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誰でもできるような仕組みを作ることはすべてにおいて万全ではない

誰でもできるようにすること

会社組織の中では仕組みづくりが重要だ。

明日、急に誰かがいなくなったとしてもそれをカバーできる体制と、それを属人的にならないような仕組みづくりが必要。

優秀なセールスマンが成績を出していた場合、そのセールスマンがいなくなった途端に何も売れなくなってしまったりしては困るし、優秀な経理がいなくなった途端に会社の金銭感覚がおかしくなってしまうのも困る。

そんな属人的な経営をする(せざるを得ない、とも言える)段階は創業時に代表と数名でやっている時ぐらいなもので、(業界や職種によるが)一定数以上の人数が入ってきた際には、仕組みづくりを整える必要がある。

法整備みたいなものだ。

多くの人が入り混じるからこそ、そこに好き勝手にできないような環境を用意することで、再現性を高める。あらゆる工場の機械化はその最たるものだ。

同程度の品質を複数作り出すうえで必要なのは、決まった工程を、決まった手順と順序で、決められた内容(図面)通りに作っていくことだ。

例えば営業なども、資料のつくり方に特定の「型」を設けることで、情報の質(量はもちろん、その出し方まで含めたもの)は当人が練りだす必要があるが、幾分かの効率化につながる。

社内の事務作業等についても、マニュアル化を徹底することで再現性を高めることができる。

Googleでは、2度起こったことは必ずマニュアルに起こすことが徹底されていると聞くが、入社したて人間が隣のデスクに座っている人に話しかけると黙ってマニュアルのURLが届く、らしい。

それはちょっと人間味が欠けているようにも感じるが、マニュアルに起こし、それを社内の人間が視聴できる環境を用意することで、会社組織への適応時間を早めることができる。

この効率化が進めば進むほど、最適化する時間が短くなるし、最適化までの時間が短ければ短いほど、仕事を進める速度が早くなる。


ネットの恩恵は諸刃の剣か

とにかく効率化を求める背景には、物事を進めるスピードがインターネット登場以降早くなっており、インターネットの速度がドンドン早くなるにつれて、人の働く上でのタイムリミットも短いものになっている。

正確に言えば、タイムリミット自体は短くはなっていないが、求められる速度に違いが生じているということで、早いレスポンスが可能になっている、ということだ。

メールからはじまる非同期型のメッセージツール、いわゆるチャットが普及している背景には、そんな人の認識の中で、育まれてきた必然とも言える。

ただ、そんな効率化を推し進めることは、すべてに置いて必要なことだったり、適切なことなのだろうか。

ぼく個人としては、もともとインターネットが好きなこともあり、そういう効率化が果たせるツールが出てくることにはすごく納得感があり、うれしい気持ちになる。

ついつい新しいサービスには手を出したくなるし、馴染みが出てくると、つい人に紹介したくなってしまう。

同時に、そうではない人がいることも理解している。ただ単に、ついていけない、と思っている人もそうだが、「ネットが大好き」ということを「わからない」という人も出始めている。

ネットを利用できるようになったことで、物理的な距離を飛び越すことができるようになったことを喜び勇んでいたぼくをはじめとしたミレニアル世代は、ネットに興奮し、SNSに興奮したし、現在進行形でしている最中だ。

だが、それ以降に生まれた世代の人たちは、それが当然な世界であり、まるで寝て起きるかのごとく、「普通」のことなのだ。

これによって生じる認識の差が、効率化の前に大きく立ちはだかることになるのにだとぼくは考えている。


誰にとっての仕組みづくりなのか

日本人のみで構成される、それなりの規模の会社になればなるほど、年齢的に幅が生じることになる。上は65歳、下は22歳や、20歳前後もいるのかもしれない。

もうインターネットが前提になっている世代か、そうではない世代なのかの違いによって、大きく隔たりが生じる。

最低限、会社として利用するツールぐらいは使えるようになっていなければならない、とメールやら業務アプリやらを使えるようにはなっているものの、それを使いこなすだけで精一杯な人たち。

かたや、そんなものは当然使いこなしてしまい、それ以上の効率化や最適化を図ろうとする世代との差はドンドンと出るばかりだろう。

そんな世代間の違いから生じる意識の差、みたいなものは想像に難くはないが、ぼくが指摘したいのはその逆だ。

上の人間が用意をしてあげたと認識している仕組みを、当然のように享受をする世代が入ってきたときに、その仕組み自体が前提にされるのであれば、創意工夫が生まれるのか、ということを指摘したい。

効率化を、再現性を、最適化を短時間で済ませるための仕組みづくりを懸命に行い、その仕組みがある程度の機能を果たすところまで来たのに、中で働く人間がそれを活かせない、と嘆く形になることだ。

人の行動は、その源泉は感情だ。

前向きな感情や後ろ向きな感情を抱くことは誰しもが経験するかもしれないが、それを殺すことが効率化であり、最適化が目指すところ。

それをがんじがらめに求めたところで、中で働く人間が、その仕組み自体に嫌悪感を抱いてしまったら元も子もない。

それは、仕組みだけを優先的に構築しようとした代償とも言えるわけだが、そんなことは口が裂けても指摘できないので、貝のように口をつぐみ、ただただ、その仕組みを淡々と利用し続ける。

結果的に、負の感情が支配する就業環境の中で、その仕組みづくりを懸命に行ってきた人間が「どうしてできないのか」という叱責をしなければならなくなる。

結局、それは誰にとっての仕組みづくりなのか、ということを考えなければ、せっかく良い仕組みを作ったところで、利用する人間がイヤイヤ利用するような状況では活かせるものも活かせない。

それは利用する側の問題ではなく、仕組みを作る側の問題だ。

人の感情を、結果的に無視してしまったことの代償。

それは決して小さくはない。


そんなことを考えるきっかけになったのは2/12に開催するイベントで経営について聞く機会を設けているからです。

二人の経営者から、理念をはじめとした社内での仕組みづくりについて聞きたいと思ったところから、今回の記事は書きました。

果たして、二人はどんな風に社内での仕組みづくりをしているのでしょう。

どうぞ、ご参加ください!現地での参加はもちろん、Web視聴での参加は世界中どこからでも参加可能です!


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