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「貴様は前例踏襲すらままならないだろう」 #我が家の妻さんが述べました

かなり久しぶりに我が家の妻さんから衝撃的かつクリティカルな一言をもらったので、ついついnoteに書きたくなってしまったことから、カタカタと打ちはじめております。

ここで勘違いして欲しくないのは、ぼくが言われたことを根に持っていて、その陰口をnoteに暴露しているかのような印象を持たれているのだとしたら、まったくの筋違いであることは申し上げておきますね。

まったくの逆で、基本的には議論を尽くした結果、無事にその会話も含めて完了しており、円満かどうかはさておき、通常通りの関係に戻っています。(たぶん)

少し前に以下のようなnoteを公開しまして、しばらくして総会なるものが開かれて参加したり、他の学年代表を担うことになった方々と話をする機会などを経て、少しだけワクワクしながら生活をしているのです。

そんな中で、我が家の妻さんが述べたのがタイトルについている一言なわけです。本文で詳しくみていくことにしますので、お時間がある方はお付き合いください。

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。


ぼく「可能な限り前例踏襲を否定したい」

上にリンクを貼り付けている『不登校児童の親だけどPTAの学年代表とやらになったので…』ってnoteで、率直な雑感としてPTAって組織が任意で「児童・生徒を思いながらがんばってる」組織であることを記載しました。

それと同時に、できるだけ負担を避けるための防護策として前例踏襲型の決め方などになってしまうことには理解をしながらも、それだったら辞めてしまってもいいんじゃないのか、なんてことも書きました。

PTAは、子どもの人数が多い学校であれば年間で数百万円の予算を扱います。会員である児童世帯から徴収し、組織運営と活動費として計上しているのだから、母数が多ければ多いほどに予算規模が大きくなるのは必然です。

その中から、児童や生徒たちへ予算内で学年ごとに活動費を割り当て、その中で学年委員となるPTAの人たちが特別講演会や事業などを企画・執行します。

何がいいのか。何が最適なのか。そんなことは自分と共に暮らす子どもたちだけでなく、他の家庭の子どももいる中ですから簡単には決まりませんし、正直いって、何がいいのかなんてわかりません。

わからないから、続けてきた前例を踏襲したいって気持ちは理解できます。考えることをしたくない。新たなことを企画し、その労力を捻出することに嫌気が指す、なんてことも存分に理解できます。

理解できますが、果たして、それって本当に「子どものため」とか言える組織の体裁なのかってことを考えてしまうのです。別に保護者が面倒だ、やりたくないと思っているのであれば辞めてしまうことのほうが健全でしょう。

その労力を割いている時間を子どもたちに振り向けたほうが、よほど各家庭にとって有益なことはないわけで。

だから、可能な限り前向きに取り組みたいし、前向きに取り組むのであれば前例踏襲型の決め方はやめていったほうがいいでしょうよ、なんて考えてしまうわけです。

妻さん「前例踏襲をしてから否定しろ」

ぼくとしては非常に我ながら勇猛果敢な意見であり、自分が言うからには他の方々に対して責任がありますから、それなりの態度と姿勢を示す他にありませんので、少し鼻息を荒くしているところでした。

ところが、妻さんからはこう言われます。

「いや、前例踏襲にも前例踏襲なりの理由があるんでしょ。長いことやってるんだから、それなりに効果があると踏んで、その期待に応えられるものだったから続けて来られてるんだから、頭ごなしに否定すんなよ。」

なるほど。たしかに。わかる。わかるわー。

これまでに取り組んできたってことは、一番最初に取り組んだ、企画をした人たちがいたわけで、その人たちは懸命に企画を考えたんでしょう。そして、それを連綿と続けてきたってことは意義のあるものだったのだろうことも想像に難くありません。

妻さんは続けます。

「そもそも、これまで何にもしていない立場なのに、いきなり入っていて"前例踏襲やめようぜ〜"とかふざけたこと言い出す前に、まずは前例踏襲してから言え。」

きっつー。でも、わかるわー。だけど、きっつー。言葉尻がキツいのよ。

彼女の言い分としては、前段の理由を理解することもせず、急激に物事を変えようとするとハレーションが起こる可能性があるんだから、それを無理に変える必要はないだろうってことでした。

ぼくだって無理やりに変えたいと思っているわけではありません。ただ、何の思考も考慮も検討もせず、"これまで通り"って形で進められていくのはどうなんですか…なんてことを言いたいだけで。

議論をさせてもらった上で、これまでの形に落ち着くのであればそれで粛々と従いますし、そこに向けて全力で走っていく所存です。何もかもをひっくり返したいっていう、革命家みたいな思想ではありませんから。

「貴様は前例踏襲すらできない無能だろ」

そんな風に弁明をしていたところ、彼女からこう言われます。

「貴様は前例踏襲すらできない無能だろ。自覚を持て。貴様には何もできない。何をしてもうまくいかない。だからその体たらくなんだろう。悔しかったら我が世帯を裕福な家庭にしてみせろ。年収で何千万と稼ぎ出してみろ。この無能が。」※若干の脚色が入っております。

言い返す言葉もありませんでした。完敗です。

たしかに。たしかにぼくは無能です。認めます。これまでに所属してきた最長組織は義務教育機関の小学校で、6年以上も在籍してきた企業等はありません。

転職に転職を重ねてきた人生ですし、それが行き着いてフリーランスです。フリーランスと名乗ればカッコいいものの、実態としてはただの失業者で、自宅警備員と呼称されても過言ではないのかもしれません。

そんなわけあるか!ぼくだって無能の引きこもりワーカーとして地道ながらにがんばっとるわ!いや、他人から見たらがんばってるようには見えないのかもしれないけど、なんとか必死にやっとるんだわ!

そんな声は彼女に届くことはなく、完膚なきまでに叩きのめされたぼくは、静かに枕を涙で濡らしたのでした。

おわりに

根本的に、関わる以上はよき方向に向かって欲しいのですよ。ただそれだけです。よき方向とは何かと問われれば、関わる人たちが能動的に大変ながらも価値と意義を見出せるようにすることでしょうか。

そんなことを思っているものの、妻さんがいうように、ぼくにはそのような力も技術も経験も人当たりなどのコミュニケーション能力も、何もありません。

何もないからこそ、失うものがないといえ、失うものがないから無謀な思考をしてしまうのでしょう。

そんなことを妻さんからの叱咤によって気づかされた。そんな気分です。

さて、前を向いていきましょうか。ね。(涙をぬぐう)

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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