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土居豊の文芸批評・映画編 『THE DAYS』(2023年 Netflix)をみて、東電福島第一原発事故について改めて考える

割引あり

『THE DAYS』(2023年 Netflix)をみて、東電福島第一原発事故について改めて考える


(1)なんだ、門田本原作かー


話題のこのドラマをみ始めたが、さっそく違和感がある。それもそのはず、よく見ると、原案:門田隆将「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」とある。なんだ、門田本が原作なのか。この本、事実を誇張して描いており、同じこの本を原案にした映画『FUKUSHIMA 50』の出来の酷さの原因は、原作の責任でもあった。
それでも、海外向け配信も含んだネトフリドラマ版、原作は問題ありでもなんとか映像作品として良いものに仕上がっているかもしれない。
だが、それははかない期待だった。
『THE DAYS』の違和感、まず、2011年3月11日当時の民主党政権の菅直人総理役が、どうにも素直に受け入れられない。小日向文世が熱演しているが、ミスキャストだというしかない。
あの時、国会審議中に東日本大震災が起き、委員会は中断した。その場面は国民が中継で視聴できていたはずだが、あんなにのんびりしていただろうか?実際は、「イラ菅」の異名の通り、菅総理は慌てて国会を後にしていたはずなのでは。

さらに、細かい描写なのだが、東電福島第一原発1号機の作業員の一人が、実家の青森に電話している場面も、何かおかしい。青森の家族が、東電作業員に「早く電気つけて」と言うのだ。だが、福島原発は東電管内で、青森に電気を送ってない。あのセリフは、わざとなのか?東電作業員の家族でさえ、それを知らなかったと言いたいのだろうか?
この東電作業員と家族の電話は、もちろん「フラグ」で、その後、大変なことになるのは、残念ながら見え見えだった。

1話、2話を視聴して、違和感はますます大きくなった。
原因の一つは、311当時の民主党内閣の面々が、配役として老けすぎだという印象だ。当時、菅直人内閣の主要閣僚、特に原発事故の対応をすることになったメンツは比較的年齢が若かった。海江田経産大臣は年配だが、特に枝野官房長官は若かった。あんな老け顔の配役は間違いだ。当時の枝野は40代で、いかにも若々しかったし、彼が毎回、会見でがんばっている姿を見て、国民の中から自然発生的に彼を応援する声、ツィッターでの「#枝野ねろ」タグが生まれたのだ。


(2)4話まできてまだ24時間経ってない?


さて、3話は特筆すべき部分がないので4話までいくが、ここにきて脚本が大失敗した、残念ながら。
東電福島第一原発事故を描くこのドラマ、2011年3月11日の発災からこの4話までで、なんとまだ丸1日過ぎていないのだ。それだけ丁寧に現場の状況を描いているとも言えるが、さすがに物語が停滞しすぎだ。
4話はほぼ全編、フクイチ1号機のベント作業の悪戦苦闘を描いている。だがそのほとんどは運転員つまり東電社員の仲間内での、互いを思いやるやり取りや個人の心情の発露に割かれている。この緊急時に、長々とお互いの気持ちを推しはかり合い、決心を確かめ合うものだろうか?
しかも、ベント作業を命じた役所広司演じる所長も、現場指揮官である竹野内豊演じる中央制御室当直長も、肝心の作業指揮能力に疑問符が付きかねないほど、優柔不断な様子で描かれている。本当はどうだったのかわからないが、ドラマとしては、ベント作業の迷走はこの指揮官2人の判断ミスだと言わざるをえない。現場作業の描写が続く中で、特に苛立たしく感じたのは、作業に向かう人選が合理的でないことと、互いをおもんばかるやり取りの過剰さだ。いくら決死の覚悟といっても、現場指揮官なら最善の人選を命じるべきだし、命じられた方もあれこれ情実を語らず作業に向かうべきなのではなかろうか。何しろ、原発事故の進行は対処に一刻を争うのだから。
この4話は、1〜3話以上に視聴してイライラさせられたが、その反面、批評的にみると、このドラマによって日本の発電所現場の致命的な欠点が浮かび上がった、その点だけは評価できる、と無理やりにほめることはできそうだ。
その欠点とは、旧日本軍が持っていた非合理的組織体制の欠点だ。
フクイチ事故でも、明白に見えていた非合理的組織体制、それらを3つにまとめよう。

