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私が愛したドイツ人

心を揺さぶられる映画だった。
多くの観客にとっては退屈な映画かもしれない。
80歳を過ぎたユダヤ人が昔の恩人に会うため、アルゼンチンからポーランドまで旅をするお話である。

ホロコーストがモチーフになっているが、この映画の主題はそこではない。
彼が旅の途中で出会う 3人の女性のモチベーションこそが主題である。
スペイン人のホテルウーマン。
ドイツ人の文化人類学者。
ポーランド人のナース。


私は、30代前半という多感な時期にドイツの会社で働いた。
当時、ドイツ人同僚たちと本音で付き合っていたが、ナチスとホロコーストの話題にだけは踏み込めなかった。
ドイツ語の学習を兼ねてドイツの国歌を暗唱した。
国歌の【1番】を歌ってみせたときにちょっとした騒ぎになった。
ドイツ人が歌う国歌は【3番】で、【1番】を歌うことはタブーだったのだ。いくら無邪気な日本人でも、【1番】を歌ったら警察に逮捕されかねない。
そんな時代だった。

当時のドイツでは、国旗を掲げることも禁止されていた。
それが例外的に許されるのは、4年に1度のワールドカップのときだけであった。
ドイツがワールドカップ開催国となった 2006年、私はそこにいた。
4年に1度だけ許されるドイツ人たちの熱狂と解放感を肌で感じた。

第二次世界大戦の敗戦国として、ドイツと日本は相通ずるものがあると思っていたが、それはとんだ誤解だった。
あの戦争は単に、ドイツが始めてドイツが負けた戦争なのだ。
現代のドイツ人はそう考えている。
彼らは三国同盟の存在を知らないし、地球の裏側で日本が行った所業も知らない。ただ、アメリカから原爆攻撃を受けた日本は ”被害者” くらいの認識なのである。

ドイツの学校は「第三帝国」と呼ばれるナチス時代の歴史をみっちり教える。
私がいた当時(2004~2007年)、20代・30代の同僚はナチスドイツの戦争犯罪について屈託なく語ってくれた。
歴史の授業で教わる知識だからか、そこには精神的な重さがなかった。

難しいのは 40代・50代の同僚たちだった。
彼らが戦争について語ると、顔が曇り、言葉が急にぎこちなくなり、逃げたいけど逃げてはいけない、と自分に言い聞かせているようだった。
それでも、外国人である私に一生懸命説明しようとした。
そんな彼らは、たいてい最後にこう言った。
This is our history, but I have no fault, because I was not there.

彼らは、自分の親世代を批判してきた世代だった。
「あなたたちはナチス治下のドイツに生きていて、どうしてナチスの暴走を許したのですか?」

私は思った。
彼らが何に苦しんでいるのか。
自分が当時生まれていなかったのをいいことに、親の世代、あるいはじかに実の親を批判してきた自分の偽善的態度に反吐が出る思いなのだ。

彼らは、せつないくらいにドイツという国の歴史を背負っていた。
「あなたが苦しむ必要はないよ」
私は彼らを抱きしめずにはいられなかった。
ドイツ人たちの誠実さと弱さを知ったから。




同僚たちのほかに、私のドイツ人観をつくってくれたのは、ドイツ語教師のヒルダガルデだった。
個人レッスンのなかで、ヒルダとはじつに様々な話をした。
ドイツの働く女性と専業主婦について語り合ったのもそのひとつだ。

あるときヒルダが言った。
「ドイツの外では、できるだけドイツ語を話さないように気をつけてるわ」
ドイツ語が聞こえるだけで嫌な思いをする人もいるからだと言う。

「ユダヤ人とか?」と訊くと、
「それだけじゃない。当時ドイツに占領された国々はね、ナチスのユダヤ人狩りに協力したの。だからほぼすべてのヨーロッパ人に自責の念がある」

そしてヒルダは語り始めた。
「12歳くらいのときに読んだ本で、ドイツがユダヤ人に対して何をしたかを知ったのね。それからというもの、ホロコースト関連の本を読み漁ったわ。自分の国が過去に何をしたのか、事実が知りたかった」

ヤバい話になってきた・・・ここは慎重に言葉を選ばなければと思いつつ、ついストレートに質問してしまう当時の私であった。
「ドイツ人として責任を感じるってこと?」
「正直に言うとね、責任を感じなさいと言われると困るの。だって、私が生まれる前の話だから。でも、正しい知識と理解をもつことが大切だと思う。その努力を怠ってはいけない」
「ドイツ人は正しい知識をもっているの?」
ヒルダは、深くため息をついて、下を向いてしまった。

「もっていない人もいるんだね?」
「私の姑がそれ・・・。私の息子がまだ小さいときにね、突然こんなことを言いだしたの。『ママ。ユダヤ人って泥棒とか悪いこといっぱいしたから、追い出されたんだよね』って。もう私びっくりしちゃって『誰がそんなこと言ってたの!』って叫んでた。すると息子は、『おばあちゃんから聞いた』って言った。私は姑に、『息子に間違ったことを教えないでください!』って怒ったわ」

ヒルダの両目がうるんでいた。

今思えば、これ以上訊くことなどなかったはずだ。
しかし当時の私は訊かずにはいられなかったのだ。
「あなたにとってユダヤ人はどういう存在なの?」
「人間(human beings)。それ以上でも以下でもない」

毅然とそう答えたときのヒルダ先生のまっすぐな瞳は、今でも私の心に焼きついている。


ひとつの映画から、20年近く前の記憶が洪水のごとく溢れ出た。
それもほぼワンシーンによって。
映画の中盤に登場するドイツ人の文化人類学者のことである。
彼女は、主人公であるユダヤ人のおじいちゃんの力になりたいと思い、いろいろと旅のサポートをする。
しかし、おじいちゃんは、彼女がドイツ人であるというその一事のみによって、終始邪険に振る舞う。
彼は、パリからワルシャワまで鉄道で移動しようとするが、「あんたの国に 1ミリたりとも足をつけたくないんだ」なんてことまで言う。
それでも彼女はくじけずに言うのだ。
「私たち戦後生まれも、過去の責任を全員が背負っている」

おじいちゃんは、ナチスが家族を殺したことを自分の目で見たこととして語り、彼女はそれを瞬きもせずに聴いている。
私はものすごく苦しかった。
彼女を責めないでくれ。ドイツ人を許してあげて。


マドリッド、パリ、ワルシャワ、そしてウッチ。
いずれも何度も訪れて長期滞在したまちである。
どのまちにも素敵な人たちがいた。
なので、この映画に登場する 3人の善き女性について、「こんなに親切な人は現実にはいない」とは私は思わなかった。
パリだけは微妙であったが、おじいちゃんがパリで出会うのは件のドイツ人である。

私はナチスやユダヤ人を批判したいわけではない。
戦争の悲惨さや民族の恨みについて語りたいのでもない。
ただ、普通の人間のやさしさに胸を打たれた。
だからこの映画にやられた。
ホロコーストのお話と見せかけて、そのじつ、困っている見ず知らずの人を助ける女性たちのストーリーである。

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