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傷跡

 たいせつなものを、持っていきたいと思っても、すべてを持っていくことは難しく、私たちはただ旅人のように発っていくだけだ。と思ってしまうのは、いま私が旅の途上にあるからなのでしょうか。ずいぶんと春めいてきました。あたたかな夜と花粉、快さとむずがゆさの二律背反、これが私の春です。

 ずいぶんと、たくさんのものを捨ててきたように思います。とるにたらないものも、たいせつなものも一緒くたに。そして、忘れなければならなかった記憶も、強いて忘れようとわけではありませんが、ずいぶん忘れてしまったのかもしれません。


おまへが私のところからかへつて行つたときに
あのあたりには うすい紫の花が咲いていた
そしていま おまへは 告げてよこす
私らは別離に耐へることが出来る と

   立原道造「Ⅴまた落葉林で」『立原道造詩集』角川文庫

「私らは別離に耐へることが出来る」そう、なんども呟いていた時期があります。わかるでしょう。別離の直前に訪れる、あの、耐えがたい痛苦のことを。別れることは忘れていくこと、忘れることは残酷なこと……。結局、私は別離に耐えることが出来たのでしょう。そして、忘れていったのです。大切なひとに関することを、薄皮を剥いでいくように。


澄んだ空に 大きなひびきが
鳴りわたる 出発のやうに
私は雲を見る 私はとほい山脈を見る

      立原道造「Ⅴまた落葉林で」『立原道造詩集』角川文庫

痛みを痛みのまま、傷を傷のまま抱えて、私は発っていかなければならなかった。季節は春になっていく、空は大きなひびきを放って、「行け」と号令している。しかし、私はきっと帰ってくる、どこに? 忘れていた記憶の中に。


別れることは忘れていくこと
忘れることは残酷なこと
私はしかし ついに思い出すときが来るだろうと
こころのうちに語りかけもするのです
どこが痛かったか どこが傷んでいるのか
傷をなぞるうちに 浮かび上がる輪郭があると信じて
私は春に 日射しのなかをいっしんに踊る
傷跡が ダンスの軌道をしめす
別れることは忘れていくこと
忘れることは残酷なこと
けれど 傷跡はしずかな軌跡として
傷は傷のまま ひかっているのでした。

   自作

私たちは忘れていく、けれどからだには、こころには確かに刻まれる痕跡がある。別れの時に耐えがたい痛みが走るのは、それほどまでにひとを愛したためかもしれません。その軌道をもって、私はあらたな道を探し出すことが出来るのかもしれません。

歯の浮くようなことを言ってしまったので、今日はここで終わりにします。あー恥ずかし。最後に、『Ⅴまた落葉林で』の最終連を載せておきますね。この詩は『優しき歌』という詩集に収録されています。青空文庫で読めますので、ぜひご一読を。


おまへは雲を見る おまへはとほい山脈を見る
しかしすでに 離れはじめた ふたつの眼ざし……
かえつてきて みたす日は いつかへり来る?

   立原道造「Ⅴまた落葉林で」『立原道造詩集』角川文庫


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