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個人のメディア化が叫ばれて早十数年

ようこそ、お越しくださいました。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

Social MediaとSNSの認識を明確に分ける必要があることを、このnoteでは常に書いているつもりだが、その理由はそれほど難しいものではない。

ただ単に特定の個人と関係を築きたいと思ってつながろうとするプラットフォームがSNSで、発信する個人の発信内容によってフォローするかどうかを判断するのがsocial mediaだ。

前者と後者の違いは、(極端な言い方をするが)前者が発信内容はどうでもよくて「人」に紐づくのに対し、後者は人はどうでもよく発信内容に紐づいてフォローするのか。

これは似てるようで少し違うのだが、今回はこの辺を考えてみたい。

▶︎ 個人のメディア化とは

この世界にインターネットという技術がもたらした貢献は計り知れない。

物理的な距離を取り除くことができた結果、地球の裏側とリアルタイムで連絡を取り合うことも可能になったし、非同期的な連絡をすることでリアルタイムでタイミングが悪かったとしても必要な連絡を取ることが可能になった。

買い物は自宅から出る必要と機会を減少させ、映像による娯楽はTVという唯一無二のデバイスからの解放を実現させてくれた。

そんなぼくたちの生活を一変させてくれたインターネットの枠組みの中で生まれてきたサービスは、WebにLogすることをブログと呼称するものがある。覚書や論評を記すWebサイトのことだ。

これの登場によっていわゆる旧来的な新聞や雑誌、ラジオにテレビといったメディアに取り上げられなければ存在してなかったかのような個人が、Web上に随筆という形で自身の思考や物事の解説、批評を掲載することでメディア化できるようになった。

その発信内容が適切なのかどうかを判断する上で、担保するために実名で掲載をする人もいれば、込み入った内容を記載するのに自身の素性を隠す必要があることからハンドルネームを利用して掲載する人間もいた。

本来的にいえば、匿名と実名論争で重要なのは自身の社会的な立場を危険に晒してしまうほどに社会にとって必要だと思える情報を発信する際に利用されるか否かが根本であり、それもなしに匿名で好き勝手いえるから...なんてのは正直いってどうでもいい個人の感情でしかない。

ただ、それも許容されるのがネットのいいところでもある。

▷ TwitterはMediaでありSNSではない

匿名だ実名だなんだと最近になり改めて話題になっているTwitterだが、このnoteでも繰り返し言及している通りTwitterはsocial mediaであるもののSNSではない。

Twitterとイーロン・マスク @elonmusk と匿名アカウントと

Social Network Serviceとは、Web上で社会的なネットワークを構築可能にするサービスのことだが、Facebookのように人との繋がりを前提にしているサービスはSNSで間違いない。

ところがTwitterは人とのつながりなど「ついで」であり、根本的には個人のアカウントが何を発信しているのかをもとに「フォロー」するかどうかをユーザーが各々に判断をしていくものだ。

Facebook的な使い方で「人」との関係を前提にフォローするのではなく、その個人が発信しているTwitter内コンテンツとしての投稿が自分にとって価値があるのかどうかを判断する過程が必要となる。

つまり、相互フォローをひたすらに集めようとする姿勢はSNSとしてTwitterを利用しようとする姿勢ではあるもののMediaとして利用するような態度ではないことを意味する。

だからといって、別にぼくは各人の使い方をあーだこーだと規定するつもりもなければ強制できるような立場にいるわけでもない。ただ、そういうことを前提に考えていることもあり、そんなふうに使っているユーザーがいれば上記のような見方をすることだけ付け加えておく。

▷ 各媒体ごとの特徴に合わせた投稿と向き合う姿勢

Facebookで発信される内容とTwitterで発信される内容、TikTokで投稿されるものとInstagramで投稿されるものは同様ではない。連携投稿ができるものの、Instagramで投稿したものをTwitterで連携投稿しようとすると明らかに魅力は半減どころか20%にも満たない。

それぞれのプラットフォームが連携投稿する際に何かしらの思惑を持っているのかもしれないのは言わずもがなだ。

たとえば、ユーザーAのInstagramの連携投稿を目にしたユーザーBが、それまでTwitterで時間を溶かしていたのにInstagramへのリンクからInstagramへ遷移してしまったら、その分だけTwitter内に止まる時間が減少してしまう。

