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文芸部の放課後 ホワイトクリスマスな哲学者
「彼女はなんで雪が見たかったんだろうね」
「自分の作品じゃないか」
「うん。でも、自分のことってわからなくないか?」
「そうかもしれない」
せっかくのクリスマスイブだというのに、朝から冷たい雨が降り続いていた。もちろん雪に変わる気配はない。部室にいるのは僕とノブナガの二人だけ。彼はサンタクロースの格好をしていて、僕の目の前のノートパソコンには書きかけの詩が表示されている。
僕たちは今、ノブナガが書いた詩について話していた。それはクリスマスの詩であり、彼と彼女の詩であり、雨と雪の詩であった。彼は続けて言う。
「結局のところ、世界を知りたいってことは自分を知りたいってことと同値なんじゃないかって、最近になって納得できるようになった」
「独我論?」
「どうだろう……俺は君は存在していると思うけどね」
ノブナガはペットボトルのミルクティーを一口飲むと、眠そうな目で窓の方を見る。午後二時を少し過ぎたくらいのはずなのに、外はとても暗かった。どうやら太陽は輝くことをやめてしまったらしい。雨は降り続いている。
「まぁ、今の問題はそこじゃないんだ。彼女はなぜ雪を願ったのか。少年は冷たい雨の中ひたすら踊り、それで何が変わったというのか」
「わからないな」
「わからないか」
ノブナガは繰り返す。わからない、というのはどういうことか。
「如月は詩を書くとき、どんな風にしている?」
「そうだな……」
僕は少し考える。もっとも考えたところで答えは変わらない。僕はずっと僕がやっているような書き方しかできないからだ。
「脳はクリアに。思考はゼロに」
ノブナガは深く頷くと
「なるほど」
と言った。
「それが?」
「いや、面白いと思ってね。俺もそうかもしれない。俺の場合は哲学だけれど」
「哲学するとき、思考をゼロにするなんてできるのかい?」
「どうだろうね。正確に言えば、そんな風にして考えたいと思っているのかもしれない。何も考えないで、世界の真実に肉薄したい。そんな風に哲学してみたい。そうすればもしかしたら、俺がずっと囚われてきたことが何なのかはっきりするかもしれない」
「だから詩を書いてみたのか」
「それもあるかな。本気で詩をやっている人たちには申し訳ないが」
「いや。詩を書く仲間が増えるのはうれしいよ」
「ありがとう」
それから僕たちはしばらく黙った。雨の音がかすかに聞こえる。遠くで誰かがピアノを弾いている。僕の知らない曲だ。
僕はもう一度ノブナガが書いた詩に目を向ける。上手いのか下手なのかよくわからない独特な文字でその詩は綴られていた。
君が雪を見たいなんて言うから
僕は踊らないわけにはいかない
雨の中
今日はクリスマスイブだというのに
雨は冷たくて 雪は温かいというのに
雨の粒が僕の体温を奪うのとちょうど同じような形で、静かな目に見えない空気みたいな透明な何かが彼女の命を少しずつ奪っていく。君の肌は白く冷たくなって僕はそれを温めてあげたいのに雨が冷たいからそれもかなわない。神様はきっといないから僕は踊るんだ。何かが彼女を世界から奪い去ってしまう前に、僕は本当は彼女に言わなければいけないことがあるはずなのだけれど、それは考えれば考えるほど遠くなって冷たい雨が雪に変わる妄想のように無意味だ
「音楽は?」
僕はノブナガに問う。
「え?」
「いや、彼が踊っているとき、何か音楽が流れていたのかなって」
「なるほど……考えてみよう」
ノブナガはしばらく考えると、
「たぶん、音はなかったと思うんだ。雨の音も、きっと彼女の声すら少年には聞こえていなかったんじゃないかなって思う。聞こえていたらもっと違う方法があったはずだから」
と言った。
「そうかもしれない」
「問題は因果関係なんだ。なぜ踊るのか。それが無意味とわかっていながら、彼が自らの体温を奪われながらも、なぜ踊らなければならなかったのか。そこには何の合理性もなく、むしろ自分も彼女も傷つけるような行為を、なぜ彼は彼女のためにしたのか」
僕はそれを聞いて、何となくではあるが、なぜ彼がこの詩を書いたのか、書かなければならなかったのか理解した。けれどそれを言葉にすることはふさわしいことではなかったし、彼が望むことでも彼にとって望ましいことでもないのは明らかだった。
だから僕は言う。
「やっぱり、考えちゃだめだよ。今日くらいは」
ノブナガは黙っている。それが何を意味するのか、僕にはわからない。
「この詩、僕は結構好きだよ」
