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「自分の軸」なんて何本あってもいい。むしろ、あればあるだけいい。

「自分の軸を持ちなさい」

この助言、よく聞きますよね。
このとき、みなさんは「何本」の軸をイメージしますか?

おそらく、一本の真っ直ぐな軸をイメージした方が多いのではないでしょうか。
でも、それ、誤解かもしれません。

「一本の軸」が引き起こす問題

スタンフォード大学の組織行動学研究において、興味深い発見がありました。 「強い信念を持つリーダー」の下で働く従業員の方が、むしろストレスが高く、創造性が低下する傾向があるというのです。

なぜでしょうか。

強い信念=「一本の強い軸」は、悪意なく、以下の特徴を併せ持つことが多いです。

  • 状況に関係なく同じ判断基準を適用する

  • 他者の価値観を受け入れにくい

  • 新しい可能性を排除しがち

どうでしょう?あなた自身や、あなたの周囲の人たちを見渡して、思い当たる節があったりしませんか?
「信念を曲げずに貫く」ことについて、元P&Gのマーケティング部長であるA氏は、こう語っています。

「私も若い頃は『正しいと思うことを貫く』ことが信念でした。
しかし、グローバルでの仕事を経験する中で、『正しさ』は文化や状況によって大きく異なることに気づきました。
むしろ、複数の価値観を持ち、状況に応じて使い分けられることが、本当の意味での『軸を持つ』ことだと思うようになりました」

インターパーソナルダイバーシティという考え方

この「複数の軸」の重要性は、心理学では「インターパーソナルダイバーシティ」という概念で説明されています。

ハーバード大学のロバート・キーガンは、『成人発達理論』として、人間の成熟度は「複数の価値観を統合し、状況に応じて使い分けられる能力」で測れると主張しています。

具体的には、以下のような発達段階を示しています。

20代まで:単一の価値観で判断
30代:複数の価値観の存在を認識
40代以降:複数の価値観を統合し使い分け

どうでしょう?
よく、(わたしを含めた)年寄りが「若いな~」というときは、「その人がほかの価値観を気にせず、自分のただしいと思う道を突き進む」ときが多いです。
「複数の価値観」があることを知っているからこそ、一つの信念を貫き結果をだすことへの難しさと無謀さが分かっているから。。
その人の難しい選択に対して、敬意を払っているのです。

複数の軸がもたらす効果

では、具体的にどんな効果があるのでしょうか。

Googleが2012年から実施した「プロジェクト・アリストテレス」という大規模な研究があります。180以上のチームを分析し、「効果的なチーム」の要因を探った研究です。

この研究で最も重要な発見は、チームの成功には「心理的安全性」が最も重要だということでした。そして、その心理的安全性を高める重要な要素として、「リーダーの多様な価値観の受容力」が挙げられています。

具体的には、以下のような結果が報告されています。

・複数の視点を受け入れるリーダーの下では、メンバーが自由に意見を言える
・状況に応じて判断基準を柔軟に変えられるリーダーの下では、新しいアイデアが生まれやすい
・多様な価値観を認めるリーダーの下では、失敗を恐れない文化が育つ

この研究結果について、あるIT企業の人事部長は、以下のように語っていました。

「たとえば、新規プロジェクトの立ち上げ時には『挑戦』を軸に判断し、危機管理では『安全』を軸に、人材育成では『成長』を軸に判断する。
この使い分けができるマネージャーの下では、チームメンバーが安心して意見を言えるし、状況に応じた最適な判断ができるんです。
理由はおそらくとてもシンプルで、メンバーから見ても合理的で、発言や提案に対するリーダーの反応が予想ができるから、ですね。」

わたしの顧客インタビューより、一部抜粋

軸を増やすための具体的方法

では、どうすれば「軸」を増やすことができるのでしょうか。

組織学習研究の中で注目されている「越境学習」という考え方があります。これは、法政大学の石山教授らが提唱している概念で、「個人が自分の所属するコミュニティを超えて学ぶこと」を指します。

