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映画レビュー四十六本目:「可愛い悪魔」(TV作品)

14歳の時に聴いた音楽を、人は一生愛すると言います。

自分もその頃に聴いた、イギリス産のニュー・ウェイヴやらニュー・ロマンティックやらを、未だにMP3プレイヤーのファイルから消せずにいます。

伊集院光さんが昔ラジオ番組で提唱した「中2病」は全くの正解で、大抵の人は中2の頃に聴いた音楽や観た映像、好きだった有名人や当時の習慣から、老いてもな
お抜け出せない気がします。


そんな自分の多感期に観たテレビドラマが、未だにショッキングでトラウマ化していました。

VHSデッキは普及し始めていましたが、生テープは高くて一本買って録画して観ては上書き録画せざるを得ない状況で、どうしても繰り返し観たい!というものしか
録り置きしておけず、オンタイムで観られる番組は極力観るようにしていました。

まだレンタルビデオも普及しておらず、当時から映画好きだった自分はテレビの二時間ドラマも時間が合えば必死で観ていました。


そんな中、「火曜サスペンス劇場」は翌日が水曜日なのでなかなか最後まで見続けられず、かなり限られた本数しか観られなかったことを覚えています。

が、それでも強烈に記憶していたのが、この作品でした。


当時の二時間ドラマは、劇場作品と同程度の予算が注ぎ込まれた力作揃いで、近年になってソフト化されているものも多いのですが、本作は2年前に漸くDVD化された


幻の一本。

それもそのはず、監督は故・大林宣彦。

「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の『尾道三部作』の印象が世間的には強い監督だけど、その印象で観ると圧倒されます。

なにせ、劇映画デビュー作は「HOUSE ハウス」。

南田洋子演じるお屋敷に招かれた池上季実子や大場久美子らが楽しく可愛く美しく惨殺されていく、未だにクラシックなホラー。

思えば、あんな映画は未だに一本も現れていません。


そんな監督が撮った数少ない二時間ドラマの本作が、昭和マニアの方のTwitterアカウントで話題になり、「また観たい!」と返信したところ、「動画サイトに挙がってます」との返答。

「観ます!」と返信して検索したら、ありました!!!

その時点では観る時間が無く、翌日観ようとブックマークしましたが。


削除されていました...


違法ULが一気に知られてしまったのでしょう...


何故にいちいち通報するのでしょうか...(違法だから



で、時間を作って「今観よう!」と意気込んでいた自分は、一気に打ちひしがれてしまったのですが、



あれ?


まてよ?


もしかして、


CSで放送した時に、録画してDVDに焼いてなかったか?



かすかな記憶を頼りに、老刑事は現場に這い蹲って証拠を探した...










ありました。



数年前、加入したてのCATV局のレコーダーで撮って、闇雲にダビングしていたDVD群の中に。

自分の記憶力にオスカー像を贈ります。


見つけて即再生。



物語は、結婚式の記念撮影に新婦の墜落死が収められるというショッキングな場面から始まります。

しかも、三階から落ちただけなのに四肢グニャグニャ。

ここの描き方に「オーメン」を想起します。

しかし、欧米的では無いのが、「呪いの実現」では無く「故殺」。

しかも、犯人は8歳女児。

だから、誰も疑わない。


しかし、同日同時刻にウィーンで去りゆく恋人に、女児と同じ呪いの言葉を呟いた花嫁の妹のピアニストは、その恋人が直後に交通事故で亡くなった現場を目撃。

それから彼女はノイローゼになり、精神病院に幽閉。


退院後、亡き姉の夫に招かれ、彼の姉とその娘(犯人)が暮らす家で、女児のピアノ教師として同居することに。

しかし女児は、彼女が叔父を取るのではと警戒し、追い出す計画を始める...