「ありがとう」
「初めて書いたの?」
「うん。そもそも俺は詩も小説もほとんど読まないから、これであっているのかさっぱりわからないんだけれど、書いてみたくなって書いた」
「いいね」
きっとこの詩には、ノブナガがずっと隠していた何かが含まれている。それが何なのか、僕にはわからないのだけれど。
ただわかることがあるとすれば、彼が本当に知りたいのは「彼」のことであって、「彼女」のことではないということ。彼女がなぜ雪を見たかったのか、その問いはフェイクだ。意識的か無意識かはわからないけれど、ノブナガはまだ隠そうとしている。
もっとも、僕はどちらかというと彼女のことが気がかりだった。
「人は自分が望んでいることをするわけではないし、むしろ自分が最もやりたくないことをときに選択してしまう生き物であると、俺は思う。それは幸せからは程遠いことだし、自分でもそれはわかっているんだ。でもやらずにはいられない。もし『価値』なんてものがどこかにあるとするならば、俺はそこに手掛かりがあると思うし、そこに俺が書きたい文学があるのかもしれない」
道明寺は言った。一カ月ほど前のことだ。
それに対して僕がなんと答えたのか、あまり覚えていない。
ただ僕はそのような意味で「価値」を捉えてはいなかった。道明寺のそれにはきちんとしたロジックとリアリティがあったが、僕が知りたいのはそういうのではなかった。
では、君が知りたいのはどういうことなのか?
そう問われた僕は何と言うだろう。正直にわからないと答えるか、それとも……。
真っ青な夕日がすべてを青色に染め上げる。静かに魚が死んでいく。心地よいメロディの中で、子供たちが鬼ごっこをする。彼らは泣いている。それに気が付く人はいない。彼ら自身でさえも。
先ほどつかみかけ、結局僕から離れてしまったイメージだ。その結果残ったのはパソコンの画面上の無意味な文字列である。
もちろん答えにはなっていない。僕はそういう風にして詩を書いているのだ。
「そろそろ行かないと」
ノブナガは言った。
「クリスマスプレゼントを待っている子供たちがいるからね……ってあれ、そういえば如月にまだプレゼントを渡してなかったな」
ノブナガは机の上に置いてある白い袋から何かを取り出した。僕はそれを受け取る。個包装されたチョコレートだった。
「ハッピークリスマス。君はたぶんいい子だから、プレゼントをあげるよ」
「ありがとう」
「知ってるか? サンタは意外と重労働なんだぜ」
そう言いながらノブナガは立ち上がる。
「僕も一つ聞いていいかな。なんでまたサンタクロースの格好をしてプレゼントを配って回っているんだい?」
「そうだな……」
ノブナガは少し考えて
「クリスマスの夜に子供たちが泣くのを見たくないんだ」
と言った。
「本当は演劇部の手伝い」
「なるほど」
「如月も手伝ってくれないか? 正直一人で回るのは結構恥ずかしい」
「だろうね。まぁいいよ。面白そうだ」
僕も立ち上がる。
「じゃあ君はトナカイだ。これをつけてよ」
僕はトナカイの角のようなものがついたカチューシャを渡される。
「勘弁してよ」
「サンタがいい?」
「……トナカイでいいよ」
僕たちは部室を出ると、音楽室に向かった。管弦楽部にプレゼントを配りに行くためだ。ピアノの音は聞こえなくなっていた。
ふいにノブナガが窓の方を見た。つられて僕もそちらを見る。
雨は雪に変わっていた。
「どうして? 死んじゃうよ」
「死なないさ。少し冷えるけれど」
「もうやめてよ」
「なぜ?」
「苦しいの」
「大丈夫だよ。すぐに君もわかる。僕が踊ることの意味を」
少年は雨の中を舞う。せっかくのクリスマスイブだというのに。それは彼なりの祈りであり、贖罪でもあった。それが踊ることであり、体温を奪われることであり、雪を降らせることであり、彼女が世界から奪われないようにする唯一の方法だったのだ。
僕たちは校庭に出る。小さな白い雪の欠片が、僕たちに降り注ぐ。不思議と冷たくはない。もう冷え切ってしまったのだろう。
「まさか雪が降るなんてね」
「うん。ホワイトクリスマスだ」
ノブナガはそう言うと、校庭の中央に向かって歩き出した。僕もついて行こうか迷ったが、やめることにする。雪の中のサンタクロースを見てみたかったからだ。
彼は校庭のちょうど真ん中あたりで立ち止まると、僕の方をちらっと見て、それから空を見上げた。
「綺麗というより、むしろ悲しい」
雪の中にそっと佇む彼は、この物語の結末を知らなかったに違いない。
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