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大卒フリーターが記者になるまで~中篇

高校、大学受験と就活に失敗した筆者がフリーター、設計者、独立を経て新聞記者の夢を叶えるまでについて、まとめたものを以下の5回に分けて無料公開します。4回目の一部は300円となります。Xでリポストすると100円です。今回はプロット形式で展開を紹介します。


■約4年続けた会社を辞め独立

名古屋の中心部である栄に中古販売店の新店舗のオープニングスタッフとしてアルバイトすることになった。別店舗で研修中、三月だというのに、地面から湿気が湧き立つような感じがした。すると、店舗がゆっくり横に揺れ始め、だんだん激しくなっていく。店内はパニックというより、早くおさまることをただ祈っているかのように静かだった。仕事を終え、あおなみ線の道中、東京の工場が火の海になっている、帰宅困難者が渋谷駅にあふれている、などの情報がガラケーに次々と入ってくる。名古屋駅に着くと、津波で飲み込まれた東北の各都市が号外として大きく取り上げられていた。

四月になると、再びコピーライターを目指して広告の専門学校に二年通った。学生ラジオCM大賞を獲得し、すべて順調だった。しかし、ここでも自己分析を十分にできていなかった。卒業後、名古屋市内の不動産系広告会社に就職したが、約一カ月で辞めた。10歳年上の営業の男性が、私の笑い方が気に入らなかったためだ。

彼は四日市で再び郵便局のアルバイトに就いた。やはり、私はクリエイティブの世界よりも、郵便局員のほうが性に合っているようだ。

郵便局の居心地は良かった。しかし、このままというわけにはいかない。彼は再び上京し、仕事を探した。葛西のアパートを借り上げ社宅で借り、建設施工管理の社員となった。社員といっても派遣労働者のようなもの。一週間の研修が終わると、同僚は、渋谷や中野など都心に派遣されたが、木暮は千葉の白井と茨城の取手に派遣されるなど郊外ばかりだった。おまけに現場の下請けにパシリばかりやらされ嫌気がさしていた。辞めるとき、下請けの親分にうちに来ないかと誘われたが、パシリをやらされるのが想像できたので、ゴールデンウィーク直前で、CADオペの仕事を見つけた。正社員だが、賞与や退職金がない。住まいは亀有で、玄関を開ければスカイツリーが見える1Kの部屋を借りた。ここも借り上げ社宅だ。

仕事は順調だった。国家資格の二級土木施工管理技士を取得し、人間関係もうまくいっていた。素の自分でいられたし、辞めて八年になるが、当時の同僚とは半年に一度のペースで飲みに出かける仲だ。 

しかし、勤務中に小説を書くなど、サボりがばれて上司から目を付けられるようになった。自分のパソコンが遠隔操作で監視されるようになり、やがてグループチャットで厳しい指摘を受けるようになったので、退職を決意した。

上司に退職の意思を告げた後、入社したばかりの一つ上の女性社員に好意を寄せられた。帰り道もついてくるほど、彼女は木暮にぞっこんだった。やがて、近くの居酒屋で酔った勢いで人生初めての告白を受けた。酔っているのだろうと本気で受け取らなかった。しかし、彼女があまりにひどく酔っていたので、木暮の自宅に運び込んだ。彼女はいびきをかいて寝落ちした。木暮は、なんだか酔いと恋心が冷めてしまい、そのまま夜が明けた。 