この「コミュニティ」とは、同じ価値観や目的を共有する集団のことです。
人は、すでにいくつものコミュニティに参加しています。
例えば「勤めている会社」、「同じ業界」のような公式な組織から、「自分の家族」、「親族」、「マンションのご近所さんや自治会」まで。
意外にも多くのコミュニティが存在し、既に所属していることが分かります。

この時、コミュニティを「超える」というのは、これまでの価値観とまったく違うコミュニティの活動に参加をすることを意味します。
凄く分かりやすい例が「普段は東京の大企業で勤務している男性が、知人の手伝いで初めての稲刈りをする」ような状況ですね。
東京や企業という文脈・価値観とはまったく異なる活動に身を投じることを「越境」と呼びます。

石山教授の研究によれば、新しい価値観や視点を獲得するためには、以下の3つのプロセスが重要だとされています:

  1. 実践コミュニティへの参加
    「普段とは異なる価値観を持つコミュニティに意識的に参加することで、自分の『当たり前』が揺さぶられる経験をします。例えば、異業種交流会や社外プロジェクト、副業などの機会は、新しい軸を獲得する絶好の機会となります」

  2. 実践知の獲得と内省
    「新しい環境での経験を、単なる『体験』で終わらせないことが重要です。そこで得た気づきを、自分の言葉で言語化し、既存の価値観と対話させることで、新しい軸として定着させていきます」

  3. 獲得した視点の統合
    「異なる文脈で学んだことを、自分の本来の実践の場に持ち帰り、応用します。このとき重要なのは、単純な『輸入』ではなく、文脈に応じた『翻訳』を行うことです」

「自分の当たり前を揺さぶる」ことについて、ある経営者はこう語っていました。

「毎月、異なる業界の経営者と食事をする機会を作っています。製造業、小売業、IT業界...。それぞれの判断基準や価値観の違いに触れることで、自分の思考の幅が広がっていくのを感じます。もちろんその場で商談につながることは稀ですが、考え方を持ち帰ることが目的なので、いつも大きな成果があります。」

また、キャリアを通じた越境の効果について、リクルートワークス研究所の調査では、複数の業界や職種を経験した管理職の方が、一つの組織でキャリアを積んだ管理職より、状況対応力が高いという結果も出ています。

重要なのは、これらの活動を意識的かつ継続的に行うことです。
新しい軸の獲得は、一朝一夕には進みません。地道な実践の積み重ねが必要なのです。

よくある誤解への回答

ここで、よくある誤解に答えておきましょう。

「それって、ブレているだけでは?」

これは最も多い疑問です。
しかし、認知心理学の研究では、「意識的な使い分け」と「優柔不断」は、脳の異なる部分が活性化することが分かっています。

つまり…

  • ブレる:判断基準があいまい、根拠がない

  • 使い分ける:複数の判断基準を意識的に選択

という大きな違いがあるのです。

「信念がないということでは?」

これも典型的な誤解です。 実は、複数の軸を持つためには、それぞれの軸についてしっかりとした理由と理論武装が必要です。
むしろ、「なぜその軸を選ぶのか」という説明力が求められるのです。

まとめ:成熟とは軸を増やすこと

近年の研究では、VUCAと呼ばれる予測不能な時代において、「一つの正解」や「一つの軸」だけでは対応できないことが明らかになっています。

むしろ…

  • 状況に応じた適切な判断基準の選択

  • 多様な価値観との対話

  • 柔軟な対応力

といった発想で使い分けられることが、これからの時代に求められる能力なのです。

自分の軸は、持てるだけ持ちましょう。
そして、それらを意識的に使い分けることを学びましょう。

それこそが、真の意味での「大人としての成熟」なのかもしれません。

参考文献

『成人発達理論による能力の成長 ダイナミックスキル理論の実践的活用法』加藤洋平著

『越境的学習のメカニズム 実践共同体を往還しキャリア構築するナレッジ・ブローカーの実像』 石山恒貴著

『新時代を生き抜く越境思考 ~組織、肩書、場所、時間から自由になって成長する』 沢渡あまね著


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