犯人を暴こうとするピアニストを秋吉久美子、義兄を渡辺裕之、女児の母に赤座美代子、2カットのみの出演だが晩年の岸田森(食道がんでジェスチャーのみの出演


とのことだが音声があるので必死にアフレコしたか声は別人の可能性)他、豪華なキャスティング。

女児役のティナ・ジャクソンは本作が初演技ながらも、終始憎たらしい演技で見事。



海辺の遠景が書き割りとの合成なのは監督のお家芸としても、花嫁の落下する姿の幻映の合成が明らかにズレていたり、死体が瞬きする等のアラは垣間見えてしまう


けど、



それを置いても凄い出来。

劇場公開して欲しいくらい。

問題は、音楽が「火サス」専用曲の使用だけ。

この部分を全部差し替えれば...と思うけど、監督はもう居ない。

意向にそぐわない編集は、そうと知って観る側の意志も削ぐというもの。

ソフト化ではエンディングの「聖母たちのララバイ」が差し替えられたようですが、火サス作品と考えるとそれも違うかなぁと。

だったら存命中に編集を...



わがままが過ぎました。すいません。



女児が悪事を重ねる様が、1956年マーヴィン・ルロイ監督「悪い種子」からの多大なる影響とする声もありますが(自分も思いました;かの作品は文献でしか知りま


せんが)、脚本の那須真知子がモチーフとしたその作品の要素を、大林は既存の作品をオマージュに捧げるという習慣がないことから、脚本の大部分を書き直してい


て、要素の残る箇所は出来る限り削除されているそうです。



でも、思い出してしまう人は少なく無いとは思いますが、それよりも画面的に前述の「オーメン」や「サスペリア」などの画面構成が展開する所は、指摘して揶揄す


るエセ映画ファンが居るかもですが、自分は大好きです。


グロい作品の撮影現場に立ち会った人間しか分かち合えない感覚かも知れませんが、女がむごたらしく死ぬ場面って作ってる方はその美しさに酔ってる部分があると


思うんですよ。だから女の死体を増やしたい、そんな話にしたい。女優さんの感覚までは解りませんが、昔観たスプラッター映画専門女優さんはインタビューで


「自分の顔に斧が振り落とされるカットでの叫び声はコレ、ドアを開けたら恋人の生首が転がっていたらコレ」


と叫び声の使い分け方を教えてた映像に笑い、尊敬しました。

非日常の表現方法って未知数だから、演技力が試されますよね。




閑話休題。



話は二時間ドラマ的な収束に向かう


と、思いきや




救いも無く終わります。



「悪い種子」は当時の『ヘイズ・コード』によって、


「この子たちはフザけてたんですよ~」


と尻を叩くエンドロールが無理やり追加されてて興ざめな結末だったそうですが(日本のテレビ初放送時には全カット)、



当時観てた自分たちは女児がむごたらしく死ぬ場面があって欲しかった...とか



『聖母たちのララバイ』を聴きながら思ってしまいましたが。


「聖母の救いも何も無いじゃんか!」


と。






こんなトラウマドラマですが、監督の大林宣彦は





『(善悪の判断ができないままに殺人を繰り返す「可愛い悪魔」こと8歳の少女・川村ありすのことを)戦時中に完全な軍国少年であり、日本を正義、日本国外を悪


と信じていた自分自身』



と語っていたそう。



今のネット右翼を牽制し批難する思想に基づいた話。


そうだとは、それらを嫌悪する自分にも気付かなかった暗喩。





手に入れたいモノがあれば、犠牲があっても全然構わないし関心が無い。


凄いな、今ならネットで誹謗中傷して相手が自死しても知らん顔の奴や


カネというカネをふんだくって、好き勝手やってるのにそのカネをバラ撒かれた信者が無能首相を持て囃す祭を


弱火に燻すようなもんか。




それを知ると、監督の「北京的西瓜」が更に沁みる。


この一流サスペンスを鑑賞した暁には、翌々日ぐらいに是非観て欲しい。





あ、それと




「これは『HOUSE』へのオマージュ的な側面もあるな」


と思ったのは、





映画レビュー四十五本目:「可愛い悪魔」(TV作品)


