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ここまでわかった犬たちの内なる世界 #11 イヌの心を探して〜視えてきたヒトとの類似性

つい先日のことです。
『 ガーディアン』に魅力的な記事が投稿されているのを見つけました。
タイトルは、「動物の魔法:なぜ知性は人間だけのものではないのか」(原文:Animal magic: why intelligence isn’t just for humans )


いろいろと面白いことが書かれていて、たとえば、 タコはイヌと同じ数のニューロンを持っているそうです。はしごのようなネットワークで体全体にニューロンが分布しているのです。タコは「おそらく私たちが知的なエイリアンに会うのに最も近い」という哲学者もいるというのです。


著者のPhilip Ballは、いわゆるサイエンスライターなのですが、「数え切れないほどの注意深い実験が動物の内面についてこれまで以上に明らかにしている」と前置きしたうえで、動物たちの行動があらゆる点で私たちと似ているように見え、私たちとまったく異なると仮定することははるかに不自然だ。たぶん動物たちは結局のところそれほど変わらない心を持っている、と述べています。

この著者の仮説を全面的に支持するわけではありませんが、動物の心の類似性
に思いを馳せる
心根には共感を覚えます。

近年、科学界ではイヌが注目を集め始め、特に2000年代になるとイヌの心を対象にした研究が急速に拡がりました。このnoteマガジン『 ここまでわかった犬たちの内なる世界』の前書きに当たる「 ようこそ!犬たちの内なる世界へ」でもこの点は書きました。


従来、学者たちは類人猿を対象にしていたのですが、彼らが思っていた以上にイヌの内的世界が奥深いことに気づいたというわけです。

近頃では、「イヌの知能は人間の何歳児に相当するか?」 といったことまで話の 俎上に載せる学者もいるくらいです。

実は、イヌの意識や知性については古くから論議を呼んできました。どんなことが言われてきたのか筆者自身の忘備録を兼ねて、少し歴史を紐解いておきます。 (こういう哲学的なにおいのする話は苦手だと言う人は、飛ばして読んでいただいて構いません)


唯一の例外は犬


「万学の祖」とも呼ばれる古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、動物は人間に肉を供給するために存在しているとして、人間と動物の間に高い壁を築きました。アリストテレスは次のようなことを言っています。

アリストテレス(紀元前384―前322)『動物誌』を著した  


今から2300年ほど前の古代ギリシャ時代に、動物についてのこんなふうに考えたのは、当時の常識の枠内なのでしょう。
しかしアレストテレスは、 イヌは例外だと言うのです。人間のほうが能力において優れているのは否定のしようがないとしながらも、イヌには一目置き、その知性に人間との共通性を見出したのです。

「心と体は別にある」


「我思うゆえに我あり」の言葉で有名な17世紀の哲学者デカルトは、理性や感情が身体から離れて存在すると考えていました。「心と体は別々にある」という二元論が、デカルトの論理的フレームでした。

動物は言語を合理的に使用できない、推論することもできないと考えたデカルトは、動物の行動については精神面の説明を必要としないと主張しました。

ルネ・デカルト(1596年~1650年、フランス生まれの哲学者、数学者)


現在の私たちの常識からすれば、「えっ?まさか」の展開とも言えるのですが、当時デカルトの影響は絶大で、その「動物機械論」を鵜呑みした科学者たちは、イヌの手足を板の上に釘で打ちつけ、生きたまま皮をはいで、血液循環のしくみを調べようとしたといいます。

イヌの苦しむ姿を目にしても、彼らにとってそれは現実のものではなかったのです。

デカルトは、当時の宗教的な教義に縛られていたのでしょうね。人間だけが神の姿に似せてつくられ、他の動物を支配することができるとするキリスト教会への配慮と服従が働いたのかもしれません。

不幸なことに、デカルトの思想はその後も、ヨーロッパやアメリカの科学界へ影響を与え続けました。

(それにしても、デカルトの靴下の色が赤ってのはすごいものがあります。これ、イラストレーター の片岡朋子さんの発想なんですけどね)

あっぱれ、ダーウィン


デカルトの影響を受けた従来の動物観に革命をもたらしたのがチャールズ・ダーウィンです。

自らの愛犬にちなんで命名された調査船「ビーグル号」に乗り込み、5年にわたる航海を終えたダーウィンは、1836年10月2日、 イングランドのファルマス港に帰着しました。出航時は無名の青年にすぎなかったダーウィンは、旅先から本国に送ったおびただしい数の標本と観察日記によって、すでに科学界の寵児となっていました。

ガラパゴス諸島を観察し、進化論の着想を得たダーウィンが大英帝国に凱旋して家族との再会を喜んだ後、真っ先に起こした行動は何だったのでしょうか?

