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(加筆修正・新記事追加版) エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第31回  マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団来日公演 1993年 &  マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団来日公演 2013年

(加筆修正・新記事追加版)

エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」
第31回
マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演 1993年

(加筆修正版)
マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル来日公演1986年、加筆

マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団 来日公演 2013年


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⒈    マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団  来日公演  1993年


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公演スケジュール


1993年
1月
26日 長野
27日 横浜

28日
大阪
ザ・シンフォニーホール
R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
ブルッフ ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調
渡辺玲子(ヴァイオリン)
チャイコフスキー イタリア奇想曲

29日 大阪
31日 仙台
2月
1日 東京
2日 金沢
4日 名古屋
5日 福岡
6日 広島
8日 松山
9日 千葉
11日 東京


※公演パンフレットより


オスロ・フィルハーモニーについて
《オーケストラのルーツは、エドヴァルド・グリーグやヨハン・スヴェンセンの時代にまでさかのぼる。グリーグは同オーケストラの創立者であり、最初の指揮者でもある。
(中略)
EMIとは1986年から1992年までの内に、マリス・ヤンソンス指揮で14枚のLPをレコーディングする契約を結んだが、これはEMIの歴史の中でも最大のオーケストラ契約である。
(中略)
1990年5月にはマリス・ヤンソンス指揮によるマーラー交響曲第2番の録音を、ソリストにフェリシティ・ロットとユリア・ハマリ、コーラスにはラトビア国立アカデミー・コーラスとオスロ・フィルハーモニー管弦楽団・コーラスと共に行なった。》


※今回のソリストは予定変更となったが、ノルウェーの歌手として伝統的な歌唱法を聴かせてくれた

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マリス・ヤンソンスについて
《1979年以来、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めており、同オーケストラとのコンサートやレコーディングは大成功を収め、年々、国際的な名声を高めている。特にシャンドス・レーベルに行なったチャイコフスキー・チクルスは極めて高い評価を受けている。
(中略)
1991/92年シーズンは、夏に、シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団と、その後、バンベルク交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン交響楽団、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ロンドン交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などに客演指揮者として共演した。》


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この公演を聴きに行ったのは、実のところ、ヤンソンスを聴こうと思ったのではなく、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」を実演で聴き、指揮者の振り方を見たかったからだ。
当時筆者は高校の吹奏楽部の顧問をしていて、素人ながら指揮者をやっていた。もっとも仕事は国語の教員で吹奏楽指導は完全にアマチュアだった。それまで、特に音楽専門の勉強をしたことはなかったのだ。学生時代に吹奏楽部でホルンを吹き、アマチュアコーラスをやっていたのが、当時の音楽経験の全てだった。けれど、その高校では音楽の専任教員が吹奏楽部の指導を放棄していたので、ちょうど吹奏楽経験のあった筆者が、赴任して来てすぐ顧問を任された、という事情だった。
学校の行事の伴奏として、吹奏楽部はR.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラ」の有名な冒頭部分を、無謀ながら吹奏楽編曲で演奏することになった。

そこで、筆者は自分でスコアを買い、編曲もして、吹奏楽部に練習させた。スコアでみると、CDで聴きなれていた印象とは全く違っていた。最初のトランペット・ソロから、トゥッティで全員が入る部分を、どうやって合わせたらいいのか、素人指揮者としてはよくわからなかった。それでも普通に4拍振ってみて、なんとなく吹奏楽部員もアウフタクトから入ってきてくれていた。
ところが行事の練習で、音楽の専任教員が電子オルガンで演奏に加わったとき、文句を言われた。筆者の指揮がわからない、と散々に怒られたのだ。

「そりゃそうだろうさ、俺はただの素人だ。文句があるんなら、あんたが吹奏楽部の顧問をやれよ!」


そう言いたかったのだが、その場は、ぐっと言葉を飲み込んで堪えた。
その音楽専任教員は曲がりなりにも音大卒で、指揮法も知っていたのだろう。筆者の素人指揮を散々にけなして、「こんな指揮では演奏できない!」と、生徒たちの前で筆者に言い放ったのだ。
あんまり悔しかったので、筆者は「ツァラトゥストラ」の冒頭の指揮をどうしたらいいのか、演奏の映像で調べようと思い立った。
最初はカラヤン指揮のベルリン・フィルの映像を、ビデオテープで買ってきて(相当な値段だった!)、観てみた。
ところがカラヤンの指揮は、ほとんど楽員に指示を出していない。目を閉じて両手を優雅に操る指揮ぶりで、あの「ツァラトゥストラ」の冒頭でもまともな合図なんか出していないのだ。もちろん、ベルリン・フィルだからそれで大丈夫なのだろう。結局、素人指揮者の参考には全くならなかった。
当時、クラシックの映像は多くは出回っていなかった。VHSビデオかLD(レーザーディスク)で、販売ソフトがあるにはあるのだがいずれも馬鹿高い。「ツァラトゥストラ」の映像も、カラヤン&ベルリンフィルの映像以外、見かけない。そもそも、筆者はLDプレーヤーなど持っていなかった。そんなわけで困り果てていたところに、ヤンソンス指揮のオスロ・フィルが来日し、なんと「ツァラトゥストラ」をやるということを知った。
そこで、すでに演奏会直前だったが聴きに行くことにした、という事情だったのだ。幸か不幸かその当時、ヤンソンスはまだまだ人気指揮者ではなく、公演直前でもチケットは十分買えた。
そうして当日、いざ、シンフォニーホールで問題の「ツァラトゥストラ」の演奏ぶりを、それこそ目を皿のようにして観た。
けれど、残念ながらこの演奏もあまり参考にはならなかった。
やはり、プロの指揮者というのは、練習でどう振っているのかは知らないが、本番では、きっちりと奏者に指示出したりしないのだということがよくわかった。この時のヤンソンスは、カラヤンの場合ほどわかりにくい振り方ではないが、タクトをゆらゆらさせつつ拍子を刻むばかりで、「ツァラトゥストラ」の冒頭のトゥッティではオーケストラに指示は特に出していなかった。それでも、オケはきちんと揃って、トゥッティの和音を大音量で響かせたのだ。やはりプロのオケはすごいものだ、と改めてそんな感想を抱くしかなかった。
その後も、自分の吹奏楽部の演奏では、素人なりに我流の指揮をするしかなかった。音楽教員もそれ以上は悪口を言わなかったのだが、影で何を言われていたかはわからない。
ようするに「音楽教師ならちゃんと吹奏楽部を指導しろ!」という話だ。

