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“賢い若者”がドンドン出てくる世の中で、どうやって生きながらえよう...

新潟県の長岡市で男子中学生が学校のサーバーにアクセスし、自身の成績を書き換えたとして、書類送検された報道がありました。

これには続報として、少年はサーバーへアクセスする前にハードディスクを学校から持ち出し、アクセスしようとするものの、使用できなかったため、サーバーへのアクセスを試みた、とする報道まで出てきました。

それに、この内容を見ていただければわかるように、知識だけでなく、実際にIPとパスワードを取得できるまでになっている点に『すばらしいな』とさえ思います。

ぼくは、この少年を否定したいわけでも、肯定したいわけでもないのですが、いわゆるデジタルネイティブ世代やミレニアル世代とされているぼくの世代(30代)よりも、さらに若いZ世代と呼ばれる世代になると、すでにパソコンやネットではなく、スマートフォンが手元にあるのが当然の世代。

ネットに接続されているのが前提の世代であり、ぼくたちミレニアル世代の「ネットの今昔話」的な「あの頃は…」みたいな話が通じない世代です。

何よりも、この男子中学生は学校のサーバーへ「どうやったらアクセスできるのか」を知っており、それを「実行する」だけの知識と経験を持っていたことになります。同時に、それを調べながらでもやり遂げるだけの意志があったとも捉えられます。

書類送検された際の「(略)いい成績を親に見せたかった。」なんてコメントが、若者っぽさと言うか、可愛らしさを感じますが、サーバーのハードディスクを持ち出すのは立派な窃盗なわけで、いくらなんでも擁護は出来ませんが、「(自身の課題や)困難を乗り越える力」を備えているのだと言うのは理解できました。

むしろ、問題があるのだとしたら学校のセキュリティ面であり、教員のセキュリティ意識というかネットリテラシーが低いのは言わずもがなだったのではないかなぁ、と大きな課題感が噴出したわけで、この件を受けて新潟県内はおろか、全国中の中学校および、小学校などでも注意喚起と対策会議などに追われ始めたのではないかと勘ぐってます。

こういう若者はドンドン出てくる

正直、リモートデスクトップアプリをインストールし、遠隔操作でパソコンを操作するなんてのは調べてみればいくらでも出てくるわけで、今の時代であれば手元にスマートフォンがあれば、知識の収集なんて簡単に済んでしまいます。

また、実際に行動として移せるだけの気概を持っているのもわかった以上、彼に対して好意的な評価を抱く人たちもいるでしょうし、もしかしたら、早速ツバをつけておくような人も出てくるかもしれません。

日本は子どもの数がドンドンと減っていて、同時に高齢化してるから人がドンドンと減っていきます。

こんなのは日本の中に住んでいて、ある程度の年齢を重ねている方であれば、各種報道を耳目しているでしょうし、前提認識として「日本がヤバい」みたいに思ってる人が多いと思うんですよね。

でも、時代は進んでいくわけでして、今回は悪い、というか…あまりよろしくない内容の報道内容になってしまいましたけど、こんな風にして"優秀な"と言ったら語弊があるのかもしれませんが、とにかく上の世代を出し抜いてしまえる知識収集に長けて、行動力のある若者がドンドン増えてくるんだと思うんですよね。

これまでも一定の割合でいたと思うんですけど、人数の影に隠れて見えなかったような若者が、ドンドンとフューチャーされてきて、良くも悪くも注目を集めてしまう事案が多発してくるんじゃないかなぁ、と考えてます。

そうなったときにどうする

これはぼくも含めた、今回の彼以上の年齢になっているおじさんとおばさんはどうやって対処したらいいんでしょうね。

ネットリテラシーを引き上げましょう!っていうのは簡単なんですけど、「もうパソコンは私の思う通りになんて動いてくれないの!」ってな具合に、鼻っから諦めモードの状態で、今回のような件を「坐して待つのみ」とするのか、それともわからないけど、とにかく足掻いて学ぶようにするのか。

ちなみに、どう悪あがきしたところで、時代はドンドンと進んでいくもんだから、自分が置いていかれるだけで、周りは誰も助けてくれなくなります。

そりゃそうですよね。若い人たちが減って、高齢な人たちが増えていくんだから、「わかる、わかるようにする人」と「現状のままでいようとする人」で分断されますし、なんなら「現状のままでいようとする人」たちは、その人たちで固まってる時はいいかもしれませんが、それでは仕事も何もできなくなります。

少しでも生きながらえるには足掻くしか道がない

亀の甲よりも年の功、なんて言い方も、数年後には使用できなくなり、常に学び続ける姿勢を保ち続けられるかどうかが尊敬はされなくても尊重をされるための最低条件になっていくんじゃないでしょうか。

だって、現状ぼくたちが尊敬する人たちって、立ち止まらずに進み続けるような人たちですし、尊重したいと思う意見や行動を取れる人も、現状のままではいけないと思いながらも足掻いている人たちです。

足掻くのはかっこいいとか悪いとか、そういう次元の話ではなくて、生きるための最低条件になってきてしまっていて、世の中には知らないことだらけなのは、昔も今も変わりません。

人の知識や記憶には限界があります。領域が異なる分野を深く追い求めることなんて、そうそう容易くできるものではありません。

それをぼくたちは実体験を持って知っているはずなのに、年齢を重ねてしまうと道の体験や知識に対して心理的な障壁を設けてしまいがちです。

少し突飛な意見だったのかもしれませんが、冒頭の件を受けて、ぼく自身も焦らなくてはいけないのかな、と思いましたし、少しでも社会で役に立てるように、社会で生きながらえるように生きるためには、足掻き続ける必要があるんだろうな、と思ったのでした。

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