フジロック問題で浮かび上がってきた音楽と政治性の話

なにやら、フジロックが政治活動的でどうたら、とかいう話が最近話題ですが。

SEALDsが出演するよーという記事だとか

アジカンのゴッチが反論してる記事だとか。

僕自身はフジロックの歴史に詳しくはないので、もともと政治的なパフォーマンスもあったのかどうかという事実は知りませんが、アジカンが言ってるんならまあ間違いはないんでしょうね。

そんなことよりも、「音楽を政治に利用するな」という批判がいくらか見受けられるのがなんとなく気になるので、そっちの議論をしてみたいと思いまして。

音楽に政治的メッセージが含まれていた歴史

音楽が政治利用されることが、今回そんなに特異なことなのか、というと、歴史的に見れば、政治的なメッセージを元に音楽を作る人だって、いままでにもいくらでもいたわけです。

一番有名な例が、イギリスのパンクロックバンド「セックスピストルズ」ではないかと。
政府や王室などを批判するようなすさまじくアナーキーなパンクロックを歌い、短い活動期間ながら音楽の、パンクロックの歴史に名を刻むバンドです。

日本の例でいうと、わかりやすいのは内田裕也さんですかね。
「ロッケンロー」とか言いながら、国会や都庁に傍聴しに行ってマスコミに騒がれる姿が何度も見受けられます。音楽的な活動はあまり取り上げられることはありませんが。。。ライブを主催するなどの音楽活動もされているようです。

あるいは、桑田佳祐さんが「ピースとハイライト」という曲で話題になったこともありました。賛否両論ありますし表現の真意はわかりませんが、政治的な内容であることは確かです。
また、桑田さんはアルバムの曲の中でも、「現代人諸君!!」などいくつか政治や社会に対する不満を表現するような詞を書いていたりしますし、ライブなどでも替え歌でメッセージを出すこともあるようです。

ロックの起源は強いメッセージ性

そもそも、パンク、ロックというジャンルそのものが社会や政治への強いメッセージを持つことが多いジャンルなわけで、先ほど例に挙げたセックスピストルズなどがきっかけになって、政治的、社会的メッセージの強いロックが生まれていった、という背景もあります。

ロックミュージシャンとして活動している方の多くは、アナーキーであることや、社会や大衆に迎合しないこと、政治や勢力に逆らって生きることを信条として明示的に打ち出していたりします。それこそが「ロック」だと。

そういう流れの中では、音楽が政治と分離していないといけない、ということを言い出すのはちょっといまさら感があるようには思えます。

現代の日本の音楽シーン

さて、歴史的には音楽と政治的メッセージは結びつきがあった、という話ではありましたが、ひるがえって昨今の日本の音楽シーンを考えてみると、あまり強烈なメッセージを出しているような音楽は確かに少ないような印象を受けます。

チャートの上位に上がってくるのは、アイドルやダンスユニットが中心で、エンターテインメント性の高いダンスミュージック、クラブミュージックや、恋愛や人生を歌った歌など、どちらかというと政治、社会を歌った歌よりも、個々人の生活にフォーカスして共感を得る歌の方が多いような印象です。

「音楽を政治利用するな」の批判は、こうした流れの中から発生しているものかもしれません。
音楽=エンターテインメントという側面がより強くなっている今の流れの中では、政治や社会を音楽にする「違和感」があるのかと。

フジロックは批判されるべきなのか

フジロックという環境、そしてそもそもロックという音楽ジャンルでは、たびたび政治や社会に対するメッセージが歌われてきた、という歴史的な事実や流れがありました。
逆に、最近の日本の音楽の捉え方として、そういった誰かを傷つける可能性のある音楽ではなく、共感しあったり、ただ音楽やダンスとして楽しむためのものであったりする音楽が好まれていると考えるのであれば、この両者の溝は埋まらないかも知れません。

若者の政治離れが話題になることがありますが、昔のようにロックが政治に対するメッセージをぶつけるための入り口になった時代があったのに対し、現代では音楽がその入り口としては機能しないものになった、ということかもしれません。

ただ、表現の自由から考えれば、どちらが正しいと言いきれるものではないでしょう。どちらが選択されても、それは選択する人の自由です。フジロックのやり方に賛同できない人、SEALDsのラップを聴きたくない人は、行かなければいい、ということになるのだと思います。

さきほどのロックの歴史から考えると、フジロックとしては「ロックは政治的メッセージだって強く打ち出すんだ」という姿勢をかたくなに貫いた、という考え方もできそうです。そういう意味ではロックフェスとして正しい判断だったのかもしれません。

ミュージシャンは何を歌うべきか

さて、ではミュージシャンは何を歌うべきなのでしょう。
政治的なメッセージを、批判を臆することなく歌うのがよいのでしょうか。
それとも、エンターテインメント性や共感性の高い音楽がよいのでしょうか。

身もふたもなく言ってしまうと、自分のやりたい音楽であれば何でもよいのだと思います。「ウケる」か「ウケない」かは別問題ですが。

今回のフジロックの件に関しては、突出して政治的メッセージが強いミュージシャン(というか団体)が出演することが「ウケなかった」というだけのことなのだと思います。
何かしら政治的な気運が高まっていたり、SEALDsという団体が広く受け入れられる団体であったならば、つまり世間の流れがあったならば、反応はもっと違ったものになっただろうと思います。

ロックが政治的メッセージを打ち出していた「セックスピストルズ」の頃には国民にたまっていた不満があって、そのニーズと合致した音楽が出てきたために「ウケた」ということ。その後もロックが政治社会を歌ってきたということは、音楽にそういうメッセージが求められていたということ。

逆に今の日本では、そんなに爆発的な不満はないから、ちょっと楽しい気分にさせてくれるダンサブルな曲とか、共感できてぐっとくる歌とか、そういうのがいいよねー、というニーズが高まっているということなのかもしれません。

このなんとなくただよう「ニーズ」に沿った音楽を歌うのか、それとも政治性社会性の強い歌を歌っていくのか。
広く一般で「ウケる」ことを狙うのか、ごく一部で「ウケる」だけでもいいと割り切れるのか。
そんな簡単な二元論で語れる話ではないとは思いますが、シンプルに考えるとそういうことかな、と思います。

まとめ

ということで、記念すべき20回目だそうです、フジロック。
興味のある方は、新潟へGO!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?