そんなことはTwitterからして喜ばしいことでもなんでもない。可能な限りユーザーを縛りつけておくことで(うまくいっているとは言い難いが)広告事業への接触回数を増加させることができる。

他の媒体でも同様で、特にFacebookは収益の大半どころではなくほぼ全てといっていいほどに広告収益に依存しており、その脆弱性を指摘されているからこそメタバース領域への事業拡張を目指し、社名までMetaに変えた。

収益構造でFacebookは98%・Googleは81%を広告に依存しており脆弱性と化している

ただ、各媒体ごとに適切な見せ方や投稿文の作り方があるのは言わずもがなで、Twitterは140文字の中で表現しなければならないが、Facebookには140文字といった制限はないため長文投稿が可能だ。しかし、画像での訴求部分でInstagramには敵わないものの、Instagramは短時間動画でTikTokの牙城は崩せない。

それぞれの媒体に適した投稿内容があるように、各媒体に適した立ち振る舞いがあることは意識したいところだ。

▷ 個人が発信する内容に価値があるのか

その上で、各種コンテンツを投下する以上、その内容に価値があるのかどうかを判断する余地が各ユーザーに委ねられていることは意識したいところだ。

Facebookで何を食べたのか画像と共に掲載しているおじさんがいたとして、そこに「いいね」などのリアクションをしてくれるのは一体なんのためなのか。正直、そのおじさんがどこかしらの企業のお偉いさんだとしたら、気を使われているのが目に見えてしまう。

どこぞのおじさんがどこで何を食べたのかなんて社会的に見たらなんの価値もないコンテンツだ。同様の投稿をTwitterで投稿してみると、どんな反応が来るのか。クソリプが来るかもしれない。

「あなたの食べているきつねうどんを作るのにどれだけの費用がかかるのかわかりますか。」

「それを食べるだけの時間があるなら、話を持っていきたいと思っている部下のためにもっと時間を割け」

そんな風にどこぞの匿名アカウントから罵られるのかもしれない。だからこそ安全地帯だと思えるほどに周りが気を使ってくれるFacebookで投稿するのだ。

そう考えると、そのおじさんの生存戦略的にはうまくいっているように思える。発信内容に価値があるのかどうかではなく、そのおじさんの虚栄心を満たすことに各ユーザーの心労が消費されるのであれば、それはそれでいいのかもしれない。

ただ、そんな中でも、やっぱりTwitterにはメディアとしての機能や役割があるからこそ報道のソースとして利用されるような状況が生まれているのであり、同様のことはFacebookでは起こり得ない。

フォロワー数が多い=価値のあるユーザーだとは思わないが、フォロワー数が多い=多くの人が興味を持つ投稿をされているユーザーであることは、そう間違った認識ではないだろう。

そんなわけで今日もどうでもいい投稿をnoteとTwitterでしていこうと思う所存である。

ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

SNSのせいで写真がつまらない
結局、あらゆる媒体がブログの延長線でしかない。だからこそsocial mediaの内側にSNSがあるのだ。

「何者かになりたくなる」SNSはそろそろ衰退していくのかな?という予感
何者かになりたい人たちが直感的で直上的な物言いをし、そこに食らいつくフォロワーたちによって虚像が出来上がっていく過程をいろいろと見てきて思うのは、そろそろ終わっていきそうだなぁ...というむしろ寂しい感情だ。なぜだろう。

SNSがステータスな時代を生きる
企業の人事や人材獲得の上でsocial mediaによる投稿を閲覧するのは当然だ。何を投稿しているのか。その投稿する背景や思考前提は何かといったことを把握することほど必須なことはない。だからこそ、各媒体の特徴を踏まえて投稿する必要がある。

▷ 紹介したい関連書籍

書くのがしんどい
書くのって、本当にしんどいと思うことが少なくない。それを生業にしている人たちの凄さを日々書くことによって実感しているところだ。

▷ えんどうのTwitterアカウント

僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。

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