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あの日わたしは堂本剛さんのアルバム「Coward(臆病者)」そのものだった

音楽が好きだが(大規模な)ライブには人生で3回しか行ったことがない。
人混みが苦手で、すぐにパニック発作を起こしてしまうので『間近でアーティストの歌を聴きたい』よりも『人混みに行きたくない/パニック発作で周りの人に迷惑をかけたくない』が勝ってしまう。
パニック発作にかかったときはなるべく横になり、膝を頭より上にしたい。そうなると医務室的な場所まで行かなければならないが一人で医務室まで行く余裕がない場合、その場でバタッと倒れてしまうかもしれない。

そんなわたしが初めて行ったライブは堂本剛さんのライブだった。わたしが19歳の頃だ。堂本剛さんはENDLICHERI☆ENDLICHERI名義で活動していて1stアルバム『Coward』を引っ提げてサーカス小屋のような大きなテントを建ててライブをしていた。
ある日衝動的にライブに行きたくなったわたしは電話でチケットを取った。チケットを取ること自体初めてだったし、電話でチケットを取る文化は今ほとんどないと思うので唯一の経験だった。
その時何を思ったのかわたしはチケットを2枚取ってしまった。周りに堂本剛さんが好きな友達はいなかったし、恋人もいなかったのでわたしはmixiで「だれか堂本剛さんのライブ一緒に行きたい人いますかぁ~??」と募った。シャイなわたしからすると随分とアクティブな行動だ。たまにこんな風に無敵モードに入るときがある。常にこのくらい行動力があると助かるのだが。

半日ほど待つと、一件のコメントが来た。その人はわたしがアルバイトをしていたお寿司屋さんの隣の同系列会社の持ち帰り専用のお寿司屋さんでアルバイトをしていた女の子だった。歳は確か2つ上で、かわいい人だった。わたしはその人と話をするのが好きだったので心の中でガッツポーズをした。しかし、コメントの内容は「私は行けないけど私の友達が行きたいって^^」というものだった。
友達の友達は他人だ。はじめましての人とライブ行ってもしパニック発作起こしたら迷惑すぎるよなぁ。どんな人かも分からないし。でもチケット勿体ないし。う~ん。

数分迷った末に「OK!連絡先教えて~」と返信した。
一緒に行く友達の友達(A子さんとここでは呼ぶ)は友達の学校の同級生で、珍しい苗字の人だった。わたしたちは連絡を取り合って、堂本剛さんがライブをする場所の最寄の駅前で待ち合わせた。
当時のわたしはまだファッションに興味を持ち始めたばかりで、今考えるととんでもないダサ坊だった。堂本剛さんのことが好きなのでとりあえず配色だけ派手だが、思い出すと吐き気がするぐらいダサかった。緑のキャップに紫のシャツ、緑のカラーパンツに高校生のころから使っていた黒のスニーカーを履いていた。
A子さんは綺麗目の落ち着いた服を着ていた。一緒に並んで歩くとチグハグで年齢は2つしか変わらないのにわたしは少年のようだった。しかもデートをした経験もなかったので、どんな風にふるまっていいのか分からず終始おどおどしていた。そんなわたしの様子にすぐ気づいたA子さんは率先して会話を広げてくれた。わたしは相槌を打つだけで緊張していた。ライブ場所に近付くにつれて人が多くなったが、A子さんへの緊張で人混みが全く気にならず、パニック発作を起こす心配はなさそうだった。
席は後ろのほうで剛さんは豆粒くらいの大きさにしか見えなかった。でも素晴らしいライブだった。剛さんのギターソロに酔いしれ、歌声に痺れた。A子さんも楽しそうにしていた。ちなみにA子さんは今結婚していて、お子さんもいるらしい。
剛さんは突発性難聴に罹るずっと前だし、わたしは網膜剥離に罹るずっと前だし、A子さんは結婚するずっと前だった。時間は不思議だ。

ライブが終わり、この後どうする?となり、わたしたちは居酒屋に入った。わたしは19歳だったが、当時は今ほど年齢確認が厳しくなかったのだ。
とは言えカシスオレンジくらいしか飲んだことがなかったのでA子さんに「かわいいの飲むんだね」とからかわれていた。からかい上手のA子さん。
そこでどんな会話をしたのかはほとんど忘れてしまったが「彼女いないの?」と聞かれて「今はいない」と答えたことは覚えている。彼女なんていたことなかったのに。

ベタな嘘。ベタなやりとり。わたしたちはベタに焼き鳥や高野豆腐のお浸しなんかを食べて、ベタに終電を逃した。下心なんてものはなく、シンプルに時間を見ていなかった。A子さんはギリギリ帰れた時間だったと記憶しているが、朝まで付き合ってくれることになった。わたしは心臓がドキドキして爆発しそうだった。わたしたちはカラオケで始発を待つことにした。3人掛けくらいのソファがL字に2つ配置されていて、わたしたちはソファをひとつずつ使った。わたしはその日演奏されたENDLICHERI☆ENDLICHERIの楽曲を片っ端から歌った。わたしは堂本剛さんの歌マネができたのでA子さんは「似てる~」と言ってくれた。ENDLICHERI☆ENDLICHERIの曲を歌い終わると、今度はKinKi Kidsの曲を歌った。A子さんも何か歌っていたと思うけど忘れてしまった。わたしはとにかくA子さんを飽きさせないようにするのに必死だった。

小さな部屋で若き男女が2人きりでいる、という状況が初めてだったので、わたしはなるべくA子さんから距離を離して座っていた。今考えると”そんなに離れんでも”というくらい離れていた。当時のわたしとしては「下心はありませんよ」と証明するための距離だったのだが、A子さんはそんなことはとっくに分かっていただろう。とんだダサ坊である。

わたしの緊張がピークに達した瞬間を鮮明に覚えている。狭い部屋で少しでも距離を取ろうとしていたわたしのマイクがハウってしまった。(ハウリング:マイクとスピーカーの位置関係、音量設定の状況などにより「ビーン」「キーン」と音が鳴る現象)わたしのソファの後ろにスピーカーがあり、それが干渉しているようだった。
わたしはポジションをずらしながらハウらない場所を探したがソファのどこに座ってもハウるようになってしまった。
困ったなぁ、と思っていたらA子さんがわたしたちの間に置いていた荷物を動かして、A子さんのソファをぽんぽんと叩いて「こっちおいで」と言った。
えっ、そんな、とわたしがもじもじしているともう一度「おいでってw」と言った。

そこまで言われたら仕方ねぇ!と覚悟を決めてわたしはA子さんの隣に座った。ハウリングは収まったが、わたしの鼓動の音がうるさく、その後は記憶がない。
やがて朝になり、わたしたちは「またいつか会いましょう」と手を振りそれぞれの家路についた。それきりA子さんには会っていない。

当時のA子さんは21歳。今のわたしは36歳。たくさんの時間が流れた。

堂本剛さんは旧ジャニーズから退所した。あの時よりも剛さんのFunkは濃厚になっている。A子さんは今も剛さんの音楽を聴いているだろうか。
剛さんは病気を経てあの頃よりも歌がうまくなった。わたしは病気を経てほとんど歌が歌えなくなった。
神様が剛さんから歌を奪わなくてよかったと割と本気でそう思っている。優しくて繊細で、アンティークな美しさを持つ歌声を、わたしはいつまでも聴いていたいのだ。わたしはエッセイを書く。書き続ける。


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