調査船「ビーグル号」の名前の由来は、もちろんビーグル犬だ


イヌの記憶力を試したのです。
ダーウィン自身が語るところによれば、彼の愛犬はとても人見知りする性質で、見知らぬ人は誰であっても毛嫌いしていました。ビーグル号の旅から5年ぶりにもどったダーウィンは、犬小屋に近づいて昔と同じように呼んでみました。すると、飼い主がわずか15分留守にしただけのように、すぐに後ろについてきて指示に従ったといいます。

 イヌは、たくさんの人間の言葉を理解でき、ちょうど1歳くらいの人間の幼児と同じくらいの発達段階にある、とダーウィンは考えていたようです。


チャールズ・ダーウィン(1809年〜1882年)


ダーウィンは、次のような言葉も残しています。

「 人間と高等動物の精神とは間の差がいかに大きいとしても、それは程度の問題であって、質の問題ではない。
愛情、記憶、注意、好奇心、模倣、 推論などといった、 人間が自慢にしている様々な感情や 心的能力は、 下等動物の中にも初歩的な状態で見られ、ときには非常によく発達している場合もある」

『人間の由来』(長谷川真理子訳 / 講談社学術文庫)


イヌは「1歳児程度」と 真面目にダーウィンが考えていたとすれば、その認識は正鵠を射ているとは思えませんが、「動物も人間も共に進化の連続体の一部」と捉え、人間とその他の「低次の」(ダーウィンがそう表現している)哺乳類との差は、程度の問題であり、質の問題ではないとして、動物の推論(推理力)をも認めた点は、さすがダーウィンという感じですね。

最近は 認知科学や脳科学の進展と科学界のイヌへの関心の高まりに伴い、イヌの脳について(まだ緒についたばかりと言うべきかもしれませんが)意欲的な研究が行われています。 その中で、イヌとヒトの脳の類似性も指摘されています。

皆さんとともにそのアウトラインにたどり着く前に、もう少し歴史を紐解いてみたいと思います。


犬とオペラント条件付け


ダーウィンから時代がずっと降った、20世紀前半の心理学の世界では「行動主義」 という煉瓦が積み上げられました。 特にアメリカではブレイクしたようです。

行動主義者の代表格であるバラス・スキナーは、客観的に観察できる行動のみを研究対象にし、意識については対象外にしました。

スキナーの唱えた有名な理論としては、「オペラント条件付け」があります。 ざっくり言うと、報酬や懲罰に対して、自発的に行動するよう学習するというものです。

この理論を引き出したスキナー自身が行なった実験が、わかりやすい例になっています。

🐭🧀
給餌器を仕掛けた箱にラットを入れておく。レバーを押せば食べ物が出ることを学習すると、頻繁にこのレバーを押すようになった。
🐭〽️
レバーを押すと電気が流れるような仕掛けを作っておくと、ラットは電気ショックの嫌な経験を学習しレバーに近づかないようになった。

試しに「犬とオペラント条件付け」を検索キーワードにして、ググってみれば様々なサイトにヒットします。 ドッグトレーニングの世界での、その影響力の大きさが窺い知れますね。

ただ、 動物の心についての洞察を欠いているのが行動主義の特徴です。

そもそも行動主義者のスタンスは、経験できない世界は、本当にあるかどうか知ることはできないので考えても無駄であるというものです。

行動主義については、そのバックボーンも含めて、2011年に上梓した『犬は「しつけ」でバカになる』に詳述しましたので、ここではこれ以上の言及を控えます。

ただ1つだけ言っておくと 、スキナーの残した言葉の中に、次のようなものがあります。

「心と言う概念は、人間が発見したものではなく、発明したものだ」

このような考え方にとらわれている行動主義者にとって、動物の意識や知性は関心の外にあったのは当然の帰結なのでしょう。

その後の展開はと言えば、スキナーのオペラント条件付けはドッグトレーニングの世界にすっかり浸透していきます。

誤解がないように言っておくと、筆者はオペラント条件付けによる動物へのトレーニングを否定するものではありません。 なぜなら、トレーニングの現場では、実際に成果が生まれているからです。

ただ筆者が懸念するのは、オペラント条件付けのような実験行動分析による「学習理論」にべったりになると、実際にイヌと付き合う上で窮屈な思いを強いられることになリはしないかということです。 窮屈な思いを被るのは、むしろイヌのほうかもしれません。

(もしかするとこの本を出したことでトレーニング界隈の皆さんの中に不必要に敵を作ったかもしれませんね)

と、ここまで猛スピードで歴史の変遷をたどってみました。
皆さんは何を感じたでしょうか?

