複業も「就労型」か「自由業型」かで質が異なってくるよねって話
はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。
このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。
はじめに
まず、大前提。
ぼくは2019年から個人屋号を取得し「副業」的なことをやりはじめ、徐々に「複業」に変化していることを体験しながら2022年06月以降、本格的に自由業者と明記することになったが、決して優秀な自由業者ではない。
そう、ぼくはこんなところで偉そうに自由業者であることを誇ることもできなければ、他人に複業についてマウントを取りながら話せるような存在にはなりえていないのだ。
ただ、身銭を稼ぐことに必死なだけの就労の奴隷というに相応しい。
それでも会社員として就労する傍らで異なる業務を有償無償を問わずに取り組んだこともあれば、今のように複業をせざるを得ない状況の両方を体験している。
そこから得た知見と体験を基に整理して書いていくため、参考にしたいヒトは参考にすればいいし、参考にしたくなければしなくていい。
就労型と複業
就労型の複業は、一言でいうと大変である。
本業の中で取り交わした労働契約の中身、ならびに事業所内で定められている就業規則などに照らし合わせ、そもそも複業(副業)が可能かどうか判断するところからやらなければならない。
仮に可能だったとして、上司や同僚に周知するのかしないのか、上司に了承を得て社内承認も得たとて「なにをどこまでやるものなのか」を吟味しつつ、本業との時間的な意味でも負担的な意味でも模索が必要だ。
仕事との出会い方や見つけ方なども労働契約先があるのなら、就労の合間を縫って探す必要があり機会や時間などに大きな制約が生じる。
たとえば、複業(副業先)のメイン稼働時間が自身の所属する労働契約先のメイン稼働時間だったりすると、「軽く面談をするーなどといったことですら敷居が高くなってしまう。
とにかく本業として就労先がある中で複業的な関わり方を増やそうとすることは時間や自身の負担管理などの敷居が一気に上がってしまうため、もう一度かく。
大変だ。
もちろん大変なことばかりではない。
就労している事業者と利益相反にならない範囲で関われる範囲なら、業務を取り組むうえでの視野が広がるだろうし、その広がった視野や視点を本業となる就労先での業務に還元することができるかもしれない。
また、自身の時間管理が飛躍的に向上することも考えられる。時間が足りないからだ。時間が足りない中でどうにか時間を捻出しようとするわけだから時間管理が上手になることも期待できる。
それまでの働き方を見直す機会にもなるだろうし、もしかしたら転職先が見つかるかもしれない。
それまでに限定されていた就労環境からオープンになるわけだから、必然的に活動範囲や観測範囲が広がっていく。それは非常に有益なことでもあるし、仕方のないことでもある。
しかし、繰り返すが大変は大変であることに違いない。
自由業型と複業
自由業型とはフリーランスや個人事業主といい変えることができる。ぼくは自由業という甘味な語句表記がスキなので使用しているだけだ。気になるヒトは脳内変換してくれればいい。
それを前提に話すを進めていくが、自由業者は必然的に複業にならざるを得ない。むしろ、一つの契約先と大きな契約を結んでしまうことは非常にリスクの高い働き方だ。
もちろん、能力が認められて専属契約といった形で契約を結べる自由業者もいるだろうが、少なくともぼくのような平々凡々と生かされているような人間には、そのような大それたオファーなど届くはずがない。
これを読んでいる方々も、ぼくと大差のない「それなりの人たち」なのだろうから、リスクは分散して働き身銭を稼ぐことを念頭に置いたほうがいいだろう。
「いや、そうではない!わたしはできる!」
そう思えるほどに実力と実績があるのなら、一向に構わない。ただ、今回は複業をテーマにしているため、そこに関する言説は行わないことだけ付け加えておく。
話を戻そう。
自由業者の場合、時間が自らの裁量によって決められるため「どんな仕事にどれほどの工数を割くのか」を決めることができる。この点は就労型の複業とは大きく異なる点である。
自らの処理能力が担保できるのであれば、ドンドンと契約先を増やしつつスキなように時間配分すればいい。反面、納期や納品の質を引き上げるようなことをしない限り、仕事がなくなっていく。
就労型の場合、余程のことがない限りはクビを切られるようなことはない。「Fire you!!」とエレベーターでの会話からクビを宣告されるだなんてドラスティックな展開は2022年現在の日本の法律上、あり得ない。
しかし自由業型の契約となれば別だ。
業務委託契約であれば契約を結び続けることに価値が見出せなければ終わらせられる。契約をしないことを選ぶことができるからだ。
自由業者の場合は複業をせざるを得ない。
複数の事業者と契約を交わしつつ、どこか一つの契約先がなくなったとしても生活に困らないようにする。
月に3万円の契約が10件もあれば、各種社会保障費を支払ったとて贅沢さえしなければ十分に暮らしていける。
また、契約先が1件や2件なくなったとしても金銭的なダメージが少なく済む。
仕事の出会い方も相手の稼働時間に向けて柔軟な対応が可能になるため、就労型の複業活動は異なり随分と広がりやすい。ただ、広がりやすいからといって容易に契約まで行けるのかどうかは別だ。
もちろん、自由業者だからといって複業が容易なのかといえば違う。自由業型であったとしても大変は大変だ。
おわりに
結論。
就労型のように安定的な就労をした状態で知見を増やすような事ができることもあれば、自由業型のように裁量を自らで持ち得た状態で柔軟な働き方が可能になるといった、それぞれの特徴がある。
兵制の30年間で平均賃金が延々と横ばいを繰り返してきたことと、人口減少のデモグラフィーを見れば日本語話者の労働者たちの手取り金額が増えていくことは難しくなる。
企業も大変なのだ。
そうなってくると全体で収入を増やせないのだから個人で増やしていく他にない。結局は、単一契約だけでは食っていけなくなるから複数の契約先を見出して働いていく他にないのではないか。
事業者側も固定費としての労務費を業務委託が増加することによって抑えることができるうえに雇用の流動性を生み出すことができる。ダメな労働者や扱いづらい労働者との契約を打ち切ることがしやすくなるのだ。
そんなことを踏まえると、結局はみんな複業家のような働き方をせざるを得なくなる世界線が訪れるのだろうし、現時点で訪れているのだろう。
それがいいのか悪いのかはわからないが、働きたいように働けばいいし、充実した生活を個人が随時判断しながら生きていくこと。それが大事なんだろう、なんて当たり障りのない言い方で締めくくりたい。
ではでは。
ゑんどう
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