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こうして私は80日間【犬のインド】を撮った ①

Photo&text=Akira Hori  All rights reserved

アーグラーの安ホテルの1室にバックパックを放り込んだ私は、真っ先にタージ・ マハルの川べりに向かった。


タージ・マハルで狙っていたのはハゲワシだった

そこには時々ハゲワシがたむろしているという。たまにはそういうショットをものにするのも悪くない。 そんな狙いがあったのだが、屍肉を貪る猛禽類の姿はどこにもなかった。その代わり、なんと犬4頭とタージを同じフレームの中に収めることができた。

総大理石の廟に見守られているかのように、犬たちはくつろいだ様子で思い思いに時間を過ごしていた

これは幸先がいいぞ。次はアーグラー城だ。
ところが、途中で思わぬアクシデントに見舞われた。 それは私の不注意から始まった。

つきまとう狂犬病のリスク


あどけない子犬の姿に惹かれて後を追っていた。 私はその子犬をアーグラー城の見える公園の脇で見つけた。するするっと籔の中へ消えようとする。 消える前にこのあどけなさを捉えておこうとカメラを取り出した。瞬間。

2頭の成犬が牙をむいて吠えかかってきた。子育て中だったのだ。 おそらく父と母だろう。野良犬の彼らには、もちろん狂犬病のリスクだってつきまとう。

どうすべきか?

防御する道具は何も持っていない。こういう時は、すばやくに適切な判断ができなければ、動物カメラマンなど務まらない。

それはそうなのだが、今はいかんともしがたい。 この間1秒にも満たないのだが、全身が焦り一色となっているのを感じる。

と、 男が犬に向かってヒンディー語で何か叫んだ。
犬と顔見知り?
どうやらかなり親しい間柄らしい。 犬を強く戒めたのだ。
ああ、 助かった。 男がいなかったら、どうなっていたことやら…

アーグラー城が間近に見える公園で。あちこちに犬がいた。その傍で人が昼寝をしていた。
この風景を眺めていた数分後にまさか自分が犬に襲われそうになるとは予想だにしなかった


アーグラー城では実にユーモラスな犬に出会った


歩みを進め、城を間近で見る。 犬が目に飛び込んできた。 真っ先に犬が私に見せたのは、遊びに誘うサインだ。 初対面にもかかわらず、「遊びましょう」と言っているのだから。これは驚くべきことだ。なんとフレンドリーな犬なのだろう。 

このポーズの意味は「さあいっしょに遊びましょう」。プレイボゥと呼ばれている犬独特のしぐさだ
まもなくトップギアで走り出す

時々ちらっとこちらに視線を投げながら、ふざけたように駆け回っている。
このエピソードについては、 このnoteのコラム『ここまでわかった犬たちの内なる世界 シーズン2』の「 謝罪と許し」の中でも紹介した。

もしかすると 城壁の辺りに犬がいるかもしれない。 直感的に犬の気配は感じていたのだが、思わぬ場面に出くわした。 こんなシャッターチャンスがそうあるものではない。 ファインダーの中の犬はさらに走り回る……。

城壁の外に出ると、風変わりな情景が待っていた。

理由はよくわからないが、子犬が猿の群れの近くにいた。子犬は間もなく地面に降りた。

ズームアップしてみる

おまけに猿か (笑) 
ここに来る前には危ない目に会ったが、こと犬の撮影に関しては、なんだか理想的な展開になってきたようだ。私は心の中でひとりほくそ笑んでみた。 

✳︎

どうしてわざわざインドに行って犬の写真を撮っているんですか?
2000年代を迎えて時を置かずに頻繁にインドへ飛ぶようになった私に向かって、
当時は誰もそんなことを尋ねようとしなかった。

なぜなら私は、血眼になって野生のトラを追っていたからだ。
私の周囲にいる人たちは、そのことを知っていた。

実際、この「血眼になって」は、 決して誇張ではない。

私が会社を辞めた本当のわけ

トラはこの100年間で95%も個体数を減らしたらしい。 ふとしたことから、そんな衝撃的な事実をを知った私は、 いてもたってもいられなくなっていた。
この頃、私は会社(某有名進学塾)に立て続けに(強引に)休暇申請を出してインド行きを繰り返していた。

