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矛盾に見えて矛盾ではない気持ちの同居

実家にいると父が大きな音でテレビをずっとつけたがるから、今は1人暮らしの家に帰ってきて、「ご飯を作るのも食器を洗うのもわたし」状態。体調悪いし「人と一緒にいたほうがいい」って心療の先生に言われているのに。実家で過ごしている間は母とご飯をつくって、食器は食器洗い機が担当してた。誰かとご飯を作るって楽しいよね。


父に、「私は耳と心がつらいので、テレビの音も大きいのは困るし、殺人などをテーマにしたテレビが部屋で流れているのはきつい」って3回言ったのに

裁判もののドラマは見るし。 父:「まだ人は死んでいない」

コナンは見るし。 父:「これは人死なないかも」(ありえん)

父は「自分が見ないときでもテレビつけっぱなしの家」が好きなひとだから(それを当たり前と思っているから)なんかちょっと父に対してあきらめちゃった時が長かったのね。


「パパは娘が大好き」って言うのにおかしくない?

娘のこと大事にしてない!って私は怒っていたけど、


「パパは娘がすき」っていう思いと、

「大きな音でテレビを見たいパパの趣味」が同時にあるだけで

「娘を不快な状態にさせたい」はパパの心に無いのよね。

数式で書いちゃうと「え?」ってなるけど

人の心は=とか>とかじゃないもんね。

でもどうしてもパパの行動から、

「大きな音でテレビを見たいパパの趣味」>

「娘を大事にする気持ち」

=「娘が大好きというのはうそ」

って式を作っちゃってたんだけど。

説明しても「この状況は娘にとって不快」というのが覚えられないだけで(パパにとっては最高の状況だからね。大音量テレビ空間)


「娘が大好きなパパ」はそこにいるんだよねってことを

受け止めたほうが自分が楽かなっておもった。

でも、一緒には住めないね。

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