幸せとは
宗教だったり、哲学だったり、周りの人にとっての「幸せ」や、よくある(?) 世の中一般における「幸せとは〜」はひとまず置いといて、まずは自分にとっての「幸せとは」を考えると、以下の3つになりました。
1. どんな人生を送って死にたいか
2. 将来、どういう状態であれば幸せか
3. 日常において何に幸せを感じるか
▼ 日常において何に幸せを感じるか
割と考えがちなのが、 「3. 日常において何に幸せを感じるか」ですかね。牡蠣とか寿司とか好きなもの、美味しいものを食べたり、友達と楽しく遊んだり、恋人・家族と過ごしている時間に幸せを感じること。その日常を、当たり前と思うことなく感謝して過ごす日々にとても幸せを感じます。
ただ、そんな毎日で一生を終えていいのかと、ふと思うこともあります。
※ なんならそんな毎日が一生続くかどうかすらわからないとも、頭によぎります。
▼ どんな人生を送って死にたいか
できれば、人として生まれたからには、「良いものを次世代・後世に遺したい」、「自分が生まれた証に何かを遺したい」と思う自分が居るのも確かです。じゃあ何を遺したいかって考えたときに、そもそも自分は「1. どんな人生を送って死にたいか」って考えたんですよね。
正直、これはすぐには決まりませんでした。数年単位で、何度も何度も問われ続け、何度も何度も自分を見つめ直す必要がありました。もしかしたら今後も変わるかもしれませんが、いまいまは
(子供が憧れるような)
【幸せに生きる人を増やす】
(=幸せに生きやすい世の中にする)
と考えています。
※ 「子供が憧れるような幸せな大人」って何とか諸々ツッコミどころはあるかと思いますが、僕が考える魅力的な人というのは、また別の機会に記載します。
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▼ 将来、どういう状態であれば幸せか
死ぬときに何を遺したいか、であったり、どんな生き方をしたいかということはすぐには決まりませんでした。ただ、いま幸せと感じてる毎日が一生続くかどうかすらわからないけど、だからこそ「2. 将来、どういう状態であれば幸せか」ということを考えるキッカケがありました。そして、それは割と思いつきました。
これらが将来幸せな状態かなーって考えたときに、お金、仕事、人間関係、健康、いろいろ変えていく必要あるなー!と思ったのと同時に、どうすればいいんだ!? と思いました。20代の頃「資格を取ればいいのか?」とか「趣味に励めばいいのか?」と思いつくことをしていたときに、「ひとりの社会人としてまず自分や家族が幸せであることが大事だな」と思えたのは本当に良かったです。
たまたま僕はフリーランスになりましたが、その理由はただ単に僕自身が幸せになりたかっただけです。
次回に続きます。
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