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言いたい気持ちの蓋を開けよう

 昨日(と言いつつ投稿自体は今日だけど)書いたものがちょこちょこ読まれている(タグからご覧になってる方が多いのか?)ので、有難いことです。マイペースに続けていきます!

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水のような緩やかさで自分の考えを伝えられたらいいのに
(2019/04/06:f/5.6 1/125秒 ISO-800 90mm:尾山神社)

 自分は、考えている事の言語化がとても苦手――という話は自己紹介でも触れた。自分の言葉が相手に届くか分からなくて、怖かったことから、言語化の機会から逃げてきた。知っている語彙の中で自分の力で言葉を択んで、会話を成立させてきた経験が少なさすぎる。
 この経験が少なすぎるとどうなるかというと、人と深い所で仲良くなることができないのだ。仲間内で八方美人になってしまう、何か理不尽を言われても嫌、と言えない(静かに爆発し友人を切ったことも一度ある)などの影響がある。

 今までにしっかり会話を行ってきた人たちが、語彙を明るい図書館にある本棚から引き抜くように択ぶのだとしたら、僕の語彙の選び方はまるで真っ暗な壺の中に手を突っ込んで、手探りで言葉を探り当てるようなものだ。幸いなことに仲良くなった方々は、「考えていることを言ってくれ」と言ってくれるけれど、いかんせん手探りで言葉を探しているからとても時間がかかってしまう。僕はそれが、相手に無駄な労力を強いてしまっているように思えて申し訳なさが勝ってしまうから、仲良くなればなるほど、思ったことを言えずに内側に秘めてしまっていたのだろうと分析している。
 でも、そのままでいる事の方がもっと申し訳ない気がするから、手探りでなく意識的に言葉で語る訓練が、僕には必要だと思った。

 打開のきっかけになるかはわからないが、大学時代から使っている雑記帳をもう一度引っ張り出した。気になった言葉を書き留めて、あとで電子辞書で調べて書き散らすノートなんだけど、大学時代はその大学ノートを真っ黒にするのに異様にハマっていた時期があった。弟に電子辞書を譲ってからは余りそれをしなくなってしまったので、すぐに調べられる(かつスマホみたいに誘惑もあまりない)環境って大切だと思う。

無題

 そして今日は雑記帳を埋めるノリを思い出してしまったせいか、下書きがずいぶんと充実してしまった。あれもやりたい、これもやりたい、というのはどっちつかずになるのであまりよろしくない事、というのが通例だけれど、「書くことをきっかけに調べて学ぶ」ことはむしろ大いにやっていい気がするんだなぁ。脳味噌の容積ってある意味無限だし。
 なるべく短い時間で、少しでも言いたいことを伝えられるよう、意識的に書いていければいいと感じた休日だった。

 さて、明日はお仕事。頑張ろう。


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