14歳の時に聴いた音楽を、人は一生愛すると言います。

自分もその頃に聴いた、イギリス産のニュー・ウェイヴやらニュー・ロマンティックやらを、未だにMP3プレイヤーのファイルから消せずにいます。

伊集院光さんが昔ラジオ番組で提唱した「中2病」は全くの正解で、大抵の人は中2の頃に聴いた音楽や観た映像、好きだった有名人や当時の習慣から、老いてもな


お抜け出せない気がします。


そんな自分の多感期に観たテレビドラマが、未だにショッキングでトラウマ化していました。

VHSデッキは普及し始めていましたが、生テープは高くて一本買って録画して観ては上書き録画せざるを得ない状況で、どうしても繰り返し観たい!というものしか


録り置きしておけず、オンタイムで観られる番組は極力観るようにしていました。

まだレンタルビデオも普及しておらず、当時から映画好きだった自分はテレビの二時間ドラマも時間が合えば必死で観ていました。


そんな中、「火曜サスペンス劇場」は翌日が水曜日なのでなかなか最後まで見続けられず、かなり限られた本数しか観られなかったことを覚えています。

が、それでも強烈に記憶していたのが、この作品でした。


当時の二時間ドラマは、劇場作品と同程度の予算が注ぎ込まれた力作揃いで、近年になってソフト化されているものも多いのですが、本作は2年前に漸くDVD化された


幻の一本。

それもそのはず、監督は故・大林宣彦。

「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の『尾道三部作』の印象が世間的には強い監督だけど、その印象で観ると圧倒されます。

なにせ、劇映画デビュー作は「HOUSE ハウス」。

南田洋子演じるお屋敷に招かれた池上季実子や大場久美子らが楽しく可愛く美しく惨殺されていく、未だにクラシックなホラー。

思えば、あんな映画は未だに一本も現れていません。


そんな監督が撮った数少ない二時間ドラマの本作が、昭和マニアの方のTwitterアカウントで話題になり、「また観たい!」と返信したところ、「動画サイトに挙が


ってます」との返答。

「観ます!」と返信して検索したら、ありました!!!

その時点では観る時間が無く、翌日観ようとブックマークしましたが。


削除されていました...


違法ULが一気に知られてしまったのでしょう...


何故にいちいち通報するのでしょうか...(違法だから



で、時間を作って「今観よう!」と意気込んでいた自分は、一気に打ちひしがれてしまったのですが、



あれ?


まてよ?


もしかして、


CSで放送した時に、録画してDVDに焼いてなかったか?



かすかな記憶を頼りに、老刑事は現場に這い蹲って証拠を探した...










ありました。



数年前、加入したてのCATV局のレコーダーで撮って、闇雲にダビングしていたDVD群の中に。

自分の記憶力にオスカー像を贈ります。


見つけて即再生。



物語は、結婚式の記念撮影に新婦の墜落死が収められるというショッキングな場面から始まります。

しかも、三階から落ちただけなのに四肢グニャグニャ。

ここの描き方に「オーメン」を想起します。

しかし、欧米的では無いのが、「呪いの実現」では無く「故殺」。

しかも、犯人は8歳女児。

だから、誰も疑わない。


しかし、同日同時刻にウィーンで去りゆく恋人に、女児と同じ呪いの言葉を呟いた花嫁の妹のピアニストは、その恋人が直後に交通事故で亡くなった現場を目撃。

それから彼女はノイローゼになり、精神病院に幽閉。


退院後、亡き姉の夫に招かれ、彼の姉とその娘(犯人)が暮らす家で、女児のピアノ教師として同居することに。

しかし女児は、彼女が叔父を取るのではと警戒し、追い出す計画を始める...




