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祖母の記録ーおばあちゃんは満州に居たー

Photographer, web-designer
 旅好き、うなぎ好き。

noteでは、祖母が遺した日記について、書こうと思います。

私は、生まれたときから彼女と同居していて、私が高校生の時まで一緒に暮らしていました。

とにかく元気で聡明で、厳しくて。
一人で何でもしてしまう、今から思えばとんでもない元気なおばあちゃんでした。

80歳を超えても、バックパック背負って、一人で山へ登ったり、新しいこと、例えば点字、を始めてボランティアをしたり、と生きることを全うしようとしていたように思います。無駄な時間がなかった、そんな印象です。

そんな彼女も、亡くなってもう10年以上経ちます。そういえば、記憶の片隅で聞いてはいたのですが、彼女がつけていた日記がある、というのです。
それが、ひょんなことで、私の手元に届き、私はいつしかそれを読み始めました。コロナの時期でもあったので、どんどん読み進めました。

日記、と書きましたが、もしこれが、個人的なものだったら、読むのが気が引けるのですが、これは、そういった類のものではなく、母だか、誰だかが、ボケ防止のためか、なんなのかわかりませんが、祖母に、”昔あったこと”を書いて欲しい、と頼んでいたのです。

だから、祖母もそれが、誰かに読まれるもの、というのは認識していて記録のように書いていました。

それは、

それは、とても貴重な記録のように私には思われました。なぜなら、彼女は、満州へ行った日本人の一人だったからです。

一体、満州で何があったのか、おじさんが中国人にさらわれそうになった話などはうっすら記憶にあるのですが、実際は、どうだったのか、それを本人の口から聞くのは重みがあります。

その事実に驚いたのと、もうひとつ、私が驚いたのは、彼女が誰かの批判をした文章がひとつもないことです。

満州のこと、それから日本に帰ってからの生活のこと、晩年の暮らしの日記、そういったすべての記録の中に、彼女が誰かを悪く言っている、そんな文章はひとつも、ありませんでした。

少なくとも、私が生まれてから一緒に過ごしてきた時間だけみても、小さなことから大きなことまで、多々問題や、愚痴を言いたくなるようなことはありました。でも、それら私が覚えている事件や問題に関する日記が出てきても、そこにすら、誰かを悪くいうようなことは書かれていません。

ですので、彼女の日記(記録日記)を公開するのは、実際、満州で日本人がどんな環境にあったのか、という記録であり、誰かを批判、非難する目的ではありません。

「知らない」ということは、恥ではないが、
「知ろうとしない」ことは、きっと恥だ。

これは、私が思っている、そして自分に言い聞かせている言葉です。
知ろうとしない人は、それについて語ってはいけないのです。

このnoteが何かを知ろうとする人の、助けになれば、と思います。


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