朝、彼女は水を飲んで静かに部屋を出た。その夜以来、彼女との距離は離れていった。

まあいい。ろくな女じゃない、と自分に言い聞かせていた。

CADオペでは、満足なキャリアが積めないと考え、鉄道土木の設計事務所に転職した。ここは賞与や退職金も出る。リニア中央新幹線の設計にも関わることができた。リニアの車両を設計するのではなく、レールの土台部分である高架橋の設計が木暮の任務だった。高架橋はコンクリート構造物でできている。その構造物に鉄筋が何本入っていれば持ちこたえられるか、という耐震設計を専用の計算ソフトで打ち込む作業だ。特別な資格はいらない。会社の中で一人でも技術士の資格を持ってれば受注できる。数値さえ打てば、あとはソフトが計算してくれる。
従業員数は20人程度の会社で同年代は一つ年上の男性A一人しかいなかった。社内でチームは私鉄担当、JR担当、道路の3つに分かれている。私は私鉄担当になり、AはJR担当だった。この私鉄担当には50代と40代の上司、私の3人だった。月に一度は、取引先と打ち合わせするため、小伝馬町まで何度か足を運んだ。午後3時に始まったミーティングは、午後5時ごろに終わり、そのまま直帰するか、近くの喫茶店で雑談して帰るのが定番になっていた。取引先も、直帰していることがバレている。理由は、かつて取引先が打ち合わせ後に確認したいことがあって会社に電話にしたところ、何度も直帰したと返事が返ってきたことがあった。それが、常態化し、取引先もそれが当たり前の習慣となって、打ち合わせ後は会社に電話しなくなった。
居心地がよく、仕事は約四年続いた。正社員としては最も長く勤めることができた。Aは上司とたびたび衝突し、会社を飛び出して、そのまま帰ってこないことが度々あった。しかし、翌日に何事もなかったかのように出社し、30代後半の先輩社員のお付きになる。しばらくは大人しかったが、耳が聞こえにくい50代男性社員につらくあたるなど、人間としてどうかしていたが、会社はAを辞めさせることはなかった。
そんな問題児を抱えたまま、2018年、事件が起きる。20代後半の女性社員が入社した。元剣道部で一般男性と同じぐらいの背の高さでやや筋肉質。特に肩や腕、太ももに発達した筋肉を持つ。髪は、自然なウェーブがかかった長めの黒髪で、肩にかかるくらいの長さ。顔立ちは端正であり、やや丸みを帯びた顔に、右下頬のえくぼがチャームポイントである。服装は、オフィスカジュアルなスタイルが多く、シンプルながらも品のある服装を好む。トップスには明るい色や柔らかいパステルカラーを選び、ボトムスにはきちんとしたパンツやスカートを組み合わせ、自分らしいスタイルを表現している。
ある日、Aが彼女と木暮をランチに誘った。木暮はあまり乗り気ではなかったが、仕方なくついていった。店は木暮のお気に入りの田端のカレー店に入店。木暮は壁側の奥に座り、続けて彼女が木暮の隣に座った。木暮との会話が弾むと、Aは歯ぎしりし、口から何かを取り出し、灰皿に置いた。「歯、折れたわ」。それが、私に対する嫉妬だとは思いも寄らなかった。
仕事に集中している私に向かって、じっと睨みつけるようになる。仕事に集中しているふりをしたが、内心集中できなかった。
しばらくして、彼女が会社を出る度に、Aが追っていくという日々が続いた。やがて、二人は付き合うようになった。私は気をつかって、Aの誘いを断るようになる。しかし、Aはしつこく誘ってきた。仕事の責任が重くなってきた入社3年目の木暮にとっては、昼休みは貴重な睡眠時間だ。残業も率先してやりたかったので、一緒に飲みに行くのがもったいなかった。Aは私が嫉妬していると勘違いし、「なぜ、来ないのか」といちゃもんをつけてきた。「俺の彼女になったから悔しいんだ」「いいよな、お前は仕事ができるし、上司の信頼も厚いから」とののしる始末。なぜ彼女はそんな奴と付き合うようになったのか謎だった。
それからAと彼女とは距離を置くようになったが、Aと付き合うようになった理由が気になり、給湯室でそれとなく彼女に聞いてみた。
返ってきた答えが、「彼のどこが悪いの?あなたのほうがおかしい」。
私はキレてしまい、彼女は涙をこらえて、会社を飛び出した。
翌日、Aが私を階段の踊り場に呼び出し、問い詰めてきた。そして、Aは会社のドアを蹴り飛ばし、そのまま会社を出ていった。木暮の上司が心配して、その日の夜に飲みに誘ってくれた。「Aには話しかけないように言っておくから」と励ましてくれた。
以来、Aは木暮に話しかけないようになり、それから一ヵ月もしないうちに彼女は退職した。
そんな気まずい職場の中、仕事のミスが増え始める。やがて、50代の上司から怒られることが増え、叱責に耐え切れず退職した。

コロナ渦を理由に東京を離れ、実家のある三重に移住。取引先の厚意で仕事をもらい、個人事業主として一時は一千万円を稼いだ。

しかし、そんな幸せは長く続かなかった。家の中での作業は誘惑が多い。やはり、私は周りの目がないと集中できないタイプだった。仕事のミスが増え、大口の取引先から信用を失い、やがて全ての仕事がなくなった。

(つづく)

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