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無事に帰ってきてくれてありがとう

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

普段、在宅でカタカタとやっているもんだから、家族を自宅で迎え入れる側だったりします。

不登校だった長男くんも特別支援級へ転籍してからは「学校、楽しい」なんていいながらウキウキと登校できるようになりました。

お兄ちゃんが大好きな次男くんも、その様子をみて嬉しそうだし、何なら兄貴の登校準備を代わりにしてあげるぐらい。

小学生の二人が登校していくのに合わせて、保育園児の三男も学校の目の前にある保育園に向かって歩いていきます。年少の頃から、歩いていけるときには歩いて登園しており、その距離、実に約1kmほどですから中々に見上げたもんです。

妻さんも通勤に電車やバスといった公共交通機関を使って通勤するようになったので、タイミングさえあえば家族全員で徒歩で出かけることも。

もちろん、小学生たちは各々、一緒に投稿する仲間たちとワイワイ、ガヤガヤ、トボトボと登校していくため、多くの場合は急ぎ足の妻さんと、それに何の遅れもなくついていける三男、そしてぼくが一緒のことがほとんど。

全員が無事に目的とする学校、保育園、駅に辿りついたら、ぼくは1人で自宅に戻るわけですが、そこから数時間は黙々とカタカタしたり、AIさんに話しかけて議論したり、オンライン会議などであーでもないこーでもないって話たり。

この1人でいる時間も好きなのですが、どうも調子が悪いときもあります。

いや、まだ周りに誰かがいないってだけでも十分に生活しやすいのですが…。

どうしても職場などの周りに誰かがいる環境となると、周りに注意や意識を奪われてしまい、どうしたって集中し切ることができなくなるんですよね。もともと、集中したところで無能派閥なので意味はないのですが…。

結構な職場で過ごしてきたのですが、どこでもそうでしたし、おそらく、これからもそうなんでしょうね。無念です。

いや、そんな話をしたいんじゃないや。

本題は、誰かが帰ってくるのが「うれしい」って話です。

息子たちが帰ってくるのもうれしいし、妻さんが帰ってくるのもうれしい。

自分が帰ってきた時に出迎えてくれるのもうれしいんだけど、やっぱり自分が迎えるほうがうれしくて仕方ありません。

落ち着くし、安心するんですよね。

家族にとどまらず、子どもたちの友だちが遊びにくるのも、なんだか安心します。

「あー、この子たちも今日は無事に生きられてよかったな」とか、近所に誰かが帰ってきた様子をみると、それで「あー、あの人も無事に帰ってきたな。よかった」って。

もう年だからでしょうか。

誰かの無事を安堵できるようになったってのが、うれしいことなのかどうか、それを判断するのは決して難しいことではありません。

こうやって他人の無事にまで意識が向いてるってことは、ぼくがこの地域に「暮らしている」ってことなんでしょうし、「生きている」ってことなんでしょう。

今日も「おはようございます」とか「こんにちは」、「いってらっしゃい」に「おかえりなさい」って言えること、言えたことをうれしく思います。

みんな、無事で何よりです。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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ゑんどう ≒ 遠藤 涼介
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