イヌも右脳と左脳を使い分けている


ここからはホットな話題に移りましょう。

今、犬の心と脳について、 認知科学の分野ではどんなことがわかっているのでしょうか。

学術誌「サイエンス」に掲載された研究によって、イヌの脳もヒトと似た方法で情報を処理していることが 明らかになっています。 有名な研究なので、ご存知の方も少なくないでしょう。

ハンガリーのエトベシュ・ロラーンド大学の動物行動学者たちは、13頭のイヌを対象に、飼い主の声を聞いたときの脳の反応をMRIを使って調べました(MRIは、X線は使用せず、強い磁石と電磁波を使って体内の状態を断面像として描写する検査です)。

実験内容を紹介する前に、次の 2つの事実を確認しておきますね。

イヌの脳にも、人間と同じように左脳と右脳がある。
ヒトの場合、左脳は言葉の意味を、右脳は言葉の感情を理解する部位として働く。
(ご存じのように、言葉の感情はイントネーションで察しがつきます)

さて、研究の内容です。

イヌに飼い主が発する2つの言葉(ハンガリー語)を聴かせました。

🙆🏼‍♀️Jól van(英語のgoodと同義。「良い、素晴らしい」の意味の褒め言葉)
🤷🏼‍♀️olyan(「そのようなもの」の意味で、イヌにとって無意味な中立的な言葉)

言葉と抑揚を変えた、4つのパターンを録音し、イヌたちに聴かせたのです。

1️⃣褒め言葉をポジティブな抑揚で
2️⃣中立的な言葉をフラットな抑揚で
3️⃣褒め言葉をフラットな抑揚で
4️⃣中立的な言葉をポジティブな抑揚で

Souce:How dog brains process speech (Andics et al., Science, 2016) | Family Dog Project Research Group


この結果、イヌの脳画像から次のことが判明しました。

🐶左脳  ➡️ 単語そのものに反応
🐶右脳  ➡️ イントネーションに反応

研究から、イヌが言葉や音声を処理する時には、左脳と右脳を使い分けているだけでなく、右脳半球の聴覚領域内では、イヌは言葉とは切り離してイントネーションを処理しており、人間がイントネーションを解釈する方法と同じだとわかったのです。
 
ヒトや動物の脳には、欲求が満たされたときや、満たされるとわかったときに活性化する、「報酬領域」と呼ばれる場所があります。

さて、イヌたちの報酬領域が活性化したのは、上記の4つのパターン1️⃣から4️⃣までのどのパターンだったでしょうか?

答えはもちろん1️⃣ です。


ヒトの発するイントネーションは情報を伝える際の大切な要素で、人間が言葉を理解する際、内容とイントネーションを組み合わせて理解しています。イヌも同じように組み合わせで理解しているのです。

この研究は、イヌが人間の発話をどのように解釈するかを理するためのひとつのステップにすぎませんが、 この調査結果は、イヌと人間のあいだのコミュニケーションについて貴重なヒントを与えてくれているとも言えるでしょう。

つまりイヌがよろこびの感情抱くためには褒め言葉をポジティブな抑揚で聞く必要があったということです。どうやら、イヌは飼い主が本当に褒めているのかどうか
を見抜いているようです。

だとすれば(飼い主にとって)望ましい行動をイヌに求める際には 次のことが大切になるはずです。

「良い子だね」「お利口さんだね」とイヌに本気で伝える。

💁🏼ご参考までに


イヌは人間の幼児と同じ方法で単語を識別する?


ヒトの幼児は、その単語が何を意味するかを学ぶ前に、会話の際に発せられる連続した音声の中に新しい単語を見つけることができます。単語がどこで終わり、別の単語が始まるかを知るために、幼児は複雑な計算を行ないながら音節のパターンを追いかけているといいます。

イヌは人間の幼児と同じ方法で、 会話の中から単語を識別できるようです。

ハンガリーのエトベシュ・ロラーンド大学の研究者たちは脳画像を使った新しい研究で、イヌも人間の複雑な発話の中から音節の使用パターンの規則性をつかんで単語を抽出している可能性があることを明らかにしました。

頻繁に発生される言葉と稀にしか使用されない言葉では、それを聴いたイヌの脳波に違いが出ました。幼児の脳内でも同様のことが起こるといいます。

この研究では、イヌは会話の中から単語を識別する際、ヒトと同じ脳の領域を使用していることも確認されてます。


(いやはや、驚きの研究結果です。少し時間をおいて、頭を冷やして考えてみると、さもありなんという気がしないでもありませんが)。

皆さんはどんなふうに感じましたか?


💁🏼併せて一読を
直近の研究によって、イヌは人間の子どもと同じような方法で自分の行動をコントロールしていることが判明したという@Aki_Gunningさんの興味深い記事です。

 

✳︎参考サイト

あとがきたちよみ『ダーウィンが愛した犬たち
Scientists Have Learned from Cases of Animal Cruelty
Animal Consciousness - Stanford Encyclopedia of Philosophy
Dog brains process both what we say and how we say it, study shows
Dogs learn about word boundaries the same way human infants learn about them
Neural processes underlying statistical learning for speech segmentation in dogs


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