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推し活って90年代だとオタク活動だったよね

 どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

 今回は日経クロストレンドの記事から。大学生800人に調査したところ、最近は「SNS映え」より「推し活」が重視されているとあります。

 昭和の時代から生きてきた人間からすると、「推し活」と表現されている現代から遡ること30年前のことを思い返してしまいます。

 当時、マンガやアニメ、ゲームにアイドルなど特定の分野に強い関心を持ち、熱中する人々によって形成されていた分野は「オタク文化」と揶揄されていました。いまでいう「ガチ勢」と呼ばれる人たちが属しているものだと思ってもいいかもしれません。

 30年ほど経過し、サブカルチャーと区分けされてきたマンガ、アニメ、ゲーム、アイドルらが、しっかりとメインカルチャーとして認識、許容されてきたからこそ、市民権を得て「推し活」と表記されるに至ったわけです。

 ぼくと同年代の人で「宅八郎」を知らない人はいないのではないでしょうか。

 長い髪を靡かせながらピョン吉Tシャツを着込み、森高千里のフィギュアを抱えながらマジックハンドを手にしていた、あの様相を「オタク」の姿だと世間一般に周知した張本人が宅八郎、その人です。

 残念ながら宅八郎さんは2020年に亡くなっており、その姿を何かしらのメディアで確認することはできませんが、検索することで当時の勇姿を確認することができますから、宅八郎を知らないという方はぜひ覗いてみてください。

 で。

 今となっては「推し活」と称される「オタク文化」について、それらが取り扱う内容であるマンガやゲームなどの括りがサブカルチャーからメインカルチャーと変遷してきたことに触れつつ、考えてみようと思います。

サブカルチャーとメインカルチャー

 「サブカルチャー」と「メインカルチャー」の区別は、時代とともに変化し、ぼくはそれを目の当たりにしてきた世代ですし、いま、少し怪訝な目で見られているようなことも将来は誇らしい活動となったりすることは増えていくことでしょう。

 アニメやマンガ、ゲームにアイドルらは、かつて「サブカルチャー」とみなされていましたが、時代の変化とともに「メインカルチャー」へと移行したと見ていいでしょう。クールジャパンとして国が売り出そうとするぐらいですからね。

 そういった変遷は珍しいことでもなんでもなく、たとえば、かつてはロックミュージックやヒップホップは「サブカルチャー」とみなされていましたが、現在ではポピュラー音楽の重要な一部ですよね。

 アニメ、マンガ、ゲームといった、当時のいわゆる「オタク」文化も、現在では多くの人々に受け入れられ、「メインカルチャー」の一部となりつつあり、それらが持つ創造性や表現力、娯楽性が広く認識されるようになったことを示しているわけですから、むしろ誇るべきことへ変化してきたと言えるでしょう。

 ただし。

 「メインカルチャー」と見てもいいことと、その文化が均質化されるわけではない点には注意が必要です。

 「オタク」文化の中にも、多様なジャンルやニッチな嗜好が存在し、その多様性こそが文化の豊かさを生み出しているとも言えます。

 したがって、「サブカルチャー」と「メインカルチャー」の区別は、絶対的なものではなく、常に変化し続けるものだと理解することが重要であって、他人の趣味を揶揄したり蔑視したりする態度や姿勢こそ、怪訝な目で見なければならないものではないでしょうか。

オタク文化とは

 現代では「推し活」と呼ばれる「オタク文化」とは、アニメ、マンガ、ゲーム、アイドルなどの特定の分野に強い関心を持ち、熱中する人々によって形成される文化のことといって差し支えないでしょう。

 特徴としてはいくつか挙げられます。

 何よりも専門性とそれを持つに至る情熱でしょう。

 オタクと呼ばれる人、いまでいうところの「ガチ勢」は、自分の興味関心のある分野に深い知識を持ち、その分野の詳細な情報を収集・分析します。

 それこそ、かなり強く深い熱意を持って情報を収集・分析し、自らが好きになった対象に情熱を持って向き合える、とても真摯な態度を持っているのと同時に、その態度を惜しみなく時間やお金を使って対象に投資します。

