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働く集団のベクトルを合わせる

10月12日

今週の前半は中学校でのプレゼン授業、後半は東京3Daysで、台風直前に大分に戻ってきた。金曜日の東京は台風前でざわざわしていて、大型電気店のモバイルバッテリーが全部売り切れていたり、水や食料品がコンビニから無くなっていたり、災害への備えをする様子があちこちで見られた。


九州にいると、台風はわりと頻繁にやってくるので少しその辺りが鈍くなってしまう。せいぜい家の周辺で飛びそうなものを片付けるくらいだ。今日の夕方がピークらしい、大分でも風の音がすごい。あまり被害が出ず、スーッと通り過ぎてくれることを祈るばかりだ。我が家の田んぼは先週バタバタと稲刈りを済ませたので、悩みのタネは一つ減った。新米が楽しみだ。

さて今週は、学校を取り巻く本当に嫌な事件が起きてしまった。職員同士でのいじめである。というか傷害事件だ。あんなことは絶対に起きてはいけない、と思うことが起きてしまった。


今週のブログは「働く集団のベクトルを合わせる」というタイトルで書いてみる。以前も書いたが、学校の中では様々な人たちが仕事をしている。校長、教頭、教諭、養護教諭、栄養教諭(職員)、事務職員、一般的には以上だが、それ以外にも自治体の費用で雇用されている支援員さんや、加配措置で入っている職員、事務補佐などだ。子どもたちに直接関わる大人は意外と多い。そして、出入りする業者さんや、地域の人、PTAなど様々な人がいる。学校という場所にいる以上、子どもたちのために、という思いでみんな働いているはずだ。

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もちろんそこには人だから人間関係が存在し、大人同士の関係性もある。公立の場合は異動が必ずあるし、校内人事によってその距離感は大きく変わるので、一定ではない。私自身も合わない教員と組む年もあったし、精神的に辛い一年を過ごしたことも何度もある。それはお互い様だ。

様々な年齢やキャリアを持った先生たちが、ほぼフラットな立ち位置で勤務する学校は、会社のような縦関係ではなく、横関係だ。多少の中間管理職はあるものの、同様に授業を持っていたり、担任をしていることも多く、意識的にはあまり変わらないかもしれない。


私は、子どもたちの間でトラブルが発生した時、ことを起こした側の心理を心配してしまう。なぜこんなことをしてしまったか、しなければいけなくなった精神状態はどう生まれたか、そんなことを考えてしまう。
今の学校は、協働して学ぶ力を子どもたちにつけていくべき私たちが、協働していくことに難しさを感じてしまうのかもしれない。

働く集団を形成していくときには、同じ方向を見る、とかベクトルの向きを合わせることが大切だと思う。私の仕事における判断基準はいつもシンプルで、”それは子どもたちの幸せにつながるか”という一点に尽きる。学校で子どもたちに関わる以上、そこをしっかり見失わなければいいのではないだろうか。もちろん間違うことや判断ミスを犯すこともあるが、その思いにブレがなければ、きっと成長していくし、改善されていく。


大局を見失わず、自分がその仕事を選択した理由、やりがい、感じている幸せ、そんなことを大切にして仕事をしていきたい。その思いが相手を認め、許容し、共に働くチームを形成していくのではないか。初心にかえって、それぞれが自分のモチベーションを確認し、みんなでこの問題に向き合っていければ、と思う。

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