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尾も白い犬のはなし 7 スピンク日記
“犬がペロペロと顔を舐めるのには不思議な効能があります。どんな効能かというと、そうすることにより、人間の腹の奥底にある欲得ずくの心がシュウと消えるのです”
長らく、プードルとは独立した生物種ではないかと思っておりました。犬、プードル、猫。全国的な傾向でしょうか、ご近所にも、引っ越す前の住まいでも、今日の散歩で出会ったのは全部プードル、ということもしょっちゅう。わたしは犬好き、あの方はプードル好き、こちらは猫好き、という按配かなあと。
しかしこれを読んで理解しました。プードルは犬。スタンダードプードル(大型犬)のスピンク氏が、はっきりと自分は犬である、とのたまっておいでだからです。そして何より、この日記を著したスピンク氏は、その冷徹なまでの人間観察と洞察から、犬以外の何者でもないことが明々白々なのです。
スピンク氏は、主人・ポチ(またの名を町田康さん)とその奥様、たくさんの猫、同腹の兄弟犬キューティーと暮らす日々を綴ります。
何気ない日常が、こうも多事多難行雲流水抱腹絶倒であるのは、ひとえにその豊かな見識と筆力によるところが大きいのでしょう。そこに一振りのアイロニーと、切なさを添えて。さすがはお犬。
キューティーと、のちに町田家に合流するトイプードルのシード、チビッキーは、虐待など重い過去を背負ってきました。犬は犬を癒し、人を癒します。
キューティーは回想します。
“私にとってスピンクがいるということは大丈夫だということでした。生きるための杖でした。横を見ればスピンクがいて、笑っていたり、ふざけていたり、うまそうに食べていたり、寝そべっていたり、飛び跳ねていたりして、それによって私は生きていたのです(スピンクの笑顔、2017年)”
人は犬を癒せているでしょうか。ポチにはできたようです。スピンク氏が見透したところでは、ポチは前世が犬のオーラだったようですから。
のちに、ポチはスピンク氏から送られる念波を受け取れるようになり、二人の間には回線が開いて、会話が可能となったのでした。
ポチは気付いていたと思いますが、この家の真の主人はスピンク氏でした。
スピンク氏に礼を述べねばなりません。
長らく、うちのお犬が芝居をする、と思っておりました。散歩が終盤に差し掛かると、「あらこんなところに、こんな匂いが。これは大変だ、調べないと、こっちも、それあっちも」と始まるのです。スピンク氏は、暑い日に散歩の気が乗らないときに、早く家に帰るための演技法、として紹介なさっておりました(スピンクの壺、2015年)。これはお犬一族の智慧の賜物か。いや、きっとうちのお犬は、読んだに違いないのです。そして散歩を引き伸ばすための演技法、にアレンジしたのでしょう。
疑問氷解雲散霧消。
お犬は語る。
お犬は本を読む。
何事の不思議なかれど。
ラブリー・スピンク 2017.6.27没(10歳) 合掌。
町田さんが対談されている、こちらも素敵です。
『スピンク日記』
著者:町田 康
出版社:講談社
出版年:2011年
文庫が出ています。続編とともに。
お気持ちありがとうございます。お犬に無添加のオヤツを買ってやります。