スクリーンショット_2019-09-20_17

銭湯私景・第壱湯『達人』

パン!
濡れタオルを背中に打ちつける音が、浴室に小気味よく響く。


パン! パン!
右手でタオルの端をつかんだジジイは、左の肩越しにクロスさせる格好で、おもむろにタオルを振り上げると、背を叩いて音を立てた。続いて反動を利用しつつ、返すカタナの要領で右脇腹に打ちつける。遠心力を得て、斜め下向きの弧を描いたタオルは体側(たいそく)にしなやかに巻きつき、もう片方の先端が背中に達するや、パン! と軽快な二音めを放った。


パンパン! シパン!
ここで「手持ち武具」について、唐突ながら立ち止まって考えてみたい。実は「濡れ手ぬぐい」は、とっさの時の忍者の武器として知られる。小学生の時に読んだ忍術読本に書いてあったのでよく覚えているのだが、サッと濡らした手ぬぐいを、例えば相手の手首に勢いよく叩きつけることで、敵が持つ刃物などを叩き落とす。一撃で行動不能に陥らせるような強力な打撃を与えるのが目的ではなく、ヌンチャク同様、あくまでも防御系の武器の機転を利かせた一派生と云えよう。

ちなみに私が好きな手持ち武具は、三節棍とトンファー、そして武田鉄矢のハンガー(©映画『刑事物語』)である。そのほか、シラット(プンチャック)のダブルスティックや寸鉄(中国武術では小さな刃物付きの暗器。ジャパンではリングのついた短い棒状の江戸捕物武器に転じた。「寸鉄人を刺す」の寸鉄)、ハードボイルド小説によく出てくるが実際に見たことはないブラックジャック(靴下に砂やコインを詰めて代用可)などもちょっと好きである。

また、差し入れの握り飯を残しておき、潰してカチコチに乾燥させることで自前のヤスリを作り、手鎖を削り切って脱出する、という裏技も忍術読本を読んで身につけている。ただし以上が忍者の技について私が知ることのすべてだ。

いったい何を書いているのか。だれか止めてほしい。

さて、件(くだん)のジジイであるが、姿勢は不動で、目は半眼。軽く膝を曲げてリラックスして佇(たたず)む姿は、まるで亡者か、あるいはありがたい仏像のようである。完全に何らかの達人の様相(ようそう)を醸し出しているものの、実際は銭湯の浴室側の出入り口の前で、タオルを振り回して体についた水気を拭っているだけであり、そして云いたかないが、当然ながら全裸だ。

タオルは右脇腹から左脇腹へ、今度は胴を軸に平行に横切る軌道を描き、いきいきと手応えのある音を鳴らす。シパン!


パンパンシパン! シッパン!
その表情は、苦悶か、恍惚か。達人ジジイは歯を食いしばり、自らの体に一心に濡れタオルを打ちつけていく。何かの罰なのか。己を罰しているのか。これが原罪か。罪と罰なのか。

起承転結、あるいは序破Qという世の物語の習(なら)いの通り、ここでタオルは大方(おおかた)の予測に反して、思いもかけない意外な軌跡を描く。左脇腹からの流れでその矛先がどこに向かうのかと思えば、何と股下をくぐって、臀部経由で下から背面に打ちつけるという、いろんな意味で危険な大技が炸裂する。これが、シッパン! の正体だ。


パンパンシパンシッパン! パンパンパンパン……
もはや無軌道。縦横無尽。タオルは単調なリズムをヨシとしない達人ジジイの気が向くがままに、自在に中空を踊る。そして加速度的にスピードを増し、いよいよピークに達せんとする。

パンパンパンパン……

目にも留まらぬ……というのは云いすぎで、その動きは十分に目で追えているし、事ここに至って、ようやく私は「フフッ」と笑ってしまう。だって、ずるくない? 動きで笑かすの。


パンパンシパンシッパン! パンパンパンパン……パン……パン……
たっぷりと水分を吸い取ったタオルは、徐々にスピードをゆるめて、空中を重々しく漂う。皮膚を叩く音も心なしか重厚に変化し、痛々しくすらある。余韻を収めるようにタオルはゆるやかに舞い、やがて動作を止めたジジイは、しばらくその場で微動だにしない。右手で握ったタオルは力なくぶら下がって、ゆらゆら揺れている。

これは……残心?!


………………いや残心もなんもねえんだよ、こっちは風呂からあがりたいだけだし、もちろん全裸でもあるし、タオルから飛び散る水滴を浴びるのは甚だ不愉快だし(いかにきれいに洗体したあととはいえ、いったんジジイの体表、あるいは股ぐらを通過した飛沫をこの段階で浴びるのは誠に不本意である。なぜなら、私もきれいに洗体したあとだからだ)、どうでもいいから、とにかくそこをどいてくれ。


♪本日の銭湯インストルメンタル
『Automatic』/1999年/宇多田ヒカル
※私のホーム銭湯である東光湯(仮名)では、♪ピロンポロンというような鉄琴の調べがバックグラウンドミュージックとして常に流れている。そこが従来の銭湯とは違うモダンなところだ。歌詞はのっていないインストルメンタルで、たぶん有線放送だと思うが、その選曲は毎回どうかしている。(頭の中で『Automatic』のサビを流しながら、もう一度、本文をお楽しみください)

この記事が参加している募集

#noteのつづけ方

38,812件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?