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「アスリートの社会性」と「じゃがりこ」の関係、おまけで「札幌五輪への期待の有無」

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

はじめに

久しぶりにスポーツの話題に触れてみたい。

元ラグビー日本代表で現在は神戸親和女子大学の教授である平尾 剛さんがPRESIDENT Onlineで「不勉強で無知なのにプライドは高い…日本のアスリートが「鼻持ちならない存在」になりがちな根本原因」と題した記事を投下しており、少し心が沸き立った。

サブタイトルが「「結果だけ出せばいい」を信じ続けた選手たちの末路」とされている点を見ても、アスリートの社会性に対する危機感を強く表現したいのであろうことをマジマジと感じさせる。

記事の要約をするつもりはないのだけど、タイトルの通り日本人アスリートの多くは社会性が乏しいと指摘しつつ、その指摘の背景は社会性を知らない指導者の影響も強く、狭いコミュニティが「世界」となってしまっているため抜け出すのに随分と苦労することが実体験を伴って記載されているため、現役アスリートの方々には目を通して行動変容を起こしてほしいとすら思える記事である。

また、最近、キナ臭い報道ばかりとなっている東京五輪に絡み、2030年に開催される札幌での五輪についても同じような運営団体が絡むのであれば、同様のキナ臭い大会になってしまうのではないかといった疑義が持たれてるのも仕方がないことだろう。

ぼくは真夏の甲子園開催に反対する旨を過去(開いてみたら4年前…)にnoteで記述していたのだが、今では夏の甲子園を目にすることはまったくなくなってしまった。
甲子園やめませんか、というお話

そもそもスポーツを観戦することやスポーツからポジティブなメッセージを受け取ろうとすること自体が激減し、過去にスポーツ業界の端っこに属していた身だったことすら考えられないような距離の置き方をしている。
このあたりも含め、改めてスポーツと社会性みたいなものを考えてみたい。

スポーツの事業規模は大したことない

スポーツは根本的に莫大な金になるのかといえば、まだまだ可能性はありながらも突き抜けた産業として位置づけられるのかといえばそうではない。

経済産業省が自分たちの政策であるDXを押し出したいがために出したであろう資料「DX時代におけるスポーツの価値最大化」 の中で触れている通り、米国のNBAや英国のプレミアリーグなどのチップリーグとの収益差は愕然たるものだ。

それでもB.LEAGUEはリーグ発足時の2015年に83億だった営業収益が2020−2021シーズンで242億円と2.9倍に成長している。5年で約3倍の成長を遂げていることを踏まえると非常に逞しいといえる。

それでも米国のNBAは9,000億以上を売り上げてしまうバケモノコンテンツであるため、そこに追いつくためにはさらなる放映権料や広告収入が必要だ。

プロスポーツクラブが金を稼ぐための手段は決して多くはない。

Jリーグクラブはスポンサー・入場料・物販で収入の7割を超えてくるため、それが無くなろうものなら途端に存続の危機に瀕する。

2021年度クラブ経営情報開示

しかもJリーグクラブは年間でJ1だとリーグ戦は17日間しかホーム試合がない。年間で17日間した開かないレストランみたいなものだ。開きたくても開けないだから、オンライン化やITを活用することで放映権や広告収入、なんて話にならざるを得ない。(敢えてDXとはいわない)

