笑い出してくることが多かった」

『重い障害を生きるということ』p49-50


そう、制約ある身体でも、日光は気持ちいいし、その気持ちよさを表現する手立てはあるのです。これは、衝撃だし、学びでした。

私は今も、我が子のことがよく分からない。我が子と通じ合えない瞬間は多い。でもせめて、かっちゃんが日光を心地よく感じたような、「気持ちの良さ」をこの子が感じられるようにしたい。そう思い、「親の思い通りにしたい」気持ちを戒めます。(岩波新書、2011年10月21日初版発行。高谷清さん著)



⑩『イーロン・マスク』


公式的伝記『スティーブ・ジョブズ』で知られるウォルター・アイザックソンさんが手掛けた、あのイーロン・マスク氏の自伝。マスク氏は、ASD的傾向があることを公表していて、発達障害の子の親としては気になる存在です。

ネットで出会った言葉で「社会にとっての普通でははなく、この子にとっての普通でいられるようにしたい」というものがありました。発達障害のある本人にとってこそ、自然でいられる状態にしてあげたいとの意味です。本書を読むと、マスク氏はかなり変わった人物だけど、「マスク氏にとっての普通」を生きられてはいる。というか、それぞれの普通を尊重し、結果として社会がかなり複雑なのが、米国社会なのだなと実感しました。

何度も離婚しているし、Twitterの買収のように新しい火種をどんどん取り込んでいくマスク氏。そうではない生き方の方が楽なのは確実だけど、そういう「嵐を呼ぶ男」としてしてしか生きられないのが、マスク氏なんだなと分かりました。

日本とは別の、発達障害者が生きやすい社会のありようはあるし、「自分にとっての普通」を生きる実例もある。成功者や、ギフテッドとしてではなく、ありのままを生きる存在として、マスク氏を見ることができるのが本書でした。(文芸春秋、2023年9月10日初版発行)

【個別感想記事】


きっと2024年も光を探して、たくさんの本を読みます。悩みながらも、鉛を抱えながらも、そんな日々を歩くことが楽しみでなりません。


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2022年の「この本に出会えて良かった」はこちらです。


2021年以前はこちらです。

(2020年)

(2019年)

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