だが、それはそれとして、ヤンソンス&オスロ・フィルの「ツァラトゥストラ」は実に素晴らしい演奏だった。かつて、ヤンソンスがムラヴィンスキーの代役でレニングラード・フィルを振った時は、あんまりがっかりしてしまったので、まともに聴いていなかったのだが、今回は、実に見事な指揮ぶりに、惚れ惚れした。


※前回のヤンソンス来日公演
エッセイ「クラシック演奏定点観測〜バブル期の日本クラシック演奏会」第8回 レニングラード・フィル 来日公演1986年
https://note.mu/doiyutaka/n/nb958bb9cf028


※加筆記事

マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル来日公演1986年、加筆


https://note.com/doiyutaka/n/n575a79990abc

マリス・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル来日公演1986年、以下のように加筆した。
86年のレニングラード・フィル来日公演、下記の既出記事のように、筆者は大阪で聴いたのだが、NHKが記録していた東京公演での音源が、ついにCD化されたのを、さっそく買って聴いた。
※ショスタコーヴィチ:交響曲第5番『革命』、チャイコフスキー:交響曲第4番 マリス・ヤンソンス&レニングラード・フィル(1986年東京ライヴ)



それ以来、ヤンソンスびいきになったのだが、当時はまだ、若手のホープという位置で、のちのような巨匠ぶりは、想像できなかったのだ。
その後、久しぶりにヤンソンスの指揮を観たのは、オスロ・フィルの時からはるかに年月を経た21世紀の東京だった。そのヤンソンスの公演をみた時の感想も、以下、合わせて掲載したい。



⒊  マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団 来日公演 2013年


マリス・ヤンソンス指揮、ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団演奏会
2013年11月18日(月)
東京文化会館
【プログラムB】
ワーヘナール:序曲「じゃじゃ馬ならし」op.25
ストラヴィンスキー:バレエ「火の鳥」組曲 (1919年版)
チャイコフスキー:交響曲第5番ホ短調op.64

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この日の東京文化会館には、開演前、皇太子ご夫妻がいらして、満場の拍手に応えておられた。演奏中も、和やかに楽しんでおられたようだ。
その日のニュースによると、天皇皇后両陛下は、同日に公演のあったベルリン・フィルにお出でだったとのこと。
きくところによると、日本の皇室はクラシックの演奏会で、他の王室の習慣とは違って先に退出せず、ステージに向かって拍手なさる習慣だそうだ。
確かに、この夜も皇太子ご夫妻はずっと拍手なさっていた。ステージでは、指揮者のヤンソンスがコンマスと顔を見合わせ、苦笑いして困った様子だった。ヤンソンスにとっては、皇室ご臨席の初体験だったのだろうか。

※コンサート開演前の東京文化会館

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さて、
ヤンソンス指揮のロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏だが、正直、チャイコフスキーの交響曲第5番で泣けたのは初めてだった。4楽章を聴いていて、「曲が終わってほしくない、ずっと聴いていたい」と思ったぐらいだ。チャイコフスキーで、これほどの多彩で深くえぐった演奏ができるとは!
1楽章の終結、断ち切るように終わったのが衝撃的だった。2楽章のホルンソロの奇跡のような弱音、温かい血の通った音色。耽美的なまでにすすり泣く弦セクション。終結部は、まるで曲の終わりのような静寂。3楽章は、あくまでも優美に。そして意志的な力感のこもった4楽章。ほとんど交響組曲のような、大胆なデフォルメぶり。コーダでの、弦のタテノリには唖然とさせられ、思わず手拍子したくなった。
あの響きのデッドなホールで見事なバランスを保つ、コンセルトヘボウはおそるべきオケだ。にくいまでにコントロールされており、音の絵巻を繰り広げていた。
指揮者ヤンソンスは、わざ師だ。「火の鳥」とチャイ5という、手垢のつきまくった有名曲から新たな魅力を引き出す。その指揮ぶりは、あくまでもリズムが確かで、しかもフレーズを雄弁に操る。まさしくカラヤンの後継者だといえる。》

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