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尾も白い犬のはなし 3 高安犬物語

“俺は金で犬は売んねえゾとぶっ叩いてくっちゃシ(高安犬物語)“


 著者は沢山の作品を著した、本邦における動物文学の第一人者である。その作品から短編5編が収められている。表題の「高安犬(こうやすいぬ)物語」は、初期作品にして直木賞受賞作(第32回、昭和29年)。高安犬とは、山形県の高畠町高安を中心に繁殖した日本犬で、北方系のアイヌ犬と南方系の紀州犬の混血により生じたとされる(1)。現在では絶滅しており、その最後の一頭の物語である。続く2編も、高安犬の血の入った猟犬の物語だ。


 正直なところ、この3編は、とても重苦しい。高安犬の血統を保存しようとする熱意に翻弄される飼い主とチン(高安犬物語)。吹雪で1週間以上も山小屋に閉じ込められた極限状態の猟師とシロ(熊犬物語)。病人の治療費のため、売られた東京から、山形の村を目指す太郎の運命(北へ帰る)。皆、熊猟の犬であり、猟師との絆は、人と犬との、いのちそのものだ。引きちぎられた痛みはいつまでも疼き、その傷が塞がることは無い。


 「高安犬物語」は、半自伝で、高安犬を探して歩き回ったのは作者本人であるという。チンやシロの主人であった猟師にもモデルとなった人物があるようだ(2)。時代は大正から昭和初期である。思い起こせば昭和の中期はまだ、野良犬は闊歩していたし、飼い犬の大半は庭先の犬小屋に繋がれていた。どんな犬とも室内で一緒に暮らし、パートナーとしての気配りが変化し始めたのは昭和の末〜平成に入ってからのことではないだろうか。現代の視点で読むべきでないと思うけれども、チンの、シロの、太郎の、そして猟師たちの無念が棘だらけの蔓のように胸の奥に絡みついて、息ができなくなるのだ。


 「土佐犬物語」では、趣きが変わる。キチは小柄な闘犬。警察犬や牧羊犬が誇りを持って働くのと同様、キチは闘うことを崇高な務めと捉えているようだ。「秋田犬物語」は、マツの日常を綴った穏やかな物語。とはいえ、犬をアクセサリーにしか思わない主人からは冷たくあしらわれ、新しく来た血統の良い犬からは馬鹿にされ、動物嫌いの家族に叩かれ、女中には食事を忘れられ、散々である。それでも、里子に出された先から、可愛がってくれた祖母のもとに毎日見舞いに訪れて、濡れ縁で寝そべる姿は、菩薩のようである。


 土佐犬キチの飼い主は語った、「あの犬は犬でこそあったが、立派に人格をもっていましたね」。キチだけでなく、登場する5頭にはそれぞれ、独立した人格が感じられる。だからこそ、読む側の心に、さざ波や荒波やらをたててしまうのだ。


『高安犬物語』(新潮文庫)
著者:戸川幸夫
出版社:新潮社
出版年:1959年

1. https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000029641
2. https://ja.wikipedia.org/wiki/高安犬物語


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