1)大きな戦略の欠陥
2)少数精鋭主義の欠陥
3)補給の軽視

いずれも、旧日本軍の軍事作戦に多かれ少なかれ見られた欠陥だが、フクイチ事故でも同じように露呈しているのだ。
例えば、
1)戦略の欠陥だ。
原発事故後、そもそも全体指揮を取るべき社長や会長が不在だった。この東電の企業としての大失態を、ドラマではチラリとだけ描いただけだった。
事故現場で指揮をとるのは、役所広司演じる緊急時対策室の吉田所長だ。しかし、彼はあくまで戦術担当の立場であり、作戦自体は東京の本店が決定すべきことなのに、戦略のないまま、東電本店は作戦立案までも現地所長に丸投げしてしまっている。

次に、
2)少数精鋭主義と、
3)補給の軽視
だが、事故の作業現場で放射線量の限界が明確に決まっているのに、人員の補充は事実上考えられていない。現場を担当できるのが少数精鋭の社員しかいない、ということなのだろう。これこそ、少数精鋭主義の欠陥だ。
いくら精鋭でも、補給・補充のないままでは自滅するのは明らかなのだ。実際、フクイチ1号機ベント作業では、精鋭が自滅しようとしていた。
ドラマの中では、かろうじて指揮所から補充員が2名来る。しかし、それも自発的な立候補なのだ。つまり、役所広司演じる吉田所長は現場作業の人員補充を考えていなかったことになる。あるいは、考えたとしても、補充できる人員がいなかったということか。
補給の軽視に関しては、4話以降、これでもかと、コミカルになりかねないほどのバカげた失態が起き続ける。このように、旧日本軍の失敗を継承しているような東電の現場作業は、ドラマの中でも緊急事態に対処できず敗北することが必至だった。

もう一つ追加するが、とにかくイライラさせられたのは、決死隊のつもりでベント作業に向かう人選なのに、なんと自選で立候補した人が選ばれるのだ。しかも、その理由が、なんと遠い昔の学生時代の部活の競技記録だという。こんなばかげた脚本の作り方があるだろうか、それともこれは事実だったのか? 部活の競技成績なんか、事故対応の作業に何の関係があるというのか。


(3)このドラマより東電テレビ会議記録をみよう


続いて、5話に進もう。
東電福島第一原発1号機のベントと、その後の1号機建屋水素爆発、その被害の惨状を克明に描写する。
違和感は、自衛隊の指揮官や隊員たちの活躍ぶりだ。
確か、1号機爆発前、1号機への注水ライン敷設作業は、東電の協力企業の消防隊員たちが駆り出されていたはずなのだ。
一般的には5話の見どころは、役所広司演じる吉田所長の、海水注入をめぐる腹芸ぶりだということになるかもしれない。
しかし、私が最も残念だったのは、枝野官房長官の「殺人罪」発言の描き方だ。あの発言は、ヒステリックに演じられすぎだ。東電の突然の首都計画停電案に対し、枝野官房長官は、自宅で人工心肺などに頼る患者を死なせたら東電を殺人罪だと考える、という趣旨の発言で牽制した。このことはその後、東電テレビ会議の映像ではっきりと証言されているので、事実だったはずだ。テレビ会議映像では、枝野に叱責された側の東電幹部が、憤りを露わにして報告している姿が映っているのだ。
ドラマではなく、ちょっと脱線して東電テレビ会議映像を見ると、あの時の東電幹部のお粗末ぶりがありありと記録されている。東電幹部は自社のことばかり考えていて、治療中の患者のことなど全く念頭にないのは明らかだ。枝野という若い政治家に叱責されたことを恨んでいる年配の幹部の醜い姿が、映像に記録された声にはっきり現れているのだ。
いっそ、この先はネトフリドラマよりも、ネット上に残されている東電テレビ会議映像の方を見ましょう、とお勧めしたくなる。

