3月14日が #採用の日 だったんだって。
枕にかえて
どうも、えんどう @ryosuke_endo です。
一年中、何かしらの日として設定されている。記念日ではないことなんて1年の中で存在しない。根本的に毎日が誰かの誕生日であり、誰かの命日であることを踏まえると、そんなことも当然のように思えてくるため、特別感は大して味わえない。
それもそのはずで、誰かにとって記念すべき日であったとしても、誰かにとっては忌み嫌うような日として記憶に定着しているであろう日々だと仮定するならば、何も騒がず平常心を保ち続けた方が有益だろう。
少なくとも僕にとって家族の誕生日以外は大した意味をなさない。中年男性の人生なんて、所詮こんなものだろう。
だが、3月14日が(3・1・4▷サン・イチ・ヨン▷サイヨー)といったこじつけのもと、採用の日となっているのだと知り、少し採用といった言葉に違和感を抱きはじめた愚かな中年男性としては、どうも馴染めないのである。
ホワイトデーから採用の日へと変貌を遂げつつある記念日についてから「採用」なんてものについて考えてみたいと思う。
▶︎ 褒め合いや慰めの日になっていた採用の日
特にTwitterのタイムラインを眺めていると「人事」や「採用」を業務分掌で担当するであろうユーザー同士で褒め合ったり慰めあったりといった光景や、人事や採用といった業務が分掌外の人たちから慰労の投稿が見られたり...とホワイトデーという扱う内容が変わっただけで、本質的には何にも変わっていない様子が見てとれた。
何かしらの記念日を利用しなければ投稿することが難しいのかもしれない。何もないところから話題を広げるのではなく、少しだけでも共通項として広げられそうな話題から入り込んで行った方が雑談が進められる...そんなところに出現した記念日だとでもいえるだろう。
まったくもって必要性を感じないのだが、この記念日を設けたところで何が変わるのか。何も変わりはしない。採用の日、と定められた日が1年に1回訪れたところで一企業あたりの採用比率が高まることもなければ募集人数が倍増されるような事態にはならない。
つまり、だ。
採用の日と銘打ったところで、日本の採用状況が好転するわけでも悪転するわけでもない。ただただ日常として雑談のネタとして消費されておしまいだ。
ソーシャルメディアを運用することに必死な人たちは、こういう企画や行事、関連する語句に極めて敏感で、これらを利用した雑談の応酬を重ねることで自身の投稿やアカウントへの誘導導線を敷く。
少しでも閲覧数が上がることを期待するし、フォローしてくれるユーザーが増加することを期待しているわけだ。
ハッキリといえばくだらないものだと卑下できてしまうが、当人たちや界隈の人たちからすると、そんな些細な事柄であったとしても丁寧に拾い続ける姿勢こそが大事だと真剣に考えている。
その感情は理解できるものの、果たして採用の日ができたからといって「採用」といった言葉自体が変わることもなければ業界的な構造が変わるきっかけになることもない。
繰り返しになるが、ただの消費ネタでしかないのは疑いようのない事実である。
▷ 「採用」活動を進められる事業者とそうでない事業者
今後の5年10年といった経年変化を想定すると、**企業側が人材獲得や人手の確保を「採用」と述べることは妥当ではなくなってくるように思える。**それほどに日本語話者に限定した就労人員の確保は就労人口の減少と共に困難になっていく。
人材の流動性がうんぬんといった議論が度々起こっては消えているが、おそらく今後も日本は従業員のクビを切ることは易々とできるようにはならないし、人材獲得における決裁権を事業部部長などのマネジャー単位で持てるようにはならない。
つまり、本質的な意味でのジョブ制や成果主義の導入など土台無理な話なのである。なぜなら、これまでに積み重ねてきた就業に関する歴史が邪魔をするからだ。
城茂幸が富士通を内側からを暴露した内側から見た富士通「成果主義」の崩壊 (ペーパーバックス)https://amzn.to/3t7TyMb は実に痛快だったが、同時に核心的なほど日本の就労環境において成果主義を推進することができない現実を受け止めざるを得ない内容でもあった。
これが世に出たのは2004年だが、20年近く経過した日本ではどう変わったのか。リモートワークやテレワークが定着するのかしないのかといった議論を未だにしているような状態である。
何も変わっていないと言わざるを得ないが、このままで行くのだろうなぁと悲しい目測が立ちやすいのもまた日本らしさである。
しかし、日本の経済自体が沈没するならばダメな事業者は延命している場合ではない。これまでは何とか企業寿命を延命しようとあの手この手を使って事業者を守る方向で政策は策定実施されてきたが、今後は事業継続できない事業者を残せば残すほどに経済的には損失が大きくなる。
何よりも平成の時代である丸々30年を経過してもなお、日本の経済がまったく上昇することもなく横ばいを維持してきた現実を見ると、上がる要素を潰してきたのと同時に上がる要素の足を引っ張る存在があることも想像に難くない。
今後の5年10年と時計を進めていく中で、人材の獲得が条件面からも就労内容からも難しくなる事業者がいる一方、そうではない事業者との間に大きな溝が生まれることにはずだ。
▷ 「採用」される求職者とそうではない求職者
そうなると求職者側は引く手数多となり、売り手市場となるような想像をしがちだが、そうはならないだろう。
