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労働から解放されて自由な会社員になる

前回紹介させていただいた 7人の noterさんの記事は、労働から解放されてもっと自由に生きるためのヒントを与えてくれます。
自分の存在の重さを取り戻すということです。
今回は、労働の弊害と無意味さを明らかにしたうえで、具体的にどのように振る舞えばもっとラクになれるかの提案です。

私のブルシット・ジョブ

はじめに、私がブルシット・ジョブに気づいた 2つ(20代と 30代)の体験を話させてください。

20代のとき、某新聞社のシンクタンクでマクロ経済の予測チームに加わっていました。GDP や為替や株価を予測する、今思えば、競馬の予想屋のようないかがわしい仕事でした。
膨大な統計データから最小二乗法などの回帰分析を使って・・・と言うと、なにやらすごいことをやっているようにも聞こえますが、最終的なアウトプットは「来年の GDP 成長率 2.6%」みたいなクソどうでもいい仕事です。

なので、私は全然マジメにやる気になれませんでした。チームのメンバーは、経済研究所や銀行の調査部から来ているような連中で、彼らはこの仕事にアツく取り組んでいました。

「Q2の短観何パーみてんの?」
などと、したり顔で会話する彼らを見て、アホかこいつらと思ってました。
日銀が出す数字を予測して楽しいか?
まさか、自分らが予測した 2.6% だか 2.7% だかの数字が日本経済を動かしてるとでも思ってんのか?

当時私が彼らにイメージしていたのは、ドーピングかなんかで脳を常に興奮状態にされている兵士でした。

30代のとき、ドイツの工場でコントローラーという職に就いていました。
そこで SAP というドイツの、というか世界最強の ERP システムに出会い、ガク然としました。コントローラーがやる仕事ないじゃん、と。

SAP を入れている会社の管理会計には人間の出る幕がないのです。
なぜなら、

✅各モジュール間のインターフェイスが自動
✅財務報告がワンクリックで終わる
✅ヒューマンエラーがない(あっても目を瞑る)
✅財務データの分析が不要(分析してはいけない)

当時のドイツは、月~木は午後 5時に帰宅、金曜は午前帰りがスタンダードで、すでに週 35時間労働制になっていました。
で、35時間でも時間を持て余していました。だってやることないんだから。
実働は週 15時間くらいだったと思います。
何をしていたかというと、オフィスでずーっと mixi日記を書いていました。

健全な心の持ち主だからメンタルが病むのだ

職場のメンタルヘルス問題が深刻化して久しいですが、メンタルを壊すおもな原因は、過重労働とハラスメントです。
などと言っている産業医には、医師免許を返納してもらいたい。

たしかにトップ 2はそうだとしても、本質的なことを見落としていますよ。

もっと本質的な問題は、能力のある人間にブルシット・ジョブをやらせていることです。

パン工場のベルトコンベアの前で、流れてくるアンパンの上にゴマをのせる労働があるとします。
「ラクなお仕事だからやってます」と言える人はいいですよ。
でも、この仕事をパン職人やパティシエにやらせたらどうなるでしょうか。

自分のやるべきことをやって報酬を得たいと考える健全な人に、不本意な労働を強いたうえにお金まで与えるのは、メンタルを破壊する所業です。

部下にクソどうでもいいエクセル作業をお願いするたびに、心の中で謝っている、と前回の記事に書きました。
ゴメンね、としか言えないですよ。
彼は香港で1, 2を争う大学を出ていて、会計士の資格まで持ってるんです。
彼がやるべき労働はエクセルでデータを集計する作業じゃない、と私も痛いほどわかっています。
でも、ないんですよ、それくらいしか、やらせることが。

この記事を英訳して彼に読んでもらいたいくらいです。
そうだ、彼に手紙でも書こうか。

君は、こんなクソどうでもいい労働のために会計士の資格をとったわけじゃない。
こんな労働しか与えられない私も、この会社も、申し訳ないと思っている。
君は、真面目で健全な心の持ち主だから、こんな軽い労働でこんなに給料もらっていいんだろうかって悩んでいると思う。
はっきり言おう。いいんだよ。そういう社会なんだから。
君が良心の呵責に耐えられないなら、この会社を辞めて "Big 4" にでも転職すればいい。ただし、給料は同じで、労働量は 2倍以上になる。
どっちを選んでも、メンタルを壊すんだよ。
過重労働で病むか、クソどうでもいい労働で病むか、どっちがマシか・・・

