眠れない眠れない眠れない

今の仕事を始めてから生活が不規則になった。朝10時に出勤して翌朝10時に退勤するのであるから尤もだ。外野の人は「それでいつ寝るのか」と思うかもしれない。尤もな意見である。勿論、24時間動き通しだったら僕だって弱音を吐いただろうが、そうではない。携帯が鳴った時だけ、呼び出しがかかった時だけ出動すればそれで良いのだ。携帯が一日に十数回鳴る時もあれば、数回で済む時もある。一回の出動で1時間以上時間を要するのは稀だろう。平均30分程であろうか。24時間の内、どれだけ仕事に時間を費やしているか計算するのは造作もない事である。それ以外は“待機”時間とされているので、具体的な仕事を任されていなくてもタイムカードは時間を刻み続けている。各々が一人でアパートの一室に“待機”しているので、その時何をしているのか上司・同僚であっても知る由がない。よって、深夜の突然の出動に備えて昼寝している仲間もいるのかもしれないが、自分に限って言えば、不思議とそんな事はないのである。出勤前日きっちり睡眠をとっているからだろう。但し、夜が静かであるとは限らない。暗くなるとどうしても眠くなっていつの間にか目を瞑るのであるが、けたたましい音量に設定された携帯が何の前触れもなく突如暴れだすので、そういった時は静かに舌打ちして、真っ暗の中、車のアクセルを強めに吹かせるのだ。一度興奮するとそう簡単には眠れないので、あくる朝、次の日の人間に交代し、家に帰ってから寝るパターンが結局多くなってしまうのである。
不規則な生活となってしまったのは確かだが、特にストレスは感じない。しかし、叩き起こされるのは勘弁、非番にも携帯が鳴っている気がすると言って労基に駆け込んだ人間がいた。人の感じ方はそれぞれだと思うので、その人にとってはその幻聴が全てなのだ。少なくとも僕はそう思う事にしている。誰も脳の中を解剖する事は出来ない。「こう思います。こう感じました」これ程、個人的感性の尊重される世界は中々今迄なかったろう。結果的に、労基から指導が入って、完全休憩を1時間だけ取らされ、逆に睡眠不足に陥っていると先日日記に書いたので、再度グズグズ不満を垂れるつもりはない。
僕は最近、統合失調症で且つ眠れない人に出会った。眠れない人に関しては今迄初めてではなかったので、少し仲良くなってから
「今迄睡眠不足で死んだ人は居ないよ。眠くなったら失神するんじゃないかな(笑)」
と言ってみた。冗談だと思われたのかもしれないが、それだと身体に悪い云々、夜は寝るものだ云々、親にそう教わらなかったか?とも言っていた気がする。
もうこの人にとっては睡眠不足が世紀の一大事なんだろうと思った。僕のアドバイスは確かに具体的ではなかったし冗談めかしてはいたが、事実ではあるので聴き流して欲しくはなかった。直ぐ誰かに影響を及ぼせる程甘いものだとは僕も思っていないが、睡眠薬を手放し薬抜きして“自然”に近づいた自分と薬漬けの“不自然”な自分のどっちが良いだろうか比較検討しようといった想念が一瞬でも走っただろうかと思った。全然評価しようのない初めて出会う考えがこの世には存在する。出会った際「これは極端だ」と感じるのも分かるが、自分の今迄の経験と照らして点検するくらいは最低限、結論を保留して欲しいものだ。それに、いい歳して親とはなんだろう。確かに、小さい頃「早く寝なさい」と親に怒られたものだ。冗談に対して冗談で返されたのかもしれないが、夜は寝るもんだといった固定観念が本気で染み付いているのかもしれない。その枠から外れるとさあ大変だとなるのかもしれない。こんな言いつけを大事に守る中年なんてそうそう居ないと思うが、変な刷り込み教育は、大抵他から指摘されない限りは気付かないからこその刷り込みなのであって他人事とは言えないだろう。
この人にとっての眠れない夜は、ドストエフスキーが描写しているが如くの、次々に強烈な想念が去来するような大変苦しいものなのかもしれない。
「未来が心配だ、こんな自分で良いのか、なんで自分だけ云々」
と、僕が想像するのはこんな調子である。それを味わいたくないが為に薬を飲むのだろうか。但し、不安や焦り、悲しみ怒りは誰でも大なり小なり感じているのだ。精神科の先生はそれをあらかじめ不眠患者に教えてから処方したのだろうか。睡眠薬を飲むと良い夢が見れるんだそうである。これでは味を占めてしまって抜け出せないではないか。健康に害はないと反論されるかもしれないが、飲んで良いものなら皆んな飲んでるだろう。それに連中は、身体が自分だけのものだと勘違いしているからいけない。僕は少なくとも警戒するし、睡眠障害だけならまだしも統合失調症に対しては世間的差別がまだまだ色濃く残っている。これが無知蒙昧から来る偏見ではなくて遺伝として伝わる可能性が存在するのは間違いないのだそうである。自殺してしまいそうなくらい狂っている以外は、認定自体を控えた方が良いのではないか。医者も分かっていると思うが、その額に「統合失調症」という焼印を押す覚悟はあるかと一応念は押したいと思う。
双方努力を貫徹したとはまだまだ言い難い子供っぽい世界が、この界隈で広がっているのではないかと僕は疑っている。


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