果たしてスポーツは金になるのかならないのかって話だが、がんばって金の稼げる業界にしていくってことを必死に取り組んでいる最中だし、成長の余地はあるはずだ。

正直、ここまで見てきたとおり金額は一般的な感覚からすると多いかもしれないが、ビジネス的な視点で見ると「そんなものか」といえる金額でしかない。

一般市場で見た際に決して大きくはない取引金額なのにも関わらず「注目度が高い」ことがアスリートの社会性を欠落させているのではないか、とぼくは考えている。

じゃがりこ/ポテトチップスの売上規模

以下はCalbeeの決算資料ページだが、みなさん大好き「じゃがりこ」の売上規模はどれほどかご存知だろうか。

340億である。上述したB.LEAGUEの全体収益は242億円と記載したが、全クラブの収益を支払ってもお釣りが100億も出てくる規模だ。

ポテトチップスは800億円以上の売上を出しているため、ポテトチップスとじゃがりこをかけ合わせた売上はJリーグの全クラブ収益とおよそトントン。

スポーツの事業における影響力が、それほど大きくはないであろうことはこれでわかるのだが、それに反する影響力や報道の取り扱い方があることから、アスリートは自分の存在意義を見誤ってしまうのではないか。

ぼくは別にスポーツ業界をこき下ろしたいわけではない。数値として、それほどは大きくはない事業なのだと記載しているだけなので、その点は誤解なきようお願いする。

札幌で冬季五輪が2030年に開催されるが、東京五輪のキナ臭い話が報道を賑わせる形になっているいま、開催の意義自体も問われるような事態に発展している。

そもそもオリンピックは何のために開催されるのか。

もう「金のため」だといっても過言ではないだろう。ぼくはこれを悪いことだとは思わない。上述してきたとおり、スポーツの事業規模は決して大きくはないからだ。

大きくはないが、五輪のような多種多様な競技を組合せた総合大海を開催することでスケールメリットが生じ、競技人口の少ない競技は大きな注目を集めることができることで継続発展の足がかりにすることができる。

「それでいいのか」と言われれば、当事者団体からすると「よくはない」だろう。競技に取り組む人が少ないってことは競技自体の存在自体が危うくなるわけで、子どもたちが減少しつづける日本では競技ごとに子どもたちの取り合いをしている最中だ。

そんな中で注目もされないような状態に差し置かれようものなら身動きが取れなくなってジリ貧になってしまう。身銭を稼ぐことすらできない業界や職種は淘汰されるのが世の流れだが、一発逆転を果たせるのが国際スポーツ大会の醍醐味でもある。

当該関係者からすると開催されることに意義があるといえるかもしれないが、世間はそれほど大会が開催されるかどうかを気にしていない。

スポーツが好きな人たちで固まっていたら「スポーツっていいもんだよな!」って言いあえるかもしれないが、それが多数派ではない。自分は少数派なのだ、もしくは少数派なのかもしれないということを強く実感することこそ、アスリートの社会性は育まれるのではないか。

そんな穿った見方をしている。

おわりに

久々にスポーツにまつわることを書いてみたのだが、想定よりも時間がかかってしまったことに大きく反省している。ここ(「おわりに」)に至るまでに要した時間は48分と、通常よりも遥かに時間がかかってしまった。

スポーツ業界には少なからず知人や友人が属し、必死になって経営を担ったり業務を担ったりしている。

彼らの努力する姿には本当に敬意を払いたいし、その愚直なまでの姿勢に尊敬する気持ちもある。だからこそ、アスリートには自身の価値をメタ認知してもらいたい。

アスリートたちの価値は、そうやってアスリート以外の人たちが必死にビジネスにしよう、金にしようと行動し続けているからであって、その人たちがいなければフィールドやスタジアム、アリーナで活躍することなんてできない。

もちろん、利害関係者たちは「アスリートファースト」だという。そう言わざるを得ない。アスリートが商品であり、サービスの主軸であるからだ。
でも、間違ってはいけない。

そのアスリートの周りにいる人たちにだって人生や生活がある。むしろ、それこそが「ファースト」になるべきで、その人たちの犠牲によって華々しい世界があるなんてことは認められるべきなのか。

やりがい搾取だなんてことにならない、しないためにはアスリートの社会性を認知することだけでなく、それを把握した上での行動までが求められるのだろう。

ああ、もうこんなに時間が経ってしまった…。

そんなわけで終わる。

ではでは。

ゑんどう

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