企業側は「優秀な人材」が欲しいと考えるものの、優秀な人材は給与が高くなる。そのため、業界や職種的に人気があるものの人の手が足りない事業者は人員の選別を行える状況になるだろうから、むしろ「よい条件で働けるところ」は競争が激しくなる。
反対に、まったく人から見向きもされないような業界や職種で就労条件も労働者側に阿(おもね)ることをしない事業者への就労は容易になっていく。
事業者は事業者で人材の獲得にかかる経費が目に見えて高価格帯になっていくだろうが、就労を求める求職者側の企業選別に係る経費もこれまでとは比にならないほどに高価格化していくだろう。
転職において企業と接点を有している人材紹介事業者との関係を構築することや、ヘッドハンターに見初められるためのプロフィール作りや職務経歴書の制作など、ただただハローワークに掲載されている求人に飛び込むだけなんて求職活動では年収を引き上げるどころか維持すら精一杯になっていく。
それほどに企業側はあの手この手を駆使しつつ、人との接点もすべて行使しながら人材の獲得に躍起になっているのであり、そこに「どこの誰かもわからないような人材」がポッときたところで採用される割合は圧倒的に低くなっていく。
実際、ハローワークでの求人しか見れない人とハローワーク以外に掲載されている求人まで追いかけられる人とでは、どちらに自社業務を任せられそうなのか。
現代はITツールやシステムが前提の働き方がほとんどであり、まともにネット上の情報検索すらできない人間が選ばれる理由などない。
パソコンとは言わず、スマートフォンでの情報収集ですら手間取ってしまう人に自社のシステムや仕組みを理解することを促すことは圧倒的に時間の無駄になりかねない。
自分で何を調べたら必要な情報に辿り着けるのかといった検索や収集能力に劣る人材であればあるほどに仕事をする上での前提が揃っていないと判断されかねない時代であり、そこですら評価がわかれてしまうことを求職者側も肝に命ずるべきだろう。
▷ 共に働く人を選ぶのか選ばれるのか
企業側はできる限り安い人件費で多く働いてもらいたい、もしくは多くの稼ぎを作れるような働き方をしてもらいたいと思っているし、逆に従業員側は短い時間で高い給与をもらいたいと思っている。
この認識が埋まることは今後もないだろう。どちらもワガママといえばワガママだが、それをなくすべきだとも思わない。むしろ、それを押し通そうとした結果、どちらも納得と合意が得られたからこそ労働契約に至っているわけで、その事実は変わらない。
どちらにとっても条件が厳しくなる状態であったとしても、何もかもがうまくいかないわけではないし、どこかしらで平衡性が保たれるようになるように僕は思う。
企業側も求職者側も、困っていることに変わりはない。ただ、その困っていることをどうにか解決する方向で動ける企業や求職者なのか、そうでない人たちなのかによって結果が異なるのはわかる。
それは別に珍しいことでも何でもなく、これまでもそうであったように今後もそうであるのだろう。柔軟かつ剛直に適応し対応できる企業や求職者でなければ、そもそも就労することや事業を継続することは難しくなってくるはずだ。
なぜなら、今後日本の経済自体が縮小していくからで、うまくいく業界や職種がある一方でうまくいかない業種や職種が生まれる。
もしかしたら、個人事業やマイクロ法人といった働き方が流行するのかもしれないし、事業規模は決して大きくはない企業が数多く存在し、総数によって事業を支えるような仕組みを構築するのかもしれない。
いずれにしても、労使双方で苦しく厳しい時代になっていくことだけは明確なんだろうと思う今日この頃である。
ではでは。
えんどう
▶︎ おまけ
▷ 紹介したいnote
ぼっち採用担当を脱し、「現場を巻き込んだ採用体制」を目指した365日
こういった形で自社文化や制度などを含め、就労人員に何を求めるのかを明確にできている事業者とそうではない事業者との間で人材獲得の差は歴然としていくのだ。結局は共に働く仲間に向けて何を提供できるのかと考えている事業者とそうでない事業者との違いだと言える。
スタートアップでの採用!そして就職! スタートアップで優秀な人材を採用するのには?また、就職する側としては?(第22回目2021年8月22日(日))
多くの企業でやっているようでやっていないのがevidence baseの獲得業務ではないか。やっているようでいて、その数値が何を示すのか。その数値から何を得ているのかを把握できている事業者が多いとは思えない。なぜなら、そうでなければ不一致が減少すべきだからである。
自社の雰囲気や中で働く人たちの人柄によって誰かの人生が破綻する可能性があることを自覚すべきだと教えてくれる内容だ。この内容を読み「4日で退職をする人間はおかしい」と言えるまでには相当の覚悟と責任を認識した上で述べるべきだと自覚する必要がある。
▷ 本noteに関連する紹介したい書籍
天職などないだろうが、後悔を少しでも減らすことはできる。選択をする上での判断材料とは何かを知っていれば、感情的な決め方をせずに済む。そんな風に考えられるようになるためには、化学的な...という言葉になれるところから始めるべきだろう。その意味では入りやすい本である。
▷ 著者のTwitterアカウント
僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。
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