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誰かの制作したコンテンツへの違和感に気づくために自らの制作したコンテンツへの違和感を探す

ようこそ、お越しくださいました。

どうも、えんどう @ryosuke_endo です。

誰かの制作したコンテンツに触れない日がない。体調が芳しくなかったり仕事が立て込んでいたとしても閲覧しないことがないのだ。

動画やマンガなどといった、いわゆる可処分時間を消費するためのものだけではなく、文章や画像など「誰かの手によって制作されたもの」全般を指して”コンテンツ"と称している。

メールやLINEのようなメッセンジャー内で起こるスタンプの応酬ですら人が生み出したコンテクストであり、コンテンツだといえる。

ぼくはこうやって毎日ネット上に雑文を投下する毎日を送っているが、仕事では誰かの制作するコンテンツに目を配り、配されている一語一句や文節などを確認してはイチャモンをつけることも少なくない。

ふと、そんな毎日を過ごしている中で気づいたことを書いてみる。

▶︎ 違和感の正体

誰かが書く文章を確認することは、運転している人物の隣に乗っているようなものだと考えている。

文章を読んで抱く違和感は、誰かが運転する自動車の助手席に座った際に抱くものと似ているのだ。

「この人の運転、怖いな」とか「うわぁ...荒れてるな...」と違和感を抱きまくってしまう場面に遭遇したような心持ちだといえばわかってもらえるだろう。

運転にもリズムがある。

ブレーキのタイミングや発進の仕方、カーブに突入する速度や角度、車線変更をする際の機微を伺う様子...など、目的地への移動方法として利用するものだが、運転の仕方が荒れていれば隣に乗っている人物は気が気ではない。

文章の中でもよどみなく記載されていると読み取れる場面もあれば、そこで句読点入れるのか。ここでこの接続詞を...!この締めくくり方できたかぁ...など、あらゆる箇所に存在するポイントがあるわけで、そこに違和感があるものは大方読みづらかったり読後感が悪かったりする。

動画やアニメ、漫画などと同様、文章や画像でも何かしら違和感があるのなら、そこを直せばいいというよりも「そこに気づけるかどうか」を大事にしている人が生業にできる人とそうではない人の違いなのだろう。

(ぼくがそうだとはいっていない。あくまでも客観的な物言いをしている。)

▷ 好きで書いているのか、書くのが仕事なのか

ぼくは誰かしらのテキストを読むことがスキだったりするし、そういった仕事で身銭を稼ぐようなこともある。

その中には自分がガリガリと記載することもあるし、誰かの文章に赤入れをすることもあり、誰かの文章を赤入れする上では自分の文章も誰かから赤入れをもらえることを受け止めることを覚悟してもいる。

このnoteはぼくの趣味でしかないから、別に誰の許しを乞うことなく好き勝手に書き連ねているし、誰かから指摘されたとて直すとしたら誤字脱字ぐらいなものだ。

ぼくがnoteを書く場合、基本的に書いたあとに何度か見直してはいるものの、誤字や脱字があったとしてもそのままにしていることが多い。もちろん、正直恥ずかしい気分になるような誤字や脱字の場合には修正をすることもあるが、基本的には読み直しても修正を入れない場合が多い。

趣味だからだ。好きで書いてるのであって、ネット上に転がってる「読んでも仕方のない」ものを一つ生成する立場であることを自覚しているからこそ、誤字や脱字を”まんま”掲載していたりする。

それが仕事となると別だろう。当然だ。ぼくに向けて信頼なのか信用なのかはわからないもが、ぼく個人にでもそうだし、ぼくを含めたチームに依頼をしてくれている以上は、その期待に応えなければならない。

この時勢に書くのもはばかられるかもしれないが、そんなことでは男が廃る。

依頼をしてくれる人たちがいるのなら喜んでもらいたいし、依頼者の周りから依頼者が「よかったよ」なんて褒めてもらえるような状況にしたい。

自分で書こうが他人が書こうが関係なく、何度も読み直すし、何回だって赤入れしては修正に修正を加える。

それが「あり方」だ。

▷ 構成だとか校正だとか行間だとか余白だとか

ぼくの場合は文章にかかわることが多いため、文章を書く意図や目的に始まり、そこに到達するための構成、余白のとり方や行間に至るまで、とにかく見れる範囲をすべてに渡って見渡すようにしている。

コンテンツは生み出したら終わるわけではない。出してからが勝負だ。

生み出す過程も大変であることに違いはないが、それ以上に生み出されたコンテンツが意図通りの人たちに届くのか、届けられるのか。そこに至るまでの過程や経路はどう構築するのか、構築されていないのであればどこから手を付けるのか。