ここで、私の筆が止まりました。

クソどうでもいい労働で病まない方法があるんじゃないか。

“労働” を定義し直せばいいのです。

労働に意味などない

中学で教わる労働の歴史を、超ダイジェストでおさらいしましょう。
要点は 3つです。

1) 古代ギリシャ・ローマの時代、自由な市民は労働を卑しいものとみなし、すべて奴隷にやらせていた。
2) 暗黒の中世、キリスト教会は、神への祈りと労働を尊い行為として信者に推奨した。
3) 産業革命を経て、大量の労働者を必要とした資本家は、キリスト教の労働倫理を利用した。

ここで重要なのは、古代の自由市民、中世の聖職者、近代の資本家はどれも支配階級だということです。
2000年以上の歴史を通じて常に労働とは、支配階級が被支配階級にやらせるものだったのです。

現代において、この構造は変わったでしょうか?
全く変わっていませんよね。
私たち被支配階級は、古代の奴隷であり、中世の修道僧であり、近代の強制労働者なのです。
支配階級の傍らには、支配構造を理論とプロパガンダで武装する御用学者がいます。古代の哲学者、中世の神学者、近代の経済学者です。
前回の記事で言いましたよね。「労働とは何か」を定義してきたのは彼らであると。それらは支配階級と共犯関係にある者のプロパガンダなんですよ。

「自己実現」という新たな理論を提唱したのは 20世紀の心理学者です。
その布教活動に加担したエバンジェリストは、みなさんもお気づきのとおり、コンサルタント、自己啓発屋、企業の経営者と人事部員たちです。
エバンジェリストは自身も洗脳されているので、「良かれ」と思って布教していたでしょう。だからタチが悪いのですが。

アンパンの上にゴマをのせる労働に、それ以上の意味などありません。
エクセルでデータを集計する労働も同じです。

自分のやっている労働に意味を見出したくなるのが人間です。
でも、そんなものは最初からないんですよ。
労働の軽さに薄々気づきながらも、それを認めたくないから、やりがいとか成長とか自己実現とかいう言葉に飛びついてしまった。
しかし、それらの言葉にも賞味期限がありますから、そろそろ洗脳が解けてくる頃です。とっくに解けてる人も多いはず。

こんなことを書いている私でも、意識高い系だった時期があります。
30 を過ぎた頃でした。自信にあふれていて、仕事が楽しくて、仕事を通じて成長するというビジョンに共感していました。最高の仕事仲間がいて、最強のライバルがいて、相手の期待を超えるパフォーマンスを見せることに夢中だったし、自分の期待を超えてくるライバルの成長さえも泣けるほどうれしかった。
アドレナリンとエンドルフィンとドーパミンが大量に分泌されていたのでしょう。

ランナーズハイという現象があるそうです。
走っていて気持ちよくなるなら、走ればいいでしょう。
仕事もそれと似ています。
馬車馬のように働いて気持ちよくなっている人は幸せだと思います。

でも、労働の耐えられない軽さに気づいてしまった人は、元には戻れないとも思います。
だったら、労働に労働以上の意味がないことを認めるしかありません。

自由に動く会社員になる

最近気づいたことがあります。
日本人がお金の話ばかりしていることに違和感をもっていました。
日本人の中国人化が進んでいるのではないか?と危機感さえ抱いたのですが、それは私の勘違いでした。
多くの日本人は、お金が大好きになったのではなく、労働から解放されたいのです。労働から解放されるために、労働しないでお金を得る方法を模索し始めたのだ、と気づきました。
その証拠に、贅沢がしたいとか、遊んで暮らしたいと考えている人は少数派で、好きなことをやりたいとか、価値のある生き方を求めている人が多いようです。
そのことに気づかせてくれたのも 7人の noterさんたちだったわけですが。

労働から解放され、やりたいことをやりながら、価値のある人生を生きる。
そのために、起業や自由業や FIRE のほか、ソーシャルキャピタルをベースに生きていく道なども考えられます。
どれもありだと思います。

ひとつの選択肢として、会社員という身分のまま労働から解放される生き方を提案したいと思います。

一言で言えば、自分の時間を最大化して自由に行動する、ということです。

私の日常を描写するのがわかりやすいでしょう。
現在、香港のオフィスは WFH (Work From Home = 在宅勤務) 命令が解除され、大半の社員がオフィスに戻ってきました。オフィスに来るか WFHするかは、個々の社員の自由意思に任されています。