この美しい生き物が動物園でしか見られない存在になる前に、どうしてもカメラに収めておきたい。

頭の中はその思いでいっぱいだった。そしてついに会社から引導を渡された。

会社には、新しく試みてみようと思える仕事は、もう何も残ってないんだ。 これは、プロフェッショナルの写真家をめざす絶好の機会なんだぞ

サラリーマン生活に終止符を打つことになった私は、こう自分に言い聞かせると、間髪を入れずマンションの部屋を引き払い、荷物を全て千葉の友人の実家に預けて(押し付けて)、4度目のインド行きを計画しそれを実行した。

トラを撮る。 ただそれだけのために。

やれやれ、 突拍子もない無謀なことをしたものだな。
これを書いていて改めてそう思うのだが、 当時の私には、こうすることが唯一の選択肢のように思えた。 というより他の選択肢を想い描くことすらできなかったのだ。

思わぬ波及効果もあった

前年には、 それぞれ10日間程度の2度のインド行きを決行していた。
その甲斐あってか、その頃住んでいた三軒茶屋の行きつけの居酒屋「 薩摩路」の壁の一角にはベンガルトラが居座っていた(もちろん私の撮った写真だ)。

居酒屋を切り盛りする女将さんが、駆け出しの動物カメラマンの" 悪あがき"を見かねたのか、わざわざ堀からトラの写真を買ってウォールアートにしてしまったいうわけだ。

おかげで後に犬の本の出版にこぎつけた際には、お客さん数人が女将さん経由で購読してくれるという予期せぬ波及効果まであった。

こんなエピソードを並べ立てれば、「血眼になって」は、 まんざら行き過ぎた誇張ではないとご納得いただけたと思うが、 いかがだろうか。

なぜおまえは、 それほどまでにトラに魅せられたのか?

と、気になる読者もいらっしゃるかもしれないが、それを詳らかにすると話が大きく脱線することになるので、 これ以上は控えようと思う。
2014年に上梓した『野生のトラに呼ばれて』では、その辺りの事情を私の生い立ちから書き起こしている。

そんな私の話はさておき、トラという生き物に興味のある方には、ぜひともご一読賜りたい。

始まりは「 とりあえず撮っておこう」だった

確かに私は、 最初のインド行きから、 犬にカメラを向けていた。
しかしまだ会社勤めのアマチュアの頃は、あまり意識的なものではなく、なんとなく犬を撮影していたのだ。 もともと犬が好きなんだからとりあえず撮っておこうという感覚だったように思う。

最初のインド行きで撮った1枚は、デリー空港に降り立ってトラ保護区に向かうまでの数時間、市内を散策した際に偶然見かけた犬だった。

ニューデリーの公園で。 この時は、犬の写真というより犬のいる風景を撮ろうとした

トラの撮影を終えて、ムンバイに旅装を解いた。東京へ戻る便が出るまで、時間が空いたので犬を撮影した。 犬と人がどう関わっているのか、そこには興味があった。

ムンバイの住宅街の一角で。地域の住民が犬に食事を与えていた

▲まだアマチュア時代の撮影。かなりピントが甘い。

ラジャスタン州のトラ保護区にアクセスするために宿泊したロッジでは、子育て中の母犬に出会った。

誤解を招かないために言っておくが、「保護区」というのは保護施設のことではない。フェンスに囲まれて暮らしているトラが餌をもらっている?
そんな想像をしてもらっては困る。 もともとトラが生息していた森林地帯の一部を「ここはトラを保護すべきエリアね」と政府が決めた区域が「 保護区」なのだ。

ヒンドゥー教には、動物とのつながりを大切にするという側面があるが、母犬の毛並みの美しさは、この犬が大切にされていることを雄弁に物語っている。

ロッジにいた母子犬

インドの犬は野良犬ばかりじゃない。

<続く> 続編の②では、南インドで出会った犬たちにフォーカスします。動物写真家としての私の意識がいかに変化していったのか、その辺りについても綴ります。


✳︎ 以前書いたコラムにもインドの犬たち+αの写真をUP しています。
この記事では、犬の認知について深掘りを試みています。
よろしければご笑覧ください。

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