ところで、『THE DAYS』ネトフリドラマについて、感想ツィートをみると、多くの人が事実関係を知らずに感心したり、ドラマを事実だと誤解したりしている。やっぱりこのドラマは、(それに『Fukushima50』の映画も)、原発事故について知らなかった人々を誤解させるばかりで、有害なのではないか。
このドラマは、「事実に基づく物語」などではない。「この作品はフィクションです」と毎回テロップを出すべきだ。


(4)自衛隊はあんなに活躍した?


気を取り直して、6話。東電福島第一原発2号機への注水作業の悪戦苦闘と、突然の3号機水素爆発を描く。
だが、全国民がリアルにテレビで見たあの3号機爆発、それをドラマで描くのにフィクション描写を入れるなら、放映に「事実に基づく」と銘打ってはいけない。
フクイチ3号機爆発の際、東電テレビ会議映像で明確に記録されているように、吉田所長はその爆発を自分の目で見ようとしたりしていない。このドラマは、原作が門田本だからなのか、妙に吉田所長を活躍させすぎる。
だが事実としてあの時、吉田所長はどういう言動をしていたか映像に記録されてて、YouTubeで視聴できる。ドラマ化するなら、テレビ会議映像に残る部分はセリフや行動を追加したり減らしたりしてはいけない。それをした時点で、ドラマは完全なフィクションになるからだ。だから、本作は完全にフィクションなのである。
フィクションといえば、自衛隊の隊長がやたら活躍するのも、事実に反するのではないか?
少なくとも、3号機爆発に巻き込まれた自衛隊現場指揮官は、東電側に憤っていたはずなのだ。事前に、東電側から3号機爆発の可能性を何も教えられてなかったからだ。おそらく、実際にはドラマのように吉田所長と握手したりしていないだろう。

次に7話、引き続きドラマが事実に反する場面だ。東電テレビ会議映像で、吉田所長が東電本社とやりとりするセリフに、誇張や削除が多すぎる。テレビ会議の映像で見られるように、3号機爆発後、2号機の危機に際して本店が色々言っているが、吉田所長の方も、不眠不休でヘロヘロだった。疲労とストレスのあまりブチ切れて部下に当たり散らす時もあった。
一方の本店の幹部たちの言動も、東電テレビ会議に正確に記録されているものと比べるとかなり変更されており、その分、吉田所長が美化されている。
例えば、自動車のバッテリーを連結して重要な弁を開けようという作戦だが、ドラマでは吉田所長が思いついたことになっている。これは本当なのか?
7話で、菅直人総理が東電本社に乗り込んで統合本部を作った場面だが、これもその前段階の東電本社側の数々の失態が描かれていないから、菅直人がいきなりキレたように見えてしまう。これでは「事実に基づく」とはいえない。やっぱりこのドラマは完全にフィクションなのだ。
フクイチ2号機の危機で、免震重要棟からの作業員撤退がセンチメンタルに描かれるが、そういう描写はドラマをますます甘ったるいフィクションに見せるばかりだ。「事実に基づく」と銘打った作品ならこの時、3月15日に2号機から大量の放射能漏れがあったことをきちんと描くべきだ。


(5)吉田所長の幽霊?

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土居豊:作家・文芸ソムリエ。近刊 『司馬遼太郎『翔ぶが如く』読解 西郷隆盛という虚像』(関西学院大学出版会) https://www.amazon.co.jp/dp/4862832679/