私は自分の Outlook スケジュールを見て、対面でやったほうがいいミーティングが入っている日はオフィスに来て、それ以外の日は WFH にしています。
だいたい、週のうち 2日がオフィス、3日が WFH といった感じですね。

オフィスと WFH にあまり大きな違いはありません。どちらにしても、自分の自由時間を最大化し、ムダな時間を最小化しているからです。
会社員にとって最もムダな時間はミーティングです。
私は自分がいないと始まらないミーティング以外は出ません。ミーティングリクエストが飛んできてもリジェクトします。

オフィスに来ても、外出していることが多いですね。
妻に頼まれた買い物をしたり、街をブラブラしながら娘にお菓子やオモチャを買ったり。
ランチを同僚と一緒にとるのは月に数回ほどです。いつもは行きつけの和食屋でゆっくりとるか、香港の美味しいものを探してプラプラします。

同僚との雑談の時間はわりと大切にしています。
週に 2日しか出勤しないと、たまに同僚と交わすバカ話は貴重です。それが note 記事のネタになることもありますからね。

オマエいつ仕事してんねん!と言われそうですが、してますよ 1日 3時間くらいは。ムダな会議とか不要なアドミニ業務を取っ払ったら 1日の労働時間なんてそんなもんですって。
部下との時間を最小化することも大切ですね。部下なんて週に 1回ちょっと話すだけで、あとは個人の裁量でやらせときゃいい。そのほうが彼ら彼女らもハッピーでしょうし。
上司はちと厄介かもしれませんが、私の上司はスイスにいるので、時差のおかげもあってほとんど時間をとられません。

1日に受信するメールが 30件として、そのうち 9割の27件は社内 Facebook の投稿や HRからのお知らせや、自分が CCに入れられているだけの情報共有だったりします。私が朝一番にすることはそれらのクソどうでもいいメールを選んで全削除することです。
すると、労働が必要なメールは 1日に 3件。1件の処理に 1時間かかったとしても計3時間。ほら、だいたい合ってるでしょ?

“日本株式会社” のカルチャーをぶっ壊したい

会社員であれ、自営業や自由業や無職であれ、結局のところ肝心なことは、自分の自由な時間をどれだけ確保できるかに尽きると思うのです。
そのために、時間泥棒を徹底的に排除する。それは普通の会社員にも可能なことです。
会社員は時間を売ってるんじゃない。労働契約ですから、職務は履行しますよ。でもそれ以外のことは憲法が保障する自由の範疇で、誰にも文句を言われる筋合いはない。(勝手に言わせときゃいい)

私は昔、古き悪しき日本の会社にいたこともありますので、こういう生き方があまり現実的でないこともわかっているつもりです。
でもそれこそが、かの noter さんが書いていた「当たり前」の壁だとも思います。
そんな壁、叩き壊してしまえばいい。

会社のカルチャーの問題です。
「うちの会社では絶対ムリだわ」と本気で思ったら、真剣に辞めることを考えてもいいかもしれない。
この言葉はあんまり使いたくないんだけど、サステイナブルじゃないのよ、そういう会社は。

はっきり言いましょう。
社員の自律性を尊重しない会社は、死にます。
本来ならもっと早く死ぬべきだったのです。
クソどうでもいい会議に招集される。時間を拘束される。残業が当たり前。休暇が取りにくい。飲み会に付き合わされる。そんなバカげたカルチャーに盲従してきた憐れな社員たちが、死ぬべき会社を延命させているんですよ。

あれ、話がそれてますか?
オレ、なんかアツくなってる? スイッチ入っちゃった?

そうでした。私の本心は、“日本株式会社” に対する怒りです。
端的に言うなら、無能で小心で頑固なじじいたちが許せないのです。
奴らのせいでどれだけ多くの日本人が苦しい思いをしているのかと思うと、そこから逃げちゃった自分にも腹が立ちます。

ごめんね、逃げちゃって。
ごめんね、海外でのうのうと生きてて。
私一人だけの力じゃどうにもならんかったんよ。
社員の半数が私と同じ気持ちなら、このカルチャーをぶっ壊せる。
そんなのムリだよね。
上から睨まれたくないもんね。
そこそこ出世もしたいもんね。
職場で干されたら嫌だもんね。

今はまだ難しいかもしれないけど、私は希望を捨ててはいません。
社員の半数が私になるのは if じゃなくて when の問題だと思います。
そのとき、日本株式会社のカルチャーは壊されるでしょう。
そうしてようやく世界と同じ土俵に立てるのです。