 自らの知識収集や分析能力の向上に向けた投資というよりも、対象となる事柄や事象、人物が喜んでくれる、もしくは製作陣が喜んでくれるようなものの表現として時間やお金を投資するのです。

 あとは、同じ関心を持つ人々との交流をすることでコミュニティ形成することも特徴でしょう。

 オタクは、同じ関心を持つ人々と交流し、情報を共有するコミュニティを形成し、イベントやオンラインフォーラムなどを通じて、仲間と交流を深めていきます。

 その中から、自分の好きな作品やキャラクターを題材にした二次創作(ファンアート、ファンフィクションなど)を行う人も多く生まれ、中には独自の言語や習慣を身につけ、それこそ本当に文化化してしまうところにまで至る人もいます。

 オタク文化は、日本で生まれ、発展してきましたが、現在では世界中に広がっています。アニメ、マンガ、ゲームなどの日本発のコンテンツが海外で人気を博したことが、オタク文化の国際化に大きく貢献し、結果として「推し活」へと変遷していったのであろうと考えられます。

インターネットの普及によるアイデンティティの発露

 では、なぜ「オタク」ではなく「推し活」へ、昇華したと言える言語変質を実現できたのか。

 何よりも前提となるのはインターネットが普及したことによって自己表現の多様化したことが大きいでしょう。

 SNSの台頭により、個人がメディア化することができるようになったことで自己表現や主張を誰でもできるようになりました。

 そこから「インスタ映え」などと呼称される「撮れ高」を気にしていた2010年代から、現在の若者は、単に見栄えの良い写真をSNSに投稿するだけでなく、自分の好きなアイドルやキャラクターを応援することで、自分のアイデンティティ、自己性、自分らしさを表現しようとしています。

 また、推し活を通して同じ関心や興味を持つ人たちと繋がるオタク文化特有のクラスターやコミュニティを形成することができる点も大きいはず。

 「ひとりじゃない」

 何かを好きになったとして、それを孤独に楽しむことが好きな人もいるでしょうが、コミュニティに属している感覚を得ることができれば帰属意識や連帯感を満たすことにつながります。

 自分自身が「好き」だと自覚していることに加え、同じような感性や感想を抱く人たちに囲まれることは情緒的な満足感にもつながっていくでしょう。

 好きなアイドルやキャラクターを応援し、その成長や活躍を見守ることで、若者は情緒的な満足感を得ることができるだけでなく、同じく応援をしている人たちとの一体感などを得ることができます。

 これは、自分らしさを爆発させることができるだけでなく、それを共有する仲間もいる安心感を抱くことができるため、ストレスや不安を軽減する一つの方法になっていると考えられるでしょう。

 これらの背景や理由を踏まえると、「SNS映え」から「推し活」への移行は、現代に限らず、30年前からも自身の価値観や欲求の変化を発露することができる場があるのかないのかの違いでしかないのだろうと思います。

 その一方で、当時、隠しながら推し活をせざるを得なかった人たちは当時肩身の狭い思いをしていたのだと思うと、悲しい気持ちにもなったりします。

おわりに

 サブカルチャーからメインカルチャーへ昇華されることの善し悪しは分かりませんが、少なくとも、経済的にはそれなりのインパクトがある数字なのだからこそ、メインと呼称できることに間違いはないででしょう。

 それがアニメやゲーム、マンガなどのソフト面だからこそ、世界流通しやすい点もありますから、これからも業界の人たちにはドンドンといい作品を創作し続けてもらいたいところです。

 ちなみに、ぼくはオタクと呼べるほどの熱情を持って活動したことはありませんが、広末涼子のことを応援していた過去がある点のみ添えて終わりにしたいと思います。

 ではでは。

 ゑんどう(@ryosuke_endo)


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