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視点の自由研究No.136「視点_忘れる」

仕事にしろ、プライベートにせよ、忘れるということはネガティブな意味合いとして使われる言葉だと思います。AIが普及していく社会、データとしての保管もクラウドなど多様化されていく世界。「忘れる」ということが人間特有の性質になってきているなと思います。
今回は、この「忘れる」という性質を一種の能力として考えてみようと思います。

「人間関係」

仕事をしていくと、様々なトラブルにあうのはどの職種でも同じだと思います。時に言った言わないの問答での問題も起こりうる。自分の仕事を振り返ってみてもトラブルになるのは、最終的には人間関係です。

起こったトラブルは仕方ありません。原因究明はもちろん、事実確認や修復、今後の対応策、改善方法など行わなければならないことは確実にあります。それらを行なった上での話としてですが、感情のもつれやしこりとしての問題もあることも多い。人間という生き物は感情の生き物であるなと実感する機会とも思います。

できるだけの施策を行っても自分の感情としての整理、さらには相手側に与えたであろう悪印象の回復となると、その難易度は容易ではありません。仕事仲間とも話しますが、相手側にも忘れるという時間的処方箋しかないかもということはあります。できるなら最後にあった印象をいい印象にだけはしておくくらいしか方法はありません。

「忘れるという処方箋」

そんな感情でのトラブル。話し合いなどの解決策もあるにはありますが、現実的には「忘れる」という時間的処置が最も効果的なのではないかとも思っています。
少し話はずれますが、映像制作の仕事をしているスタッフは、よく過去のひどい仕事を楽しそうな苦労話として話すことがあります。感情という記憶を忘れ、一種の失敗談として面白おかしくして体験談として処理してしまう。
かつて先輩制作に「酷い仕事の話はわかるんですが、逆に楽だった仕事とかないんですか?」と問いかけた程、皆一様に苦労話が好きな人たちが多い。
職業柄、M体質とも取れるような感覚になるからかもしれませんが、様々な職業で酷い仕事体験を、さも楽しそうに苦労話として話せてしまうのは、その時の感情を「忘れ」、体験としての知識としてだけ残しておく一種の脳の機能なのかもしれません。

「忘れる」

事件、事故、さらには戦争など人類には忘れてはならない事象というものは確実にあります。個人においても、それらの事象においてその後の人生が変わることもあるでしょう。人間は感情の生き物でもあります。そうした事象に対峙した際に、強烈な心の揺さぶりに遭うのは間違いありません。しかし、そうした感情に飲まれてしまうことで、心そのものを壊すことは避ける必要もあります。

様々な情報がデジタル化され、アーカイブされていく世界。映像もまた、その誕生から歴史を記録し続けています。今もなお膨大な映像は世界の様々な事件、事故、戦争を記録し続けています。AIが発達していく世界で、デジタルで記録された事象は消えることのない記憶とも考えられます。

「忘れる」ということ。実は人間にとっての「心」を守る一つの機能なのかもしれない。デジタル技術を見ているとそうした欠陥とも取れる能力に魅力を感じてしまうのも人間の面白さなのかもしれません。

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