そんなことを常に考え続けなければならないし、自分だけで完結するならまだしも依頼主がいるのなら、その人が希望する期待や効果、成果みたいなものへ到達できるのかをあざとく、ずる賢くなることも厭わず、どうにか達成したいと考える。

うまく行かないことが多いし、「なんで?」みたいなことだって往々にして発生する。まったく意図してなかったところから勢いがつくこともあれば、練りに練ったはずの施策でも大ゴケすることだってある。

そこから「何がよくて何が悪かったのか」を何とか必死に食らいつきながら模索するのだが、ブレブレになってしまうのもよくはないような気もしている。

文章の場合、一にも二にも構成次第で大きく印象が変わる。そのためには画像や動画なども適切に配置できた際の読後感は文章だけでは感じられない臨場感が生まれる。

140文字だろうが3,000文字だろうが10,000文字だろうが、それを生み出すためにやることは根本的には変わらない。読んでもらえて、何なら感想まで書いてくれそうなところまでを「構成」するのだ。

それができなくて思い悩むのだが。

▷ よきコンテンツは人に声や音、描写を想像させ反応させる力がある

よい文章からは、会ったことのない人だったとしても声が聞こえたりする。かなりスピリチュアルなことを記載しているから気持ち悪いと思うだろうが、後日、機会に恵まれて実際に声を聴けたとしても、抱いた印象から声の音質や声色などがずれていたことはない。

文章だけでなく、画像からも、なんだろう。一種の躍動感みたいなものが感じられるものは静止画であっても動画みたいに見えたりするし、風景描写をしているのなら風景の音が聞こえてきたりする。

自分で書いておきながら気持ちが悪いのだが、そこまで想像をかきたててくれる程に心血を注いだコンテンツなんだってことをいいたいだけだ。

だから、あらゆる制作物には心底尊敬しているし尊重している。だからこそ、真剣に否定するし、批判する。真剣に制作されているからこそ、受け手としても真剣に対峙すべきだとぼくは考えている。

ぼくがここで記載している文章なんて批判も起きなければ批評されることもない。(何度かコメント欄を賑わすことになった記事はあるが...)それだけ、読み手にとっては価値がないネット上のゴミとして消費されているからだろう。

読んでくださっている方々には本当に感謝しているものの、読み手が読むだけで終わってる時点で趣味範囲でしかないことを如実に物語っており、その自覚もある。

ただ、日々書いているからこそ、文章への向き合い方が鋭敏になっていることも事実で、素晴らしくできているとはいわないが、少なくとも何も考えていない頃からすると、メール文一つとっても変わった。

結局は習慣だって話になるのだが、習慣化するまでが大変だったりする。違和感を抱けるようになるまでの習慣化。

まだやっていない方は違和感を探しまくってもらいたい。

ではでは。

えんどう

▶︎ おまけ

▷ 紹介したいnote

たぶん誰でもできる良いコンテンツをつくる方法
「さっさと始めて、ずっと続ける」妙に刺さるが、ただ闇雲に走り出すだけでなく、振り返りも大事な要素だろう。少なくとも、ぼくみたいな雑文noteブロガーは「ブロガー」って位置づけに逃げ道を用意しているからダメなんだろうな。

お金よりもコンテンツという資産を貯めておこう
ぼくは大したコンテンツを生み出しているわけではないのだけど、貯めていること自体はできている。このnoteでも #えんどうnote と題したものだけでも2022年05月時点で1,300本以上だ。何がよかったのかといえば、自分が話す機会が少なくなったぐらいである。noteがしゃべってくれてるのだ。

わたしをあらわすコンテンツ。
情景描写が半端じゃないんだけど、実際にその場に居合わせたかのような気分にさせてくれるのが生業にできている人の凄さだ。読みながら唸ったよ、もう「ぬんぬん」いっちゃったよ。どれだけ主観と客観を行き来してるんだ。

▷ 紹介したい関連書籍

取材・執筆・推敲 書く人の教科書
ぼくの中で文章コンテンツに向き合う上での必須書籍である。常に目を通しながら反省する日々なのだが、少しでも要素を自らが生成する、もしくは関わっているコンテンツに宿らせることができたとしたらうれしい。

▷ えんどうのTwitterアカウント

僕の主な生息SNSはTwitterで、日々、意識ひくい系の投稿を繰り返している。気になる人はぜひ以下から覗いてみて欲しい。何ならフォローしてくれると毎日書いているnoteの更新情報をお届けする。

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