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創作における信頼

 紫乃さん、ぼんやりRADIOさんとお話しさせていただきました。
 いつもとってもお世話になっているピリカさん、チームワーク抜群のすまいるスパイス。
 宣伝部長のコッシーさん、いまえだななこさん、この細やかな心遣い。
 あたい、もうメロメロになってしまうま。


 




 お聴きくださってありがとうございます!

 番組の中でも出てきた「ほのラジ」。
 代表作を宣伝します。第一章がぼんラジさん、第二章が穂音。第三章はぼんラジさん + 穂音で、この継ぎ目がわかった貴方は、きっと月が二つ見えるようになる。
 


 そうそう、ちょうど、こんなものを買ったところでしたの。そしたらぼんラジさんが「建築」って仰ったもんですから。
 世の中にはそういうことがあるものだ。
 

雑誌「建築知識」


 話しきれなかった中から、もう少し言語化してみたくて。
 畏れ多くも、春にピリカグランプリの審査員をさせていただきました。どうやったら、大切な応募作品をきちんと審査できるのか。
 悩む。
 大事にしようと思ったのは「再現性」ということでした。自分がブレブレにならないように。一回読んだらAさん、二回読んだらBさん、三回読んだらCさん、十回読んだらJさん、となるのでは、本当に良いと思ったのはどれだかわからなくなってしまいます。

 まずは環境設定から。
 全部PCモニタの前に座って読むと決める。自宅のモニタの前で読むのと、通勤電車の中でスマホで読むのとでは、作品以外の要素が入り込んでしまうから。
 
 次に、作品を読みながら。
「いいなあ」と思う度合いを、まずは直感的に決める。こういう、感覚的な評価を「定性的評価」と言ったりします。
 もう一つは、「定量的評価」。いいなあ、を分析します。言葉、文章、段落、アイディア、ストーリー、テーマ、などなど、色々。各項目ごとに5点満点で、そして総得点。
 もしも定性的評価と定量的評価が、あまりにも激しく乖離するようであれば、定量的評価に用いた項目は現実にそぐわない、ということになる。今回は、両者は同じような結果を示しました。

 こうやって定性と定量、二つの間を行ったり来たりしていると、「いいなあ」が言語化できたりします。
 現役作家のリストがすごい、という記事を以前書いたのですが、ここが書けているとか欠けているとか、自分の作品を分析して推敲するようになりました。我ながら進歩であるぞよ。
 いまえだななこさんが「自作小説の客観視と言語化」と表現してくださっていますが、まさにこれです。

 
 石田淡朗さんは俳優で、このシリーズは圧巻です。これが創作大賞を獲って、書籍化されることを切に願うものであります。この回だけでも、是非読んでみてください。

演技に感情は込めない。
私はそう言い切っていいと思っています。
(中略)
そもそも、感情というのはなにか。喜怒哀楽といいますが、日常の私たちは殆どの場合において、感情を出そうと思って出すことはしません。
その裏には思考があり、その思考が表面化したものが感情ではないでしょうか?

上記記事から引用

 
 感情を表立って演じない。
 感情をそのまま書かない。
 感情にまかせて審査しない。

 似ている。

 嬉しい、ときはどう振る舞うか。嬉しさをもたらす思考の過程から出てくる仕草を演じる。
 悲しい、ときに登場人物はどうするか。主人公なら、対立するキャラならどう動くのか。造形するとはそれが書けること。
 感動した、作品に対して審査上、どう評価するか。その感動を構成する要素を掴み出してあらわにする。
 

 同じ流れの中にあるんですね。

 
 創作における信頼。それは書き手として読み手として、最上の喜びだし、創作を続けていく上での強い動機になったりします。
 編集長を、ウミネコを信頼している。


 

 

文学フリマ大阪11 9月10日(日)


 来れる方も来れない方も、どうぞご一緒に、リトルプレス「ウミネコ」をお楽しみくださいませね!
 穂音さんの書き下ろし「垂涎寺横丁」が読めるのは「ウミネコ」だけ!
 おほほほ!

 


 

 


お気持ちありがとうございます。お犬に無添加のオヤツを買ってやります。