犯人を暴こうとするピアニストを秋吉久美子、義兄を渡辺裕之、女児の母に赤座美代子、2カットのみの出演だが晩年の岸田森(食道がんでジェスチャーのみの出演


とのことだが音声があるので必死にアフレコしたか声は別人の可能性)他、豪華なキャスティング。

女児役のティナ・ジャクソンは本作が初演技ながらも、終始憎たらしい演技で見事。



海辺の遠景が書き割りとの合成なのは監督のお家芸としても、花嫁の落下する姿の幻映の合成が明らかにズレていたり、死体が瞬きする等のアラは垣間見えてしまう


けど、



それを置いても凄い出来。

劇場公開して欲しいくらい。

問題は、音楽が「火サス」専用曲の使用だけ。

この部分を全部差し替えれば...と思うけど、監督はもう居ない。

意向にそぐわない編集は、そうと知って観る側の意志も削ぐというもの。

ソフト化ではエンディングの「聖母たちのララバイ」が差し替えられたようですが、火サス作品と考えるとそれも違うかなぁと。

だったら存命中に編集を...



わがままが過ぎました。すいません。



女児が悪事を重ねる様が、1956年マーヴィン・ルロイ監督「悪い種子」からの多大なる影響とする声もありますが(自分も思いました;かの作品は文献でしか知りま


せんが)、脚本の那須真知子がモチーフとしたその作品の要素を、大林は既存の作品をオマージュに捧げるという習慣がないことから、脚本の大部分を書き直してい


て、要素の残る箇所は出来る限り削除されているそうです。



でも、思い出してしまう人は少なく無いとは思いますが、それよりも画面的に前述の「オーメン」や「サスペリア」などの画面構成が展開する所は、指摘して揶揄す


るエセ映画ファンが居るかもですが、自分は大好きです。


グロい作品の撮影現場に立ち会った人間しか分かち合えない感覚かも知れませんが、女がむごたらしく死ぬ場面って作ってる方はその美しさに酔ってる部分があると


思うんですよ。だから女の死体を増やしたい、そんな話にしたい。女優さんの感覚までは解りませんが、昔観たスプラッター映画専門女優さんはインタビューで


「自分の顔に斧が振り落とされるカットでの叫び声はコレ、ドアを開けたら恋人の生首が転がっていたらコレ」


と叫び声の使い分け方を教えてた映像に笑い、尊敬しました。

非日常の表現方法って未知数だから、演技力が試されますよね。




閑話休題。



話は二時間ドラマ的な収束に向かう


と、思いきや




救いも無く終わります。



「悪い種子」は当時の『ヘイズ・コード』によって、


「この子たちはフザけてたんですよ~」


と尻を叩くエンドロールが無理やり追加されてて興ざめな結末だったそうですが(日本のテレビ初放送時には全カット)、



当時観てた自分たちは女児がむごたらしく死ぬ場面があって欲しかった...とか



『聖母たちのララバイ』を聴きながら思ってしまいましたが。


「聖母の救いも何も無いじゃんか!」


と。






こんなトラウマドラマですが、監督の大林宣彦は





『(善悪の判断ができないままに殺人を繰り返す「可愛い悪魔」こと8歳の少女・川村ありすのことを)戦時中に完全な軍国少年であり、日本を正義、日本国外を悪


と信じていた自分自身』



と語っていたそう。



今のネット右翼を牽制し批難する思想に基づいた話。


そうだとは、それらを嫌悪する自分にも気付かなかった暗喩。





手に入れたいモノがあれば、犠牲があっても全然構わないし関心が無い。


凄いな、今ならネットで誹謗中傷して相手が自死しても知らん顔の奴や


カネというカネをふんだくって、好き勝手やってるのにそのカネをバラ撒かれた信者が無能首相を持て囃す祭を


弱火に燻すようなもんか。




それを知ると、監督の「北京的西瓜」が更に沁みる。


この一流サスペンスを鑑賞した暁には、翌々日ぐらいに是非観て欲しい。





あ、それと




「これは『HOUSE』へのオマージュ的な側面もあるな」


と思ったのは、








小林亜星先生の無意味なゲスト出演。(笑)

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