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批評絶頂感

明らかな祈りせめて歌になるまで。美香は今日もオヒメサマごっこを続けている。授業で教科書を男子と共有している。美しいものは夢……、ならば生殖は悪?


俺は笹原っていうんだ、男で、大学生で、部活の所属はなし、そんでもって高校生の時に買ったレスポールを後生大事にもっている。尊敬するのは小林秀雄、池田晶子、懐疑しているのは若松英輔。俺は、あたらしい生存の倫理を探している。


明らかな祈りせめて歌になるまで。美香、俺はお前を批評してやろうと思ってるんだよ。お前の祈りや、前世に持っていたという誉れ高きランスが、どこまで現実を貫けるか、その強度を見たいと思ってるんだよ。俺とお前はある意味では同士だ、生存を祝うために生まれた点において。


最近の現代文学の中で、特に作者の生存やそれにまつわる生物としての自分を描く私小説、それらの中で自分の生存や生殖を恐ろしいもの、極論では悪と表現するものがある一定の領土を占めている感がある。それは当たり前なことであると思う、事実、生存とは「おそろしい」ものであるのだから。それはリルケが「すべての天使はおそろしい」といった意味でのおそろしさである。どこまで行っても他者とは分かり合えず、そして自身について深堀りすればするほどその意味不明さ、そしてグロテスクさが露わになる自身の生存を、どうとらえるべきか、現代の作家は持て余している感がある。


だからこそ、というべきか、笹原秀雄はあたらしい倫理を探し出そうとしていました。それはまるで風車小屋に立ち向かったドン・キホーテの槍のようであったかもしれません。生存とはおそろしく、恐ろしく、畏ろしいとしっている笹原は信じています。いずれ俺は生存の歌を高らかに、喜ばしく歌いあげることができるのだと。


明らかな祈りせめて歌になるまで。美香は朝日の昇る方に駆けていった。すべての善を恐れることなしに。俺はどこに行こうか。せめて体をやわらかにひらこう。踊ろう。歌おう。香油のにおいのあふれた部屋で、穏やかな音楽に身を任せ、奇跡のような自慰をしよう。美香ならわかってくれだろう。私はたちは、呪いのために生まれたのではないのだと。私たちは、生存の鐘を高らかに打ち鳴らすために生まれたのだと。


季節は、春を終えて梅雨に向かいつつありました。笹原は、自分の身体がどんよりとしていることをかんじます。雨雲が体の中に挿入されて、脳みそまで弄くられていることを感じます。これはいったいどういうプレイだい? 笹原は美しい現実を見ているのです。笹原の陰茎から精液が発射されても、世界はいっこうに変わらなかったのです。そしてそれでも良かったのです。日々是好日、それが彼の批評であった。と言っても、彼は怒りはしなかったでしょう。彼の身体の中を、ある藤色の感情が満ち満ちます。それを勇気といっても、やはり彼は嬉しがったでしょう。


行け、笹原、美香の走り抜けていったきらきら国の沃野を、余すところなく批評せよ。お前が美香に片思いしていることは、この直近のお前の批評文学を読んでいれば解る。行け、笹原、真の批評家は時の流れを無効にするのだ。出会え、出会え、きらきら国の美香に、もう二度と筆先を恋で鈍らすな。すべての槍をお前は研げ。すべての生存の鐘を鳴らせ。明らかな祈りせめて歌になるまで。


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