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「褒められても嬉しくない」のは正常なのか?問題について

急に手のひらをかえすように褒めるリーダー。

純粋に喜べない自分がひたすら悲しく、怒りが込み上げた・・・
よく考え、作った資料はこれだけじゃない。前も、ずっと前もそのずっと前もいつも、考えて作っている。正直、当たり前だろと、憤りさえおぼえる。

褒められても指摘されても、感情は同じ。
自分自身がこじれきっているのがわかる。
ヤフーで「褒められても嬉しくない」と検索すると「褒められても嬉しくない、これは病気でしょうか」的な質問をしている人がいて、同じように思う人がいるのだと驚いた。

今回は、病気かどうかで悩む前に、自分自身で「褒められても嬉しくない」現象について、果たして正常な感情なのか考えたいと思い、改めて考えたことをこの場で共有したいと思う。

そもそも冷静に考えて、尊敬していない人間に褒められたとて、嬉しくないのは当たり前なので。

褒められて嬉しいと感じる要素とは

まず、褒められて嬉しいと感じる要素を考えてみる。
褒められるという事象が起きるには大きく分けて「自分」「相手」「自分の行動」の3要素がある。
1。自分
必死に努力したことを自他ともに認められている状態である「自分」である必要がある。

2。相手
以下のうち、いずれか。
・自分が尊敬してやまないすばらしい「相手」である
・損得勘定がない(褒めることによる不利益が発生しないような)「相手」である

3。自分の行動
以下のうち、いずれか。
・自分が信念を持って起こす「行動」である
・一定の努力に伴って成し遂げた「行動」「結果」である
・自分が裏の思惑などなく純粋に行った「行動」である

この3要素の組み合わせであれば、自分は褒められて嬉しいと思う。
今回のケースであると
1。自分
自分は努力していると認めるが、相手に努力が伝わっているかは測れない(少なくとも言動などでよく努力しているねなどの発言はない)。
そのため、「自分」の状態は褒められる条件に満たさない。

2。相手
自分は相手を尊敬していない(それどころか半ば反面教師にしたいとすら思う)し、自分を褒めることにより対外的にリーダーとしての顔が立つなどの損得が発生している(これができるようになったということは同時に指導者も称賛されるだろうという企み)
そのため、「相手」の状態・立場は褒められる条件に満たさない。

3。自分の行動
自分はただただ仕事をまっとうしたいという純粋な気持ちで行った行動である。
よって、自分が「裏の思惑などなく純粋に行った行動」であるため、条件を満たす。

3要素のうち、1要素しか満たしていないため、
「褒められても嬉しくない」という感情は、真っ当のようだ

個人の評価についても


そしておそらく、これは会社における個人の評価での称賛についても同様のことがいえると思う。
昨今、360度評価が各社に取り入れられているが、どれくらい真意が反映されているのかはわからない。
360度評価で書かれた称賛を素直に受け取らなかった自分がいる。
なぜなら、本当の意味で匿名で記載されるものではなく、ある程度個人が特定される仕組みだからだ。そしておそらく、記入者側も個人が特定されているものとして記入するため、そこに損得勘定などが含まれた称賛が存在している。
表向き360度評価では、個人を守るために匿名形式であるものの、実際の記入条件として嘘が書かれないように具体的な内容を書くことが求められている。
ある程度時期やプロジェクトなど具体で書くと評価者本人が特定されてしまうので、書きたいことも書けないのは事実。


こんなことを考える。
そして、つくづく、自分は組織に不適合だと思う。


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