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自分の人生は主役だけど他人の人生に対してはモブキャラだよね

ようこそ、お越しくださいました。

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

ぼくがTwitterをはじめとしたプロフィールページまでも「モブキャラ」と呼称している根本的な理由みたいなものを話題にしてみたいなと思います。

「自分探し」みたいな文脈がどうも嫌いなのですが、その理由も含めて書いていきたいなと。興味がある方はお付き合いくださいませー。

どうあがいても他人の人生は生きられない

自分の人生って自分が主役だよねーみたいな話はわかるんですよ。そりゃ、最終的な決定権は自分にありますからね。継続するにもしても、断つにしても。

家族であったとしても人格が異なる存在である以上は別人であり他人です。血がつながっていようがいまいが関係なく、他人は他人であり別人は別人ですから根本的に考えれば他人の人生に影響を与えるなんてことができると思うことって大いなる勘違いです。

「家族」ってものを定義するのに必要なことは血のつながりではなく、たまたま一緒に生活をすることになった時間の長さや共有した楽しい場面や時間の共有する機会の多さから育まれる「キズナ現象」なのではないですかってのが40年近く生きてきたぼくの考えです。

血がつなっているから家族だなんてことは微塵も思いません。血のつながりだってキッカケの一つですから。

双方が望んで共に生活を送っているし、その相手に向けて自分が何かを贈りたいとか「思える対象」であるかのかどうかが重要だからこそ、犬や猫などをはじめとした人間以外の存在が家族として立派に成立することからも明らかでしょう。

人間以外も家族になるのだから

犬や猫みたいな動物と人間を一緒にするな、みたいな批判は批判にもなりません。

で。

家族といっても他人だし別人格なんだよねって話を起点に犬や猫といった動物たちも家族になるって話に発展させたじゃないですか。これを前提にすると、犬や猫を代表とした動物たちにはなれないよねって話になります。

人間の姿かたちから他の動物へメタモルフォーゼ(変身)できるのだとしたら、それだけで大いなる価値がある存在になってしまうわけですが、そんな人は存在しないでしょう。

これはもう少し平易ないい方にすると「自分以外の存在になれない」って話です。

どう逆立ちしたって別の存在にはなれないんだから、他人の人生に影響を及ぼそうと考えることなんてできるわけがありません。この文脈でぼくは各種プロフィールに「モブキャラ」と記載しています。

“自分探し”なんてしてる暇はない

他人の人生に影響を及ぼせないのだとしたら何をしたらいいのか。

簡単です。自分の人生を必死に生きながらえる他にありません。生きながらえたくないのであれば断つ他にありませんが、それを推奨したいわけでもない点は付け加えておきます。

自分の人生をどうにかして豊かにしようと思うと何をするのかといったら「自分の機嫌を自分で取る」ことだけ。

自分は何が好きで、何をしたら楽しいと感じ、何を食べたらおいしいと感じるのか。どこに行くとうれしくなり、どんなものを見るとワクワクするのかをバシッと把握し、自分を喜ばせる手段や方法を明確にすること。

明確にしたら、それをいつ、どの機会に実施するのかを考え実行します。それだけです。それだけですが、それをするだけでも時間は足りません。常に自分の幸福を自分で叶えようと必死になることさえやっていれば他にすることなんてあるわけがないのです。

自分探しの旅になんていく暇ありません。いますぐにでも自分が喜ぶ、自分の機嫌を取る方法を懸命に探すべきです。

自分は他人のモブキャラ

いわゆる老害と呼称されるような醜い生物に成り下がってしまった場合は、社会的に消滅することを若い人たちから願われていますので、自ら社会的な立場を捨てる覚悟を持ったほうがいいだろうとは思っています。

他人に向けてひたすらにガリガリ変革を促そうとしたり、人生の歩み方を変えさせようと行動することは大いに迷惑行為です。始末に悪いのが、得てしてそうやって他人にズケズケと意見したり迷惑行為を継続して行ってしまう人は「善意」でやってくるって点が厄介。

かなり前に「善意であるはずの無意識な悪意」みたいな話をnoteに書いてましたが、自分が他人の人生を同行できる存在であると勘違いしている人たちは、常に自分が主役で主人公でヒーローだと思い込んでます。

その勘違いをつくりあげる自信や根拠はどこから来ているのかが気になってしまいますが、根本的にはぼくだけでなくすべての人が平等に他人のモブキャラなので大したことはできません。

自分をモブキャラだと認めることはツライかもしれませんが、ツラくありません。

自分の人生にとっては主役であり主人公なのですから。

自分以外の他人がモブキャラなのであれば、他人にとっての自分もモブキャラなのです。

そんなわけで、今日もモブキャラ人生をまっとうして行こうと思う所存です。

ではでは。

えんどう

紹介したいnote

自身をモブキャラとして認知することからはじめないと「だれなのか」を自分自身にも説明できません。群衆の中にいる一人だって認めてからはじめて「だけどたった一人」になれるのだとぼくは思うのです。

タイトルは異なれど、ぼくの書いていることとにているような気がします。自分の人生を大事にしろって話で、自分の人生を他人に委ねるなって論旨は一緒だと思うのですがどうでしょう。

モブキャラであることを自覚することで他人とは何が違うのかを把握するって過程に入ることができるわけですが、これをやらない人たちが多いのではないでしょうか。


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