「知的障がいの生徒にも甲子園の道を」と始まる記事の紹介と雑感
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
世の中には知らないことがたくさんあるものです。いま、これを書いている時間にも誰かの人生も同時に過ぎているわけで、その中には、ぼくが知らないけれど壮大な話や、取るに足らないかもしれないけど大事な話が進行しているんだろうな、と当たり前な感想を抱いている次第です。
今回、紹介したのはこの記事。
東京の青鳥特別支援学校の野球部が、高校野球の公式戦に初出場を果たすという記事で、知的障がいのある生徒たちが、懸命にグラウンドを駆け回る姿を想像させるとともに、それを支える大人たちの姿勢に感動しちゃったんですよね。久しぶりに「読めてよかった」と思える記事でした。
このまま読んでくださいといっても、皆さん忙しいでしょうから要約する概要を紹介しつつ、ぼくの雑感を書いていくことにします。
冒頭で紹介した記事の概要
記事の何よりも大事な点を紹介するならば、東京にある青鳥特別支援学校が高校野球連盟への加盟が承認され、2024年7月7日にはじめての公式戦出場することになった点。
これが特別支援学校として史上初の快挙なのですが、昨今、生徒数が減少している中で複数の学校にある野球部員を寄せ集めた混合チームが出場することはありますが、青鳥特別支援学校は単独チームでの出場するとのことに震えます。
もちろん、他の高校との混合チームは難しいことは理解できますが、そうやって特別支援学校に通う学生たちだって高校野球で公式戦に出たいんだってことが強く伝わってきます。
監督の久保田浩司先生は、知的障がいのある生徒たちに野球を教える「甲子園夢プロジェクト」を発足し、野球部を創設。
最初は部員が3人の初心者からスタートするものの、公式戦への出場が叶う高野連加盟への踏ん切りがつかなかった中、ある日、部員の白子くんが自腹で高価なグローブを買ったことで、先生は生徒の本気度を感じ決意を固めた。(この話も震えるので、ぜひ冒頭の記事リンクからよんでもらいたい)
ところは変わって、話題は愛知県の豊川特別支援学校に移ります。
在籍する林 龍之介くんも高校野球出場を強く望んでおり、両親の尽力によって学校が高野連加盟を果たし、2022年の県大会で林くんは代打で出場。
チームは大差でコールド負けしてしまったものの、代打で出場する林くんの様子を見守ったことがあるオジさんになってしまうような感動を味わうことができるのですが、林くんの打席を久保田先生も観戦にいったんですよ。
これを受けて久保田先生は承認を取りに行ったわけです。
ぼくがすばらしいなぁ、と思えた理由
純粋に、この記事はいいものでした。それもそのはずで、「待ってろ!甲子園」という題名で書籍化されているわけです。著者はノンフィクションライターの日比野 恭三さん。思わずポチりました。
知的障がいのある生徒たちだとしても、他の高校生と同じように野球の夢を追いかけること。その夢の過程で公式戦に出場できるようになったこと。
いわゆる理想論として語りがちな「すべての人々に平等な機会」を完全に体現する活動であり、彼らの夢を実現できたことは理想論を体現する形ですし、まさに理想でしょう。
スポーツは障がいに関係なく取り組めるものであり、彼らの真摯な思いと努力を続ける生徒たちや、それを支える大人たちの姿は、スポーツの「みる」「する」「ささえる」といった楽しみ方を存分に体現しているといえます。
障がいのある人たちは当事者も大変な思いや経験をすることもあるでしょうが、当時に、それを支える大人も大変です。
今回で言えば、久保田先生や両親をはじめとする周囲の大人たちが、生徒の夢を理解し、実現に向けて献身的にサポートしている点は書籍になっているからではなく、いや、だからこそなのでしょうが、素晴らしいですよね。
障がい者が社会で活躍するには、周囲の理解と協力が不可欠です。
それをきちんと体験させられる環境を用意している大人は尊敬に値します。
そして何より、特別支援学校の野球部が公式戦で活躍する姿は、スポーツの持つ意義を大きく打ち出すことになりますし、これに追随する学校が出てきてもおかしくありませんし、出てくるべきでしょう。
いわゆる限界突破をしたわけですから、ここから加速的に変化していくことを期待したいところです。
差別は無意識なうちに自分の中に入ってくる
知的障がいのある人たちにかかわらず、何かしらの障がいのある人たちを「かわいそう」と見てしまいがちです。
詳細は省きますが、ぼくは障がいと間近に接する人間であり、その支援や社会のあり方に向けてどうにかできないものかと模索し続ける毎日です。
「かわいそう」と見てしまうことは、強い言葉でいうなら意識的か無意識かに関わらず、障がい者を同等の人間として扱っていません。これは、障がい者を「保護や同情の対象」と捉える差別的な思考があるからです。
社会的に弱い部分もあるのかもしれませんが、それがあるからといって同情の対象と自動的に決めつけてしまうことは、彼らの尊厳を認めない態度であり、対等な関係を築くことを避ける姿勢でもあります。
知的障がいのある人も、他の人と同じように、自分の人生を主体的に生きる権利がありますし、スポーツに打ち込む彼らの姿は、障がいがあっても夢や情熱を持って生きることができる、力強い証明だといえます。
「かわいそう」という感情は、私たち自身の偏見や無理解から生まれるものかもしれませんが、その偏見や無理解を恥じなければいけません。
大切なのは、知的障がいについて正しく理解し、彼らと直接関わる機会を持つことであって、理解しようともせず、闇雲に同情するだけで理解しようとしないことは腫れ物を扱う態度や姿勢ですよね。
でも、障がいのある人も私たち同様、喜怒哀楽の感情を持ち、自分なりの人生を歩む一個人です。
青鳥特別支援学校野球部の活躍に向けて、「かわいそう」ではなく「すばらしい」と、自然に感じられる社会を目指していくことが、私たち一人ひとりに求められているでしょうし、それがないからいつまでも平等だ何だってのは実現できないんでしょう。
無意識な差別、もし自覚できていない人がいたら自覚してみることからはじめましょう。
おわりに
うん、いい記事でしたし。良い書籍だと思います。一緒にポチりましょ。
他にも記事がありますが、どちらの記事も書籍からの抜粋です